第2話 金曜日の私

 私は会計を済ませるとコンビニを出た。

 今度は冷たい風が全身に吹き付け、西の空は暮れかかったオレンジ色をしている。

 店内には戻らなかった。


(コンビニからでたのか)


 出入り口で呆然としている私を、他の客が邪魔だと言わんばかりの顔で横をすり抜けていく。

 たった今起きた出来事。

 目の前に神様が現れたこと。

 自分の身に起きた不思議な現象は、確かに生々しく実感としてのこっている。 


(でも、神様なんてーー)


 それでも、まだ信じられなかった。


 

 アパートに戻る頃に、上司からの電話が鳴った。


ーーやっと出た。

ーー自体はわかっているよね?

ーー明日以降しばらく休んでほしい。

ーー今後のことは決まり次第連絡するから、自宅待機で。

ーーこっちは対応に追われていて困っているんだよ?


 そんなような内容だった。

 私は生返事で返すしかできない。

 とりあえず、明日も休みだ。

 私は酒を飲んでやろうと心に決め、その夜はコンビニで買ったビールと缶チューハイ以外にも、家においてあった焼酎やら日本酒やらを飲みあさり、ひとり酔いつぶれしまった。

 



 真夜中に尿意で目が覚めた。

 酔いも覚めかけ、今自分の置かれている状況にうんざりしながら体を起こす。

 電気をつけるのも面倒くさくて暗がりのままトイレに向かい、用を足して戻ってきたときだった。


(ーー誰?)


 私は足を止めた。

 私がいた場所に、誰かが座っている。

 猫背のそいつはスマホを見ていた。

 小さくて四角い画面が白く光り、こちらに気づくこともなく夢中で操作を続けている。


「チャンスですよ」


 声がして振り返ると、コンビニで会った女性がそこにいた。

 見えない右手で猫背のそいつを指し示し、


「止めるなら今ですよ」


と、にこやかに、でも、圧を感じる言い方で私に訴えかける。

 そいつに近づいてようやくわかった。

 それは、私だった。

 ここに私はいるのに、別の私が目の前にいる。同じ顔の人間が座り込んで、必死に何かを打ち込んでいる。

 その異様な事実に吐き気と目眩に襲われる。


「ほら、早くしないと投稿しちゃいますよ?」


 右手の見えない女性に言われ、煌々と光るスマホを覗き込む。

 私は先輩の悪口をしたためては消していた。

 目は爛々と輝き、先輩を攻撃するのに、最も適した文言を探しているように見えた。

 

「今はいつだ? 投稿した夜なのか?」


「そうです。1月✕日、金曜日です」


 私は私に向き合うと、スマホを掴む。


「おい、やめておけ」


 私が呼びかけても、過去の私はピクリともしなかった。手首もスマホも固定されたように動かない。


「おい、後悔するって!」


 スマホを取り上げようとしても、肩を揺すっても、私はやめようとしない。私が聞こえていないし見えていない。


「どうして」

 

 どうにもできずに呆然としている私など気にもせず、過去の私は投稿する文章をついに決めたらしい。


ーーブスで貧素でキモくて時代遅れ

ーー常に偉そうなババア

ーー嫌われてることに気づけよ


 見覚えのある言葉の並びに戦慄が走った。


「やめろよ! どうしてやめないんだよ!」


 過去の私を必死に揺さぶり、叫ぶ私の背中を、トントンと叩く人がいた。


「あなたを助けてさしあげましょうか?」


 耳元で神様を名乗る女性の落ち着いた声が響く。


「私が止めてあげましょうか?」


「止められるの?」


 振り返ると、女性はゆっくりと頷いた。


「ええ、もちろん」


 私はもう、自分ではどうにもできないことをわかっていた。


「ーーお願いします。私を止めてください」


 女性は答えるかわりにゆっくりと金曜日の私の前に立つ。背中を丸めたままスマホから目を離さない姿を見て、正しく左右対称に口角が上がる。機械より正確に。


「それじゃ、止めますね」


 そういうと、勢いよく左腕を振り上げた。左手にはナタを握りしめていた。いつの間に持っていたのだろう。

 私の口元から息が漏れ、わけもわからないまま笑っていた。

 わかるのは、もう手遅れだということ。

 諦めと恐怖は交わると笑いになるのかもしれない。

 この一瞬でそんな呑気のことを考える暇があったことに驚いてしまう。

 神様と名乗る女性が振り下ろしたナタは、金曜日の私の右手首をまっすぐきり落とした。

 私はスマホごと床に転がる自分の右手を見つめるしかない。きり落とされた手首の断面から血液が溢れ出し、鼻につく匂いが部屋に充満していく。

 金曜日の私は手首とスマホをじっと見つめた後、乾いた叫び声をあげた。

 そして、床へと倒れ込み、虫のようにもがいている。床を鮮やかな血液の赤で汚していく。

 女性はそんな私を見下ろしていた。

 聖女のように優しく微笑んで。  


「これでもう大丈夫」


 そういうと、落ちた右手を拾い上げ、靄がかった自分の右手首に近づける。私の手首を自分のものとしてつなげるように。

 しかし、そんなことはできなかった。


「くっつかないか」


 がっくりと肩を落とし、私を見やる。その瞳の清らかさに背中が冷たく震える。


「あーあ。あなたのもダメだった。まだまだ探さないと」


「……何故こんなことを」


「あれ? 怒ってます?」


 女性は困ったように眉を下げ、


「でも、代償がないなんて最初から言ってないですよね?」


「ーー代償」

 

 私の声は震えていた。もうそれ以上声を発することができそうになかった。目の前には痛みのあまり床を転がる自分と、広がっていく血の匂いと汚れ。

 足と手もがガタガタと震えている。

 

「だめだったけど、あなたの右手は一応もらっていきますね」


 女性はそう言うと軽い足取りで私の右手を拾い上げる。嫌な予感は絶望へと変わった。ゆっくりと自分の右手首に視線を移した。

 そこに私の手はなく、ぼんやりと靄がかかっている。

   

「返してください」


 私は無意識に声に出していた。  

 

「ちゃんとします。反省します。挨拶も大きな声でします。ミスしたらすぐ報告して謝ります。だから、私の右手を返してください!」


 私は切れてしまった右手をどうしても返してほしかった。切れてしまってもあれは私の右手だから。


「そうだね」


 女性はやっぱり笑っている。


「あなたは可哀想だから、返してあげようかな」


「可哀想?」


「だってあの先輩、ママに似てる。ヒステリック」


 そう言うと、手に持っていた手を私に差し出す。


「この右手、どうせ合わなかったし」


「ーーあなたは右手を探しているんですか?」


「そうです。失くした右手を探しています」


「なんで失くしたんですか」


「切られちゃいました」


「えっ?」


「スマホばっかり見ていたら、ママに」


 そう言って寂しそうに笑うと、煙のように消えた。

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