第5話 最初の依頼は、想像よりずっと現実的だった

冒険者ギルドの依頼掲示板を前に立った瞬間、思っていたよりも呼吸が浅くなっていることに気づいた。

 紙が何枚も重ねて貼られ、ところどころ剥がされた跡が残っている。依頼内容は単純なものから危険そうなものまで様々だが、共通しているのは「失敗すれば死ぬ可能性がある」という一点だった。

 討伐。

 護衛。

 素材回収。

 文字として読む分には簡単だ。だが、その一枚一枚の向こう側には、血や怪我、最悪の場合は命がある。

「……落ち着け」

 深呼吸をしながら、端から順に依頼書を見ていく。

 報酬額。

 想定される危険度。

 場所。

 自然と、条件を比較している自分に気づいた。前世で培った癖だ。仕事を選ぶ時と、やっていることは変わらない。

 その中で、一枚の依頼が目に留まった。

 ――街道の簡易見回り。

 ――魔物の痕跡がないか確認。

 ――危険度:低。

「……これだな」

 討伐ではない。

 あくまで確認作業。

 魔物に遭遇する可能性はゼロではないが、積極的に戦う前提ではない。それが、今の自分には何より重要だった。

 受付で依頼を受けると、職員は一瞬だけこちらを見てから頷いた。

「無理はしないでくださいね。初仕事でしょう?」

「……はい」

「生きて帰るのが、一番の成果ですから」

 その言葉に、少しだけ救われた気がした。

 ギルドを出ると、街道へ続く道を歩く。剣と防具の重みが、昨日よりも現実味を帯びている。だが、不思議と足は止まらなかった。

 街を離れるにつれ、人の気配が減っていく。代わりに、風の音や草の擦れる音が耳につくようになる。

「……静かだな」

 この静けさが、逆に神経を尖らせる。

 注意深く周囲を観察しながら歩いていると、地面に違和感を見つけた。

 爪痕。

 細く、規則的な跡。

「……魔物、か」

 引き返す選択肢が、頭をよぎる。

 だが、依頼は「確認」だ。距離を保てば問題ない。

 そう判断した直後、草むらが弾けた。

 現れたのは、小型の魔物だった。

 体長は大型犬ほど。灰褐色の毛に覆われ、落ち着きなく視線を動かしている。尖った鼻先と、細いが鋭い爪。

「……スキャヴァー・フォックス」

 知識として知っている名前が、自然と浮かぶ。

 逃げるか。

 戦うか。

 一瞬の逡巡の後、距離を取ろうとした。その判断が、わずかに遅れた。

 魔物が地面を蹴る。速い。

「……っ!」

 横に跳ぶ。爪が空を切り、風圧が頬を叩いた。

 反射的に剣を抜く。

 ――考えるな。身体を動かせ。

 踏み込み、力任せに剣を振る。技術はない。だが、この身体の反応速度と膂力が、それを補っている。

 刃が魔物の肩を裂いた。

 生々しい手応えに、喉が鳴る。

 魔物は怯まず、再び飛びかかってくる。

 距離を詰め、体当たりするように押し倒す。

 倒れた魔物の首元へ、剣を突き込んだ。

 骨に当たる感触。

 嫌な音。

 押し込む。

 止まるまで。

 魔物の身体が痙攣し、やがて動かなくなる。

「……はぁ、はぁ……」

 剣を抜き、距離を取る。

 周囲を確認するが、他の気配はない。

 勝った。

 その事実が、遅れて理解に追いついてくる。

 視線が、足元の死骸に向いた瞬間、胃の奥がきつく締め付けられた。

 血。

 内臓。

 まだ残る温もり。

「……気持ち悪……」

 吐き気が込み上げ、思わず口を押さえる。

 ゲームでも映像でもない。

 これは現実だ。

 依頼書の内容を思い出す。

 素材回収。

 やらなければ、報酬は減る。

 やらなければ、次がない。

「……分かってる」

 震える手で、解体を始める。刃を入れ、皮を剥ぐ。血が指に絡みつき、ぬるりと滑る。

 嫌悪感が消えることはなかった。

 ただ、止まらなかった。

 全てが終わった時、足元には原型を失った魔物の残骸が残っていた。

 その瞬間、頭の奥に何かが落ちてくる。

【条件達成:魔物討伐】

【スキル獲得:微弱予測】

「……今、か」

 戦闘中じゃない。終わってからだ。

 素材を回収し、街へ戻る。足取りは重いが、止まらない。

 ギルドで報告を済ませ、銀貨二枚を受け取る。手のひらに乗せると、ずっしりとした重みがあった。

 日本円感覚で、一万円前後。

 命を賭けた報酬としては、正直割に合わない。

「……でも」

 生きている。

 それだけで、今日は十分だ。

 ギルドを出て、深く息を吸う。

「……慎重にいこう」

 慣れてはいけない。

 だが、止まってもいけない。

 その両方を胸に刻み込みながら、私は次の一日へと歩き出した。

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