第6話 秩序を守るために、悪を許す
最初にその提案が出たとき、俺は即答しなかった。
即答できる内容ではなかったからだ。
執務所の机に広げられた地図の上、赤い印が三つ付けられている。いずれも、復興が遅れている区域。瓦礫撤去が進まず、井戸の掘り直しも滞り、仮設住居の建設が止まっている。
「人手が、決定的に足りません」
そう言ったのは、復興作業を統括している現場責任者だった。日焼けした顔に疲労が滲み、声には諦めが混じっている。
「志願者はいます。ただ……」
「続けてくれ」
「続かないんです。三日、四日が限界だ。配給を上乗せしても、体力が持たない」
当然だ。
瓦礫撤去は重労働だ。魔力補助具も不足している今、人力に頼る部分が大きい。空腹と疲労が重なれば、誰だって倒れる。
俺は地図を見つめたまま、尋ねた。
「他の案は」
現場責任者は、一瞬だけ視線を逸らした。
「……あります」
嫌な予感がした。
「ヴァルド帝国式の、労働編成です」
その言葉が出た瞬間、執務所の空気が変わった。
ヴァルド帝国。
力による秩序を肯定し、奴隷制度を公然と採用している国家。
「具体的には」
俺は、声の調子を変えずに促した。
「犯罪者と、身寄りのない流民を労働に回します。逃亡防止のための拘束は必要ですが……」
「奴隷だな」
現場責任者は、否定しなかった。
「名前をどう付けても、やっていることは同じです」
正直な男だ。
だからこそ、この場にいる。
俺は、深く息を吸った。
ルヴェリア王国では、奴隷制度は公式には禁止されている。
だが、実態として黙認されている場面があることも、俺は知っている。
地下労働。
債務による拘束。
名目を変えただけの、強制労働。
見ないふりをしてきた現実だ。
「それを導入すれば、復興は進むか」
「進みます」
即答だった。
「逃げられない人間は、休みません。倒れるまで使えます」
吐き気がした。
だが、目を逸らさなかった。
「死者は」
「出ます」
それも、即答。
「今よりは、多くない」
その一言が、重くのしかかる。
今、復興が止まっている区域では、井戸の水質悪化が進んでいる。放置すれば疫病が出る。疫病が出れば、死者は数十、数百単位になる。
奴隷労働を導入すれば、死者は出る。
だが、数は減る。
数字の話だ。
いつもの判断だ。
「……法的な問題は」
「非常措置として、復興官の臨時判断権で押し切れます」
現場責任者は、覚悟を決めた顔をしていた。
「ただし」
彼は続ける。
「あなたが、すべてを被ることになります」
俺は、笑った。
「今さらだな」
◇
導入は、静かに行われた。
表向きの名目は、「矯正労働」。
軽犯罪者と、身寄りのない流民を対象に、一定期間の労働を義務付ける。その代わり、食料と最低限の医療を保障する。
書類上は、合法だ。
だが、現場で行われていることは、奴隷と変わらない。
手枷は付けない。
だが、監視は付ける。
逃げれば、配給を止める。
それだけで、人は縛られる。
初日、作業は驚くほど進んだ。
瓦礫が撤去され、地面が見え、井戸掘りが始まる。
「……すげえな」
誰かが、呟いた。
俺は、その言葉を聞き逃さなかった。
成果が出る悪ほど、扱いにくいものはない。
◇
三日目、最初の死者が出た。
若い男だった。
名前は、帳簿の端に書かれているだけだ。
過労。
それだけで片付けられた。
俺は、現場に向かった。
死体の横で、他の労働者たちが黙って立っている。
誰も泣かない。
怒りも見せない。
諦めている。
「……続けるのか」
現場責任者が、低い声で尋ねた。
俺は、即答しなかった。
ここで止めれば、復興は再び滞る。
続ければ、また死ぬ。
だが、止めた先で死ぬ人数は、もっと多い。
「続ける」
言葉は、喉を裂くように重かった。
その瞬間、誰かが俺を睨んだ。
労働者の一人だ。
「……あんたは、安全なところから命令するだけだ」
正しい。
俺は、何も言い返さなかった。
◇
その夜、祈祷所で騒ぎが起きた。
「神は、この労働をお許しにならない!」
救済正教会の年配司祭が、声を張り上げている。
「人を鎖で縛る行為は、神への冒涜だ!」
人々が集まり、ざわめきが広がる。
祈る者、頷く者、冷めた目で見る者。
エルネスト司祭が、俺の前に立った。
「復興官殿。これは、行き過ぎです」
「秩序は、保たれている」
俺は、事実を述べた。
「秩序のために、人を犠牲にするのですか」
「今までも、してきた」
言葉にすると、あまりに冷たい。
「選ばなければ、もっと死ぬ」
エルネストは、目を伏せた。
「……あなたは、自分が何をしているかわかっていますか」
「わかっている」
だから、逃げない。
「これは、悪だ」
はっきりと言った。
「だが、必要な悪だ」
祈祷所の空気が、凍りついた。
善意より、悪の方が正直なときがある。
◇
翌朝、報告が入る。
復興区域の井戸、使用可能。
感染症、拡大なし。
数字は、結果を示している。
だが、夜になると、俺は眠れない。
目を閉じると、倒れた若い男の顔が浮かぶ。
祈祷所で俺を睨んだ視線が、突き刺さる。
秩序を守るために、悪を許した。
それが、正しかったのかどうか。
答えは、また遅れてやってくる。
だが、俺は知っている。
一度許した悪は、次の判断で基準になる。
それでも、明日も俺は現場に立つ。
悪を自覚したまま。
それが、復興官の仕事だからだ。
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