第3話 救われる命は、平等ではない

王都からの使者が到着したのは、昼を少し回った頃だった。

 黒塗りの馬車は、瓦礫と簡易天幕が並ぶ街道では明らかに浮いていた。護衛の兵士は四人。鎧は磨かれ、傷一つない。復興現場で見る兵とは違う。戦っていない兵の装備だ。

 執務所の前で馬車が止まり、扉が開く。

「臨時復興官、カナメ・シオザキ殿だな」

 降りてきたのは、細身の男だった。年齢は四十代半ば。華美ではないが質の良い衣服を身につけ、背筋が伸びている。

 地位のある人間が、意図的に目立たない格好をしている。

 それだけで、厄介さがわかった。

「王都より参った。名はユリウス。宰相エーデルハルトの代理だ」

 宰相の名が出た瞬間、空気が一段階重くなる。

 俺は一礼し、応接用の椅子を勧めた。

「早速だが、本題に入ろう」

 ユリウスは腰を下ろすと同時に、書類を机の上に置いた。封蝋付き。正式な通達だ。

「医療物資の配分についてだ。君の判断で、貴族領への供給が後回しにされている」

「事実です」

 否定しない。

 否定すれば、話はそこで終わる。

「理由を聞こう」

「難民キャンプで疫病の兆候が出ています。今止めなければ、被害は指数関数的に広がる」

 ユリウスは頷いた。

 理解はしている。だが納得はしていない。その表情だ。

「承知している。しかしな」

 彼は淡々と続ける。

「地方伯ローデリヒの嫡男が倒れた。重体だ」

 来たか、と内心で息を吐く。

 地方伯。

 この地域を治める有力貴族。

 その後継者。

「治癒魔法に長けた医師を、優先的に回してほしい。物資も含めてだ」

「それをすれば、難民キャンプで死者が出ます」

「出るだろうな」

 即答だった。

 迷いがない。

「だが、貴族の後継者が死ねば、領地は混乱する。混乱すれば復興は遅れ、結果として死ぬ人数は増える」

 正論だ。

 数字の上では。

 俺は、少しだけ間を置いた。

「確認します。その嫡男は、今すぐ死にますか」

「……いや。今日明日ではない」

「難民キャンプでは、今夜にも死にます」

 ユリウスの眉が、わずかに動いた。

「だからこそだ」

 彼は言う。

「今救える“価値の高い命”を優先すべきだ」

 価値。

 その言葉が、静かに場を切り裂く。

 俺は、否定しなかった。

 否定すれば、この男は“現場の感情論者”として俺を切る。

「あなたの理屈は、理解できます」

 ユリウスは満足そうに頷く。

「ならば――」

「ですが」

 俺は、言葉を重ねた。

「その判断を、誰が公に引き受けますか」

「……何?」

「貴族を救うために、難民を切り捨てた。そう公表したとき、責任を負うのは誰です」

 沈黙が落ちた。

「私ですか。宰相ですか。それとも、王ですか」

 ユリウスは、初めて言葉に詰まった。

「君は、踏み込みすぎだ」

「踏み込まなければ、現場は壊れます」

 俺は静かに言う。

「昨日、難民キャンプは暴動寸前までいきました。抑えましたが、次はわかりません」

 ユリウスの表情が変わる。

 想定外の情報だったのだろう。

「もしここで貴族を優先すれば、現場の信頼は完全に失われます。復興作業は止まり、結果として北部復興点も遅れます」

 俺は、机の上に一枚の報告書を置いた。

「これは感情論ではありません。現場の数字です」

 ユリウスは書類に目を落とし、しばらく黙った。

 彼は無能ではない。

 だからこそ、話ができる。

「……代案は」

 その一言を、俺は待っていた。

「医師一人を、交代制で派遣します。完全治癒は行わない。命を繋ぐだけです」

「それでは、後遺症が残る可能性が――」

「承知しています」

 言葉を重ねる。

「難民キャンプへの物資供給は維持します。疫病を止める方が、結果的に多く救えます」

 長い沈黙。

 やがて、ユリウスは小さく息を吐いた。

「貴族側は、不満を持つぞ」

「承知しています」

「君個人への圧力も、強くなる」

「それも、承知しています」

 彼は俺をじっと見た。

「英雄になるつもりはないようだな」

 俺は首を横に振る。

「英雄になった瞬間、誰かが免罪されます」

 ユリウスは、苦笑した。

「……現場の人間らしい答えだ」

 立ち上がり、去り際に言う。

「今回の判断、宰相には“現場判断として妥当”と報告する。ただし――」

「はい」

「次は、もっと露骨な要求が来る」

 扉が閉まる。

 俺は、椅子にもたれ、静かに息を吐いた。

 ◇

 夕方、難民キャンプから報告が入る。

 医療対応が間に合い、今夜の死者は出なかった。

 一方で、貴族領からは苦情が届く。

 予想通りだ。

 救われる命は、平等ではない。

 だが、不平等を誰が決めるのかは、別の問題だ。

 今日、俺は判断を下した。

 そして、確実に敵を作った。

 それでも――

 現場で血が流れなかった。

 今は、それだけでいい。

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