第2話 正解を選んだはずなのに、胸が軽くならない

中学三年生の朝は、やけに眠い。


いや、正確に言うと――

身体は眠いのに、頭はやけに冴えている。


「……はあ」


制服に袖を通しながら、ため息が出た。

この感じ、久しぶりだ。


当時の僕は、受験のことなんてよくわかっていなかった。

先生に言われるまま志望校を書き、親に勧められるまま塾に行き、「無難だから」という理由で進路を決めた。


結果は――失敗。


いや、「失敗した」と言い切るほどでもない。

ただ、本来なら受かってもおかしくない高校に落ち、滑り止めの、そのまた滑り止めみたいな学校に進んだ。


そこから、全部が少しずつズレていった。


「……今度は」


洗面所の鏡に映る、若い自分を見る。


「今度は、正解を選べばいい」


そうだ。

僕には“未来の知識”がある。


偏差値。

倍率。

過去問の傾向。

合格最低点。


正解っぽい材料は、山ほど揃っていた。



学校の授業は、正直どうでもよかった。

内容は全部知っているし、この先どんな質問が飛んでくるかも、なんとなく覚えている。


昼休み。

教室の隅で、ノートを開きながら考える。


――志望校は、ここだ。


前回は「安全策」を取りすぎた。

今回は違う。


「本来、受かるはずだったところ」


ちょっと背伸び。

でも無謀じゃない。

模試の判定も、悪くない。


いわゆる――

“正解っぽい挑戦”。


「……よし」


決めた瞬間、胸がすっと軽くなるかと思った。


でも、ならなかった。


代わりに浮かんだのは、「これでダメだったらどうしよう」という考えだった。


「……まあ、でも」


首を振る。


「今回は、ちゃんと考えたし」


自分に言い聞かせるように、そう呟いた。



受験当日。


試験会場の空気は、相変わらず重い。

けれど今回は、焦りがなかった。


問題を見る。

解ける。

時間配分も完璧。


――いける。


手応えは、確かにあった。


合格発表の日。

掲示板の前で、自分の番号を探す。


あった。


ちゃんと、あった。


「……受かった」


声が、少し震えた。


嬉しい。

はずだった。


なのに。


「……あれ?」


思っていたより、感情が動かない。


飛び上がるほど嬉しいわけでもなく、涙が出るわけでもなく。


ただ、


「ああ、やっぱりな」


という、妙に冷めた感想が浮かんだ。


その夜、布団に入って目を閉じると、例の声が聞こえた。


「あー、順調だねえ」


目を開けると、神様(仮)が、また勝手に座っていた。


「……いつからいたんですか」


「さっきから。番号見つけたあたり、いい顔してたよ」


「してません」


「してたしてた。“想定通り”って顔」


図星で、言葉に詰まる。


「……受かりました」


「うん」


「ちゃんと、正解を選びました」


「うんうん」


相槌が、やけに軽い。


「……それで?」


「それで、って」


「人生、変わりそう?」


神様(仮)は、湯呑みを揺らしながら聞いてくる。


「……少なくとも、前よりは」


「前より“マシ”?」


「……」


言われてみると、胸を張って「良くなった」とは言えなかった。


「ねえ」


神様(仮)が、少しだけ身を乗り出す。


「君さ。この選択、“自分で選んだ”って言える?」


「言えますよ。データも見ましたし、リスクも――」


「うん。でもさ」


言葉を遮られる。


「それ、“正解を選んだ”だけじゃない?」


その一言で、胸の奥が、嫌な感じにざわついた。


「……何が違うんですか」


「さあ?」


神様(仮)は、にやっと笑う。


「そのうちわかるんじゃない? たぶん、また使うだろうし。この力」


「……」


「寿命、減るけど」


「それ、もう聞きました」


「念押しだよ。人はだいたい、調子に乗るから」


そう言って、神様(仮)は立ち上がった。


「じゃ、次はどこをやり直す?」


部屋に残された僕は、合格通知を見つめながら、思う。


確かに、前より“いい選択”だった。

たぶん、世間的にも正解だ。


でも――


「……なんでだ」


どうして、こんなにも手応えがない。


布団に横になり、天井を見る。


正解を選んだはずなのに。

人生を一歩進めたはずなのに。


その夜、僕は初めて、「選択が正しくても、納得できないことがある」


という事実に気づき始めていた。

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