第一章「蝮蛇塞の支配」 「牢獄からの脱出」
鄭蝮の体が吹き飛んだ。
石壁に激突した瞬間、肋骨がいくつか折れた音が聞こえた。だが彼は悲鳴を上げない。恐怖が彼の喉を閉じている。
呂天の手は、まだ拳を握ったままだ。彼は動かなかった。ただ立っているだけなのに、そこには圧倒的な力場が生まれていた。兵卒たちの剣は震え、足は地から離れようとしている。
*何だ、この感覚は*
呂天の意識の中で、二つの思考が衝突していた。一つは、十八年間奴隷として生きてきた少年・呂天の戸惑い。もう一つは、千年前の戦乱で天下を揺るがした英雄・呂布の記憶と意志だ。
呂布の声は、呂天の脳髄に直接響いてくる。
*この者たちは、お前を支配した者たちだ。血のしぶきで、それを思い知らせてやれ*
「待て」
呂天が口を開いた。その声は、彼自身のものではない。呂布と呂天が混在した、不気味な響きだ。
「私は……」
呂天は自分の両手を見た。掌から、黒い光が放射されている。それは魔力のようでもあり、血のようでもあり、支配の色だ。
「何者だ」
兵卒の一人が、かすれた声で呟いた。
呂天は彼を見た。その眼差しで十分だった。兵卒は膝をついた。支配される感覚。逆らえない力。それが全身を貫く。
「逃げろ。早く逃げろ」
別の兵卒が叫んだ。彼らは剣を投げ捨て、牢獄から走り去った。階段を登る音が聞こえ、やがて消える。
鄭蝮は壁の中から這い出ようとしていた。口から血が流れ、その眼には狂気と恐怖が混在している。
「お、お前は何だ。お前は呂布か。呂布なのか」
呂天は一歩近づいた。その一歩で、空気が変わった。
*そうだ。俺は呂布だ。千年の時を経て、新しい体を得た。そしてお前は……*
呂天の右足が、鄭蝮の胸に落ちた。
軽い音だ。だが、その音は牢獄全体を揺るがした。鄭蝮の体は、さらに壁の中へめり込む。骨が砕ける音。内臓が破裂する音。死の音だ。
鄭蝮の瞳が、光を失った。
呂天は彼を見下ろした。感情がない。怒りもない。喜びもない。ただ、支配者が邪魔な石を除けるときの無関心さだけが、そこにはあった。
*よかろう。この者の支配は終わった。次は何だ*
呂布の声が、呂天に語りかける。
呂天は牢獄の外へ出た。石の階段を登る。懐かしい感覚ではないが、記憶の中に、この構造は刻まれていた。呂布の記憶だ。彼は千年前にも、多くの城塞を支配してきた。その経験が、呂天の体を通じて蘇っている。
地上に出た時、月が照っていた。蝮蛇塞の中庭だ。兵卒たちが走り回り、誰かが叫んでいる。塞主が殺されたことが知られ、混乱が生まれている。
*完璧だ。この混乱の中で、この塞を掌握しろ*
呂布の指示は明確だ。
呂天は走った。兵舎へ向かう。その過程で三人の兵卒と出会った。彼らは剣を抜こうとしたが、呂天の眼を見た瞬間、それを投げ捨てた。支配される恐怖。逆らえない力。それが彼らを行動不能にした。
兵舎に着いた時、そこには約二十の兵卒がいた。塞の戦力の大部分だ。
「塞主が殺された」
呂天が宣言した。
「誰だお前」
副将のような男が問う。彼の名前は、呂布の記憶から現れた。劉虎。年は四十五歳で、兵の統率に長けた男だ。
「私は……」
呂天は一瞬、躊躇した。だが、呂布の力が彼を押し出す。
「呂天だ。呂布の血を継ぐ者。そして、これからのこの塞の主だ」
劉虎は笑った。それは嘲笑ではなく、何かを理解した者の笑みだ。
「呂布か。ついに、か」
その言葉に、呂天は驚いた。
「知っていたのか」
---
『蝮蛇の鎖 ~呂天、地下皇帝への道~』 @saijiiiji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。『蝮蛇の鎖 ~呂天、地下皇帝への道~』 の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます