第3話

 オープンスペースの脇に立っていた森が、こちらに気づいた。

 前髪は少し長めで、襟足は自然な感じで外に跳ねている。気の抜けた立ち姿ながら、ふと視線が合うと鋭さを帯び、どこか奥に揺るがない芯を感じさせる。

 常川が片手を軽く上げた。

「よう、圭太。部活終わりに呼び出して悪いな」

 森は眉をひそめたまま、短く返す。

「ツネ、お前なぁ……」

 常川は笑って肩をすくめる。

「部活に出なかったのは悪かったって! でも、今日はどうしても”ボランティア”の方、外せなくてさ」

 手を合わせて軽く頭を下げ、謝罪の意を示しながら話を続ける。

「早速、本題。こっちはボランティア部の蓮井と清水。お前に聞きたいことがあるんだとさ。俺はただの付き添い」

 森の視線が二人に移り、わずかに険しくなる。

「……何か用?」

 その声には、明らかな警戒心が滲んでいた。

 蓮井が少し間を置いて、静かに切り出す。

「脅かすつもりはない。学校で起きている『超常現象』について聞きたいんだ」

  森の瞳が一瞬大きく開かれ、息を飲む。

「……な、何だって?」

 「超常現象」という単語を聞いたその瞬間、森の目が大きく見開かれた。

  清水が落ち着いた声で説明を始める。

「あなたも聞いたでしょう。最近、学校で起きている奇妙な現象……その件について、少し事情を聞かせてほしいの」

 森は口をぎゅっと結び、目を泳がせた。

「……ボランティア部の奴らが関わるって、何で俺に?」

  蓮井はゆっくりと頷く。

「君が何か知っていると思った。正直、僕らも慎重に動きたい」

  森は一歩後ろに下がり、肩をすくめる。

「……慎重って何だよ。そ、そんなに危ない話なのか?」

 常川が少し笑いながら手を上げる。

「いや、危ないってほどじゃない。ただ、詳しいことを知りたいだけさ」

 しかし森の表情は硬く、目つきが鋭くなる。

 挙動不審な様子で、更に一歩後ろに下がった彼は、突然、否定の言葉を絞り出した。

「お、俺は、何も知らない……何も知らないんだ! 巻き込まないでくれ!」

 その瞬間、森は近くの机を蹴飛ばし、椅子をなぎ倒して、三人の目の前から全力で逃げ出した。

 警戒心が一気に臨界点を超えたらしい。

 常川がすかさず追いかける。

「待て、圭太! どこ行くんだよ!」

 蓮井は小さく息を吐いて、呟いた。

「警戒心マックスだな。本気で逃げた」

 清水は、戸惑いを滲ませた表情で蓮井に問いかける。

「どうするの?」

「こっちは三人いる。回り込もう」


 森は廊下を駆け抜け、角を曲がって姿を消した。

 足音が遠ざかっていく。

「おいおい、逃げ足速すぎだろ!」

 常川は舌打ちしつつ追跡する。

 蓮井は冷静に状況を見渡し、短く指示を飛ばした。

「清水、右の階段を! 俺とツネで正面から追う」

「わかった!」

 清水は即座に頷き、反対側へ駆け出した。

 廊下の先で、森の背中が一瞬だけ見える。制服の裾が翻り、まるで必死に何かから逃げている獣のようだった。

 その様子に、蓮井は小さく眉をひそめる。

(――ただ怯えているだけじゃない。あれは“知っている”顔だ)


 必死で追いかけ、廊下の角を曲がった二人の視界に飛び込んできたのは、 森が非常口のドアに手を掛ける光景だった。

 扉の隙間から夕陽の赤が差し込み、金属のドアが甲高い音を立てる。

「クソッ、あいつ外に出るぞ!」

 常川が叫ぶ。

「問題ない。チェックメイトだ」

 蓮井は落ち着いた声で応じた。

 森が非常口のドアを押し開け、夕陽で照らされた屋外へ飛び出そうとした――その瞬間。

 

「そこまでよ、森君!」

 ドアの外、非常階段を下から駆け上がってきた清水が立ちはだかった。

 森の顔が引きつる。まるで罠に飛び込んでしまった獣のように、動きが止まった。

「……チッ!」

 舌打ちして踵を返そうとするが、すでに遅い。背後から常川と蓮井が追いつき、出口を塞ぐように回り込む。

 三人に囲まれ、森は壁際に押しやられる形になった。

 肩で息をしながら、鋭い目を三人に向ける。

「……な、なんで、俺なんだよ。何も知らないよ!」

 常川が一歩踏み出す。

「圭太、お前の顔を見りゃわかる。何か知ってるんだろ。じゃなきゃ突然逃げたりしない」

 清水も真っ直ぐに森を見つめる。

「無理に追い詰めるつもりはない。あなたが抱えてることを……私たちに教えてほしい」

 森の拳が震えた。口を開きかけては閉じ、目を逸らし続ける。

 その沈黙に、夕陽が差し込み、長い影が四人の間に伸びていった。

「もうこれ以上、逃げなくていいんだ。君の“記憶”を、ちょっとだけ見せてもらう」

 蓮井はそう言うと、深呼吸をひとつして、静かに手を伸ばした。

「行くぞ」

 蓮井が声をかけると、清水は頷き、迷わず蓮井の肩に手を置いた。

 常川はキョトンとした顔で蓮井を見つめた。

「え、何するんだよ?」

 蓮井が肩越しにちらりと常川を見て言った。

「触れないと入れない。ツネ、手を……」

「は、早く触れて! 常川君!」

 清水が焦った声で促し、常川は慌てて蓮井の腕に手をかける。

 その瞬間、三人の視界は淡い光に包まれ、周囲の光景が柔らかく霞んでいった。


 ――空気が、変わった。


 世界がふっと静まり返り、校舎内のざわめきが遠ざかる。

 視界の端から黒がにじみ出し、まるで幕が降りるように闇が広がっていった。


 目を開けると、三人は小さな映画館の客席に座っていた。

 赤いビロードの椅子が並び、正面には白いスクリーン。照明は落ち、柔らかい暗闇が体を包んでいる。

 観客は、彼ら三人だけのようだ。

 

「ようこそ。〈チャプター・ハウス〉へ」

 席に座ったまま、蓮井がささやくように声を出す。


 「……ここは?」

 常川が息を呑む。

 「僕の能力によって作り出した空間の内部。他者の記憶を“映画”として映し出す場所だ」

 蓮井の声は静かだが、確かな存在感がある。

 清水は目を輝かせ、小声で呟いた。

「すごい……本当に映画館みたい……」

「これから見る映画は、対象者の主観で編集された映像。辻褄が必ずしも合っているわけじゃないし、干渉もできない。見るだけだ。わかったね?」

 常川は周囲を見回し、口をあんぐり開けたまま。

「マジかよ、これ……なんで俺も見れるんだ?」

 蓮井は頷く。

「僕に触れていた人間にも、効果が共有されるんだ。だから君たちもここに来られた」

 

 カタカタと映写機の音が響き、スクリーンが淡く光り始める。


 映し出されたのは、市民体育館。

 ボールの弾む音、汗に濡れた木床のきらめき。

 そこにいるのは――森圭太だ。ベンチに座り、試合をじっと眺めている。


 常川は思わず身を乗り出した。

「この映像、先月のインターハイ予選だ……マジで圭太の記憶なのか――」


 清水は息を飲み、画面に見入る。

 蓮井は短く息をつき、スクリーンを凝視する。

「これが、森の目を通した世界だ。注意深く見ていこう」


 こうして「森圭太」の物語が、観客三人を伴って幕を開ける。

 三人は正面に向き直り、森の記憶によって作られた映像の世界を、静かに見つめた。

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