第2話 春風の名前(後半)
夕方になっても、空は赤くならなかった。
茜色になるはずの時間。
昼と夜の境目に訪れる、あの短い優しさがない。
ただ、白く強い光が残り、
影だけが不自然に伸びている。
ナツは校門前に立っていた。
アスファルトが、じり、と鳴る。
「……焼けてる」
まだ六月にもなっていないのに、
地面が夏本番の熱を帯びていた。
「こんなの……おかしい」
ナツが拳を握るたび、
気温がさらに上がる。
抑えようとしても、抑えきれない。
“春がない”という事実が、
彼女の感情を煽り続けていた。
「ナツ」
背後から、フユの声。
「あなたが悪いわけじゃない」
「わかってる。でもさ……」
ナツは空を睨んだ。
「私たち、四人だったじゃん」
その言葉に、フユは答えなかった。
否定できなかったからだ。
◇◆◇
校舎の屋上。
ハルとアキは、並んで座っていた。
フェンス越しに見える街は、
どこか輪郭を失っている。
色彩が、極端だった。
明るすぎる場所と、
冷たすぎる影。
間にあったはずの“やわらぎ”が消えていた。
「ねえアキ」
ハルが、小さく言う。
「春ってさ……必要だったのかな」
その問いは、
あまりにも残酷だった。
アキはすぐに答えられなかった。
秋は、終わりを肯定する季節だ。
だが“不要だったかもしれない”という問いには、
耐えられない。
「……必要よ」
ようやく、そう言った。
「なくなってから気づくものほど、
本当は一番大切なの」
ハルは笑った。
けれどそれは、
いつもの天真爛漫な笑顔ではなかった。
「そっか……」
風が吹かない。
ハルの髪が、動かない。
その事実が、
何よりも証拠だった。
「ねえ、アキ」
ハルは、胸に手を当てる。
「私の中、空っぽなんだ」
“春の核”が、消えかけている。
世界と彼女を繋いでいた糸が、
ほどけていく感覚。
アキもまた、異変を感じていた。
胸の奥に積もっていた“終わりの予感”が、
制御不能になっている。
本来、秋は“ゆっくり終わらせる”季節。
だが今は違う。
終わりだけが、暴走していた。
「……来るわ」
アキが言った。
「季節の再編が」
その言葉と同時に、
世界が、音を失った。
風の音。
鳥の声。
遠くの車の走行音。
すべてが、薄くなる。
代わりに聞こえてきたのは――
脈打つような、低い鼓動。
世界そのものの心音。
ハルの足元から、
淡い光が立ち上る。
それは春色ではなかった。
無色だった。
「アキ……私……」
ハルの声が、途中で途切れる。
言葉が、意味を持たなくなっていく。
アキは彼女の手を強く握った。
「大丈夫。あなたは、あなたよ」
だがその言葉は、
世界には届かなかった。
次の瞬間。
光が、二つに分かれた。
暖色と寒色。
――夏と冬。
中間が、存在を拒まれた。
ハルの身体が、
ふっと軽くなる。
「……あ」
その声は、ほとんど息だった。
春という概念が、
世界から切り離されていく。
同時に、アキの視界が、
一気に褪せた。
色が“枯れる”。
感情が“遠ざかる”。
秋が、役目を失った証だった。
「……ハル」
名前を呼ぶと、
それだけで涙がこぼれた。
それは秋が、
最後に許された感情だった。
光が収束する。
次に音が戻った時、
屋上には――二人の少女が倒れていた。
ただの、普通の。
季節を持たない存在として。
◇◆◇
その夜。
ニュースではこう報じられた。
「近年まれに見る異常気象です。
今年は春らしい期間が極端に短く――」
誰も、それ以上を言わなかった。
街では、
桜が咲かなくなり、
紅葉が色づかなくなった。
人々は忙しそうに言う。
「最近、暑いか寒いかしかないよね」
「まあ、楽でいいんじゃない?」
だが――
花壇の片隅には、
未だ細々の咲いている、一輪の彼岸花が咲いていた。
赤く、静かに。
誰にも気づかれないまま。
それが、
春と秋が残した、最後の証だった。
(続く)
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