手の記憶

みなつき

手の記憶

 村に吹く風にひっそり冷気が忍び寄って来る。そろそろ季節が変わることを、少女は開いた窓から肌で感じ取っていた。少女の名は木乃葉このは。その深い緑色の瞳の中に、オレンジ色の篝火が揺れている。

 夜が近いのだ。太陽はその薄明かりを残していて、雲に紺色と赤の濃淡映し出している。自然が作り出す美しい光景は、時折襲い来る木乃葉の不安を安定させた。


 篝火の下では集会が行われていた。村の者は大人も子供も、全員参加が義務付けられていたが、木乃葉はこの限りではない。


 村長むらおさの声は大きく張りがあり、彼女の部屋の窓へも響いて来る。


 ――この冬は極寒になる。

 ――そう肝に銘じ、今から用意をしておくように。


 おさはそのように『木』から御言葉みことばをいただいたと、村人たちに伝えた。村人は御言葉に感謝し、祈りを捧げる。儀式が終わると、皆、それ備える為に家路へと急ぐ。御言葉は何度もこの村を災害から救ってくれたと云う歴史がある。地震、嵐、津波。事前に知ることが出来れば生き残る確率は高くなる。


 この冬に備え猟師たちは獣を狩り、干し肉を蓄え、その皮の温かさを皆に分け与える。農民はチーズを作り、穀物を塩につけ村の保存食にする。


 ありがたいことだと、木乃葉は感謝の言葉を心の中で伝える。その一部が自分への貢ぎ物となって送られて来ること知っているからだ。


 この村は太古の昔から御言葉により平和を紡いできたと、木乃葉は教えられていた。




 彼女は『木』に瞳を移した。それは先ほどまで長が立っていた祭壇の後ろ側に生えており、その周りはしめ縄で囲われている。四六時中、番人がおり神聖な場所とされた。彼女にとっては見慣れた風景だった。


 それは『木』というよりも、『腕』、人の前腕部に似ていた。その先端には手の平がついており、枝と言われる指が5本ついていた。その指は何かを探すように、時には掴むように、常にうねうねとうごめいていた。風で動いているのではない。明らかに自分の意志で動いているように見えた。


 そういうモノなのだという固定概念は彼女の中に深く根好き、不思議とも思わなかった。


 この冬で木乃葉は十七才になり、大きな節目の年をこの村は迎える。『木』は500年に一度枯れてしまう。その十七年前に種を継ぐ処女おとめが誕生する。深い緑の瞳と白い肌を持った崇高なる女児の言い伝え。そして十七年前、伝説通り木乃葉が誕生した。


 彼女は神の御心の使いとして、大事に育てられた。長の住む住居と同等の高床式住居が祭壇を挟んで向かい側に建てられ、彼女はその中で乳母の玉依たまよりに育てられた。身支度や湯あみといった身の回りの世話は侍女のべにによって行われた。


 読み書きや計算も全て玉依から教わり、他の子供たちと交流することもなかった。


 時折、開け放した窓から聞こえる、子供たちのはしゃぎ声に耳を澄ましていると、玉依は「あれは下々の者です。気高い魂を持つ貴方が関わる者たちではございません」とピシャリとそれを閉めた。


 同年代の話し相手は紅しかいなかった。しかし、紅は木乃葉が話しかけると常に床に頭を擦りつけるようにして「はい」としか言わない。いつしか木乃葉は紅と本気で話をするのを諦めてしまった。


 十二の誕生日に、姿見鏡という物が長から送られた。初めて自分の姿を見た木乃葉は、信じられなかった。鏡の中のその人は明らかに、美しいと感じた。歳を重ねた乳母は無論のこと、可愛いくあどけない紅よりも、外で遊ぶ子供たちよりも。


 長い黒髪に白い肌が際立っていた。華やかな桜色の着物が良く似合っていた。


「これが、私?」と尋ねる木乃葉に紅は、「毎日お仕えしているかいがございます」と答えた。


 木乃葉の中に『選ばれし者』、『次世代を担い、村を導く者』としてのプライドと責任感が芽生えていった。


 その頃から木乃葉は寝室に隣接する書庫に、入り浸るようになった。そこには絵本から神話、哲学、物理学、天文、量子力学に至るまでありとあらゆる本がデータとして納められていた。木乃葉は話し相手を本に求めたのだった。


 本を読むのは楽しかった。間々、それは木乃葉の海馬を揺り動かし、一度学習し習得した物を再度学習し直しているように感じることがあった。


 ――どこかで同じことを体験した――


 それはデジャブ現象と呼ばれるものです。木乃葉様のようなお年頃には、よくあることです。と玉依は説明した。


 ――そういうものなのか――


 木乃葉はそのまま納得した。







 **


 星も凍てつくようなある晩のことだった。木乃葉は、うっすらとした吐息を耳にし目を覚ました。


 誰? と聞く間もなく、木乃葉の口は塞がれた。


 ――静かに。僕はいつき。黙っていてくれれば、何もしない。


 突然、屋敷内がにわかに騒がしくなった。


「そなたたちはここを木乃葉様のお屋敷と分かって、侵入しようというのですか?」という玉依の声が聞こえて来る。


「滅相もないことでございます。実はネズミが一匹、この館に忍び込んだのではないかと」


「ネズミがのう。それを私が見逃したとでも?」


「いえ。そのようなことは」


「そのようなことはあるはずがない。そうであろう?」


 木乃葉には分かっていた。あの者たちを追い払い、次に玉依が来るのはこの寝室だ。


 彼女は樹と名乗る者の顔を見る。赤い頬に癖のある赤毛を、燭台の炎が映しだす。この村に何処にでもいる猿のような子供だ。ただ、瞳の色が緑だった。この瞳を持つ者は非常に珍しいと、玉依からも紅からも聞いていた。


 村人の瞳はだいたい黒か茶色だ。その瞳が真剣に木乃葉を捉える。何故か守ってやりたいと思った。


 ――信用して。


 それだけ身振りで伝えると、木乃葉はベッドを抜け出し、寝室のドアを開けた。


「何だと云うのです。この騒ぎは」


 木乃葉の凛とした声は、遠くまで響く。いや、わざと大きな声を出したのだ。


「何でもございませぬ。木乃葉様」と玉依はひれ伏した。


「なら良い。そなたたちは、『木』の番人ではないか。まさか『木』に何かあったのか?」


 番人たちは顔を見合わせた。騒ぎが大きくなって、罰せられるのは彼らなのだ。


「玉依、こちらへ」と木乃葉と手招きをした。


「ネズミが出たとは怖いこと。私の寝室で悪さをしてないか、見ておくれ」


 玉依は燭台を手に寝室へ入って来る。ゆらゆらとした蝋燭の火が、二人の影を壁へと映し出す。玉依はクローゼットの中から、ベッドの下まで調べてゆく。


「ネズミはおらぬようです」


「書庫の中も確かめておくれ」


「はい……」と玉依は書庫に入ってゆく。


 しばらくするとそこから出て来て、「大丈夫でございます」と木乃葉に伝えた。


 木乃葉は胸を撫でおろす。先ほどの少年は書庫に隠した。そこには隠れるところが沢山ある。


 ――見つからなければ、少年は運が良い。

 ――見つかれば、死罪は免れない。


 木乃葉は少年の運に賭けたのだ。


「ネズミなど、おらぬ。そなたたちは、安心して護衛に戻られよ」という玉依の声が寝室の外で聞こえた。





 木乃葉はそっと書庫を開ける。呆れたことに少年は、貪るように本を読んでいた。


『シュレーディンガーの猫』


「ほう」と木乃葉は思わず声を出した。


「そなたにそれが分かるのか?」


「木乃葉様には分からないのですか?」と少年は聞き返す。


「私に分からぬことなどない」


「では、何故僕には分からぬとお思いになるのです?」


「それは聞いてみるまで分からぬ。なるほど、そなたは理解しておるようだのう」


「はい。もし僕と木乃葉様が、特別な絆で結ばれているのであれば」


「そなたが理解していれば、私は理解していないという矛盾が生まれるな。面白い」


 禅問答のような二人の語らいは、やがて白々とした光に遮られた。



「そろそろ立ち去った方が良い」という木乃葉に少年は問いかける。


「何故、そのように聡明な木乃葉様が、ご自身の身の上。あの『木』の為にそのお命を捧げることに疑問を持たぬのですか?」


 ――え?――


 木乃葉は戸惑う。


「私は……」


 ――選ばれし者。

 ――高貴な処女。

 ――種の継ぎ手



 ――それは自身でお考えになったことですか?


 少年の言葉が耳に残る。






 **


 暫くののち、『木』の番人たちは公開処刑された。

 それはざわざわと、木乃葉の心を揺らした。


 何故と問う木乃葉に玉依は、貴方様の美しさを口にしたのを、長に聞かれたからだと答えた。


「そんなことで、処刑されるのか?」


「あれは下人。高貴な木乃葉様の容姿を噂するなど、もってのほかでございます」


「何故だ? あの者たちは何も悪いことはしておらぬではないか?」


「長がお決めになったこと。木乃葉様が気にするようなことではございません」


 玉依はきっぱりと言ったが、その顔に明らかに強張っていた。視線を逸らし、手を首筋に触れる。本で知ったボディランゲージ。


 ――動揺――


 木乃葉は自分が腕を組んでいるのに気付き、息を飲んだ。


 ――これも動揺の仕草。

 ――玉依に気付かれてはならぬ。


 その刹那、木乃葉の頭に初めて『何故』という疑問が生まれた。


 ――何故、私は動揺したのだ?

 ――何故、玉依に気付かれてはいけないと思ったのだ?

 ――何故、私は『木』の番人たちを気の毒に思ったのだ?


 頭に一つの答えが浮かぶ。


 ――樹という少年。


 あれから樹は毎夜書庫に忍んで来た。本を読む為だった。それに夢中になっている間は木乃葉も声はかけない。ただ時折の会話は楽しかった。


「樹はすごいのう。私より遥かに知識がある」というと、樹は不思議そうな顔をした。


「もし、そのように見えるのであれば、それは多分僕が自身の『疑問』を解こうとしているからかもしれませぬ」


「疑問とは?」


「『木』のことにございます。あれは本当に木なのですか? 『木』と呼んでいるのは誰ですか? 僕にはあれの幹は腕に、枝は手に見えます。時々あれが苦悩して、何かを掴もうとしているように見えて仕方ないのです。それを知りたい。だから僕は毎夜、書庫に来るのです」


「何故、そなたは『木』にこだわる?」


棄児きじだからにございます。僕はあの『木』の下に捨てられていたと、義母は話してくれました。義母は大好きでございます。けれども、僕は僕が存在する理由が知りたい。『木』はその答えをくれる気がしてならないのです」


 その時はそうかとだけ、聞き流した。だが、樹の言葉の意味が今なら理解出来た。木乃葉の頭に詰まっているのは、知識だけなのだ。


 ――それでは、書庫と同じではないか?



 ――何故、樹が気になるのだ?

 ――何故、処刑が……

 ――私は樹が処刑されるのが怖い? のか……



 今までは樹が見つかり処刑されても、それは樹の運命だと思っていた。仕方がないことだと。


 ――嫌だ――


 その思いが木乃葉の中で充満し、爆発しそうに胸が鼓動してあらたな疑問を呼んだ。


 ――何故、私はあの『木』の継ぎ手なのか?

 ――何故、私は命を捧げねばならぬのだ?




 木乃葉は樹に尋ねる。


「そなたは『木』を何と心得る?」


「僕は」と樹は暫く首を傾げた後、「人類の念の残骸。救いを求める手ではないかと考えます」と答えた。


「分からぬ」


「『木』から発せられるリズムを、幼き時から感じておりました。0.1.0.1というような一定の時もあれば、火の揺らぎのようにもつれることもあります。もつれる時には必ずと云ってよいほど、長から御言葉が伝えられます」


「地震、嵐、寒波。あれがコンピューターで、御言葉は膨大なデータから出る結果ということか?」


「そうです。初めてここへ逃げ込んだ夜、僕は今まで感じたことがないようなを経験したのです。それが何であるのか観測しようと近づき、手に光る『印』のような物を見ました。更にのリズムは荒れ狂い僕を引き寄せ、番人たちに見つかりました。そして木乃葉様を見た時、そのリズムは止まったのです」


「確定値になったからか?」


「いえ。貴方の美しさに、聡明さに僕の心臓が貫かれたからです」


 木乃葉と樹の瞳が、危うい交差を重ねる。木乃葉の息が乱れる。固定概念が壊れてゆく。


「樹。私は生きていいのか?」


「それは、木乃葉様が決めることです」


「その通りだ。私には継ぎ手となる責任が……責任?」


 ――それは誰に教えられた?

 ――私が継がねばあの『木』は枯れる。

 ――村は御言葉をいただけなくなり、人類は滅びる。



 違う。これは洗脳だと木乃葉は気付く。幼い時から隔離され、話しをするのは玉依と紅。


「樹。私は生きたい。そなたと生きたいと、強く感じている」


「では」と樹は手を差し出す。木乃葉はその手を掴む。



 **


 闇が二人を味方した。二人は降り積もった雪の上を走る。降り続く雪が足跡を消してゆく。


 だが常に温かい部屋で育った木乃葉の身体は、極寒の冬を走り抜けられるほど強くはなかった。すぐに体温を奪われ、動けなくなる。


 樹は洞穴を見つけ、二人の毛皮を一つにして包まった。


「僕が貴方をお守りします」


 その声を木乃葉は頼もしく思った。


「私も樹を守る」


 木乃葉の身体は凍るように冷たい。樹がその身体を温めて、互いの体温が溶け合ってゆく。木乃葉の鼓動が次第に弱くなっていく。



 追手が近くまで迫っていた。松明の光が洞穴に入り込む。

 太陽の光が村に満ちるころ、二人は捉えられ、縛られて祭壇の前に正座を強要されていた。


「逃げられると思ったのか?」と長が優しく尋ねる。


「いいえ」と樹は首を振った。


「では何故逃げた?」


「木乃葉様と、生きたいと思ったからです」


「生きられたか?」


「はい」


「捕まったではないか」


「木乃葉様は私と生きたいとおっしゃってくれました。多分、彼女にとっては初めてご自身でくだした結論でしょう。僕は木乃葉様と生きたのです。それが刹那でも永遠でも」


「なるほど。それがこの『木』の選択なのか」と長は瞳を開けた。


 初めて見る長の瞳。それは翠眼すいがんだった。


「刑罰を言い渡す。樹。人柱の刑として『木』の根本に生きたまま埋める。『木』の養分となるのだ」


 しめ縄が解かれると同時に、結界がくずれそこに深い穴が出現した。


「入れ」と長が命令する。樹の身体が執行人によって、穴の中へと落とされた。


「結界を張る」と長が瞳を木に向ける。


 しめ縄が張られてゆく。それが完全に張られてしまえば、樹の命はない。





「お待ちください。私は『木』の継ぎ手になります。だから樹を許してください」


 木乃葉は祭壇に駆け上がる。


「男と逃げ、落ちた処女をその『木』が受け入れれば、許してやらぬこともない」


 長はゆっくりとした木乃葉に近づき、その髪を愛おしそうに撫でた。その姿は孫娘に愛を注ぐように、慈悲に溢れていた。だが、その手は冷ややかで、瞳は何も語り掛けてこない。


 木乃葉を拘束していた縄がとかれる。


「ありがとうございます」


 木乃葉はうやうやしく頭を下げた。顔をあげ、『木』を見詰める。手のように見える枝の部分がうねうねと動き始める。


 樹の声が聞こえた気がしたが、もう誰の言葉も木乃葉には届かなかった。


 うねうねとした動きは0.10.10.1.0.1とリズムを刻み、やがてリズムにが生じるのを木乃葉は感じていた。


 ――樹が聞いたものはこれか


 ――見てみたい。その先にある物を。

 ――樹が見たかったその世界を。


 その指先が枝に触れた瞬間、彼女の中に膨大な記憶が入り込んで来た。





 **


 『木』の下にある巨大なコンピューターに収められた、莫大な人間の解剖記録。

 そこから伸びる腕を囲む白衣の人々。


「何故、量子コンピューターから腕が生える?」


 ――分からない――分からない――分からない――という言葉がこだまする。


「枝分かれしてゆく。あれは手だ」


「実がなるぞ。まずい。破裂する」


 ――量子コンピューターに計算させた生物兵器――


「勝手に作りやがった」


「もう止まらない」


 逃げろ。逃げろ。逃げろ!!


 強烈な閃光が走り、人々は逃げ惑う。


 降り注ぐ翠の雨。

 それは口、鼻、全ての毛穴から人体の奥へと入り込み、血管の血液に憑りつき全身へと運ぶ。


 それを受け取った内臓は腐り始め、嫌な臭いを発する。

 内側から腐ってゆく。

 やがてそれは皮膚を破る。


 緩やかに、しかし確実に訪れる残酷な死。


 永遠に続くかと思うような苦しみに、人々は叫び声をあげる。



 ――殺してくれ――



 老若男女関係なくかかる病。薬はない。

 何故ならそのように緻密に計算されて作られた兵器だから。


 人類は死に耐えたかのように見えた。


 だが、抗体を持つモノが出てくる。




 生き残った人々が集落を作る。集落同士の争いが始まる。


 豊かな土地、食べ物、財産をめぐって争う人々。


 長の姿が見える。まだ若い。

 人を殺す。物を奪う。

 女を、子供をさらう。


 その土地を我が物として集落に実りを与える。


 長も年をとる。何人かの若者を従え、他の集落へと戦争を挑む。

 殺される男。殺される女。

 赤子がいる。長はそれを胸に抱き領地へと帰る。



 ――あれは私?――

 ――違う……。



 長も赤子も瞳の色が赤い。



 木が囁く。


「木乃葉、そなたに選択肢を与えよう」


「はい」


「一つ目は、人類を全て滅ぼす」

「二つ目は、過ちを認め、一からやり直す」


「質問してもよろしいでしょうか?」


「許す」


「今、私が見た物は歴史ですか?」


「違う。私の記憶」


「貴方は誰?」


「分からない。質問は終わりだ。どちらを選ぶ?」


「過ちを認め、一からやり直します」


「そなたの未来は確定した」


 突然、白い閃光が走る。村の人々は驚き、逃げ惑う。

 大地が崩れ、太陽が欠けてゆく。


 長が笑う。

「私は500年もの間をずっと、この時を待っていた。死ぬことも許されずに。私の罪を許してほしい」と『木』に手を当てる。


 『木』の幹は長を抱きかかえ、飲み込んでゆく。グシャグシャと音がして、長の悲鳴が聞こえた。


 人々の叫ぶ声はやがて闇へと吸い込まれて、消えていった。






 **


 腕に鋭い痛みが走って、木乃葉は我に返った。目の前には樹がいた。沢山の人が死に、二人は生き残った。


 木乃葉は手を伸ばそうとした。その手は重すぎて樹には届かなかった。のしかかる莫大な記憶の重圧が邪魔をした。樹は木乃葉の身体を支える。


「樹。私はもう動けない。私の手に刻まれたのは、そなたがあの夜見た『木』の印と同じものか?」


「はい」


「そうか。私はもう記憶だけになったのか」



 ――見えない罪の印――



「僕が木乃葉様を、支えてゆきます。その為に僕は生まれた」


 樹はこれから神の手によって救われた者たちを従え、村の長となり木を守ってゆく。


 木乃葉は記憶のみの存在となり、大地へと溶け込んでゆく。


 

 罪を背負う継ぎ手と、支え手となって。





 **


 これが確定した時、遠い世界では新しい物語が生まれていた。


 その世界では木乃葉と樹は追手に捕まらず、二人は洞窟で野生のように暮らし愛し合う。木乃葉は沢山の子をなし、新しい人類となる。

 二人はずっとその手を放さず、互いに助け合い生きてゆく。



 掴んだ未来と掴めなかった未来。それは繋がって何処かに存在し続ける。






 -了-










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