第10話 それでも、復興官は判断を下す
異変は、風から始まった。
朝の空気が重い。湿り気を含み、肌にまとわりつくような暑さがある。季節の変わり目にしては、妙だった。鳥の声も少ない。代わりに、遠くで雷鳴のような低い音が、腹の底に響いてくる。
執務所の窓を開けると、空は鈍い鉛色に沈んでいた。
「……来るな」
誰に言うでもなく、そう呟く。
ほどなく、伝令が駆け込んできた。息が切れている。
「復興官殿! 北東部の監視塔から急報です!」
「要点を」
「地盤が、動いています。大崩壊時に沈下した層が、再び――」
俺は、机から立ち上がった。
「規模は」
「不明です。ただ……」
伝令は、唇を噛んだ。
「地下の魔力反応が、急激に上昇しています」
二次災害。
大崩壊の爪痕は、終わっていない。地盤、地下水、魔力循環――どれか一つが歪めば、連鎖する。
「避難計画は」
「策定中ですが……人手が足りません」
当然だ。復興の最中に、余剰はない。
俺は、壁の地図に歩み寄る。赤、青、黄の印。復興点、危険区域、切り捨て線。これまで引いてきた線が、頭の中で重なり合う。
今回は、間に合うのか。
◇
緊急会議は、短く、重かった。
現場責任者、医師、兵士の代表、配給担当。誰もが疲れ切った顔をしている。だが、目は覚めていた。危機は、人を眠らせない。
「予測では、北東部の地盤が最大で二メートル沈下する可能性があります」
「井戸は」
「三つが使用不能になる恐れ」
「難民キャンプは」
「第二、第四区画が影響圏内です」
言葉が、刃のように飛び交う。
「全員を移動させるには、時間が足りない」
「輸送手段も足りない」
「兵を増やせば、作業が止まる」
俺は、手を上げた。
「避難は、優先順位をつける」
誰も反論しなかった。
もう、この場にいる全員が知っている。
優先順位をつけない避難は、失敗する。
「子供、妊婦、負傷者を先に」
「動ける者は、最後だ」
医師が頷く。
「復興作業区画の人員は」
現場責任者が、言いにくそうに尋ねる。
俺は、答えた。
「作業を止める」
小さなどよめき。
「全員、避難に回す」
「ですが、それでは――」
「街が崩れたら、復興も何もない」
それだけで、話は終わった。
◇
避難は、混乱した。
怒号、泣き声、命令。
人は、恐怖の前で理屈を忘れる。
「なんで、あいつらが先なんだ!」
「俺たちは、どうなる!」
俺は、列の先頭に立った。
「全員、必ず移動させる!」
嘘は言わない。
だが、必ずという言葉に、条件は含まれている。
時間内に、間に合えば。
地面が、揺れた。
遠くで、鈍い音。
地鳴りだ。
「急げ!」
兵士が叫ぶ。
俺は、足を止めた。
切り捨て線が、頭に浮かぶ。
これ以上、進めば全体が崩れる地点。
これ以上、待てば、もっと多くが危険に晒される地点。
選択肢は、二つ。
線を引くか。
引かないか。
そのとき、声がした。
「……俺が、行く」
ラウルだった。
かつて責任者だった男。今は、ただの一労働者。
「まだ、動ける奴がいる。俺がまとめる」
「危険だ」
「知ってる」
彼は、笑った。
「俺が救われたのは、運だ。次は、俺が使われる番だろ」
その言葉に、周囲が静まる。
英雄の言葉じゃない。
選ばれた側の言葉だ。
「……任せる」
俺は、短く言った。
ラウルは、頷き、走り出した。
◇
沈下は、部分的だった。
最悪の事態は、免れた。
だが、被害は出た。
井戸二つが崩落。
仮設住居三十棟が使用不能。
死者は――
ゼロ。
奇跡ではない。
判断の積み重ねだ。
夕暮れ、避難先で人々が落ち着きを取り戻す。子供が泣き止み、水が配られる。
ラウルは、泥だらけで戻ってきた。
「……全員、出しました」
声は、掠れている。
「よくやった」
それだけを、伝える。
◇
夜、王都からの通達が届いた。
――臨時復興官、カナメ・シオザキ。
――王都への帰還を命ずる。
――後任は、近日中に派遣。
紙は、薄かった。
だが、重い。
逃げ道が、示されたのだ。
ここを離れれば、判断は他人の手に渡る。
恨みも、迷いも、背負わずに済む。
俺は、窓の外を見る。
避難地で灯る、無数の小さな明かり。
人々は、生きている。
執務所の扉が、ノックされた。
「……復興官殿」
エルネスト司祭だった。
「通達、届きましたか」
「ああ」
「あなたは、行くべきです」
彼は、静かに言う。
「ここで築いたものは、制度になります。あなたがいなくても、回る」
それは、半分は本当だ。
半分は、嘘だ。
「あなたは、疲れすぎている」
「そうかもしれない」
俺は、机に置かれた地図を見た。
「だが、線を引いたのは俺だ」
司祭は、目を伏せた。
「……それでも?」
「それでも」
答えは、最初から決まっていた。
紙を折り、ペンを取る。
――辞令、保留。
――後任派遣、延期を要請。
サインを入れる。
英雄には、ならない。
逃げることも、しない。
俺は、復興官だからだ。
判断を下し、
恨まれ、
それでも残る。
それが、この街を守る唯一の方法だと、
俺は信じている。
明日も、線を引く。
今日より、少しだけ慎重に。
それでも――
復興官は、判断を下す。
それでも人を選ばなければならない―復興官は英雄になれない @UMABAKA
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