第6話 最初の報酬は、軽くて重かった

ギルドの扉を開けた瞬間、空気が昨日とは微妙に違うと感じた。

 騒がしさそのものは変わらない。笑い声も、酒の匂いも、依頼書が剥がされる音も、いつも通りだ。だが、その中に混じる視線の質が変わっている。ただの新顔を見るものではなく、値踏みするような、確認するような視線が、はっきりとこちらに向けられていた。

 昨日までの私は「登録したばかりの冒険者」だった。

 今の私は、「一度仕事を終えて戻ってきた冒険者」だ。

 その違いが、これほど空気を変えるとは思っていなかった。

 背負っていた革袋の重みを、無意識に確認する。中には、昨日解体したスキャヴァー・フォックスの素材が入っている。血の匂いは、何度も確認して拭き取ったつもりだが、完全に消えているかどうかは分からない。

「……大丈夫だ」

 誰にともなく、小さく呟く。

 素材納品用のカウンターに並ぶ。順番を待つ間、背後から小さな声が聞こえてきた。

「街道のやつ、戻ったらしいぞ」

「単独だって?」

「運が良かっただけじゃないか」

 否定も反論もする気はなかった。

 実際、運が絡んでいなかったとは言い切れない。

 順番が来て、カウンターの前に立つ。昨日と同じ職員が、書類を確認しながらこちらを見る。

「街道見回りの依頼ですね」

「……はい」

「素材の納品もありますか?」

 革袋を差し出す。

 自分の手が、ほんの少しだけ震えているのに気づいた。

 職員は中身を確認し、淡々と処理を進める。慣れた手つきだ。こちらが感じている重さや嫌悪感など、当然知ったことではない。

「スキャヴァー・フォックス、一体分。状態も問題ありません」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かに落ちた。

 終わった。

 少なくとも、仕事としては。

 だが、達成感のようなものは湧いてこない。代わりに残っているのは、まだ生々しい感触と、あの時の匂いだ。

「では、報酬になります」

 職員が、小さな木箱を差し出してきた。

 中には、銀貨が二枚。

 思ったよりも、あっさりしている。

 命懸けの結果が、たったこれだけの金属に置き換えられる。

 手に取ると、ずっしりとした重みがあった。

 軽くはない。だが、重すぎもしない。

「……銀貨二枚」

 確認するように呟く。

「見回りの基本報酬と、素材の査定分を含めています」

 職員は事務的にそう説明する。

 頭の中で、自然と換算してしまう。

 前世の感覚で言えば、一万円前後。

 良くも悪くも、現実的な数字だ。

「……安いな」

 思わず、そんな感想が浮かぶ。

 命を賭けた対価としては、正直割に合わない。

 だが、何もせずに貰える金ではない。

 前世では、月給という形でまとめて受け取っていた。

 だがその代償として、時間も体力も、気力も削られていた。

 今は違う。

 この銀貨二枚には、昨日の判断、動き、恐怖、嫌悪感、そのすべてが詰まっている。

 そう考えると、不思議と安いとも高いとも言い切れなくなった。

「……ありがとうございました」

 そう言って、銀貨を受け取る。

 嬉しさがないわけではない。

 だが、それ以上に強いのは、現実感だった。

 これが、この世界での稼ぎ方だ。

 これを積み重ねなければ、生きていけない。

 カウンターを離れ、ギルドの中を見回す。冒険者たちは、それぞれの目的で動いている。報酬を数える者、酒を飲む者、次の依頼を探す者。

 誰も、こちらの銀貨二枚に興味はない。

 それが、少しだけ救いだった。

 掲示板の前に立つが、今日は新しい依頼を見る気にはなれなかった。頭の中が、まだ昨日に引きずられている。

 ふと、また視線を感じる。中年の冒険者が、こちらを見ていた。

「初仕事、終わったんだってな」

「……はい」

「無事で何よりだ」

 それだけ言って、男は視線を外した。

 それ以上、踏み込んではこない。

 その距離感が、ありがたかった。

 ギルドを出ると、昼の光が目に入る。外の空気は、少しだけ冷たく感じた。銀貨二枚を握りしめると、指先に金属の感触が伝わる。

「……これで、宿代と食費は何日分だ?」

 自然と、そんな計算をしている自分に苦笑する。

 前世と同じだ。

 まず考えるのは、生活のこと。

 だが、それでいい。

 派手さも、夢も、後回しでいい。

 生き延びるために、必要なことを考える。

「……慎重にいこう」

 小さく呟く。

 最初の報酬は、軽かった。

 だが、その重みは、確かに胸の奥に残っている。

 この銀貨の感触を、忘れないようにしよう。

 それが、この世界で生きていくための、最初の基準になるのだから。

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