第2話 暴動は、正しい怒りから始まる
難民キャンプの朝は、いつもより静かだった。
静けさは、安心の兆しではない。
人の声が減るのは、怒りが消えたからではなく、溜め込まれているからだ。
簡易天幕が無秩序に並び、通路と呼ぶには狭すぎる隙間を人々が行き交う。土の地面は踏み固められ、ところどころに水たまりが残っている。夜露と排泄物と生活排水が混ざった匂いが、空気に染みついていた。
配給列は、いつもより整然としている。
それが、かえって不気味だった。
人は、空腹に慣れることはない。だが、奪われる予感には、すぐに慣れる。
俺は列の外側を歩きながら、一人ひとりの顔を見る。
目を合わせない者。
睨みつけてくる者。
期待と疑念を同時に浮かべている者。
そのすべてが、俺――臨時復興官に向けられている。
「官吏殿……」
配給担当の下級官が、小声で近づいてきた。
目の下に濃い隈ができている。昨日、ほとんど眠れていない顔だ。
「今朝から、揉め事が三件。食料の量を巡ってです」
「殴り合いは」
「まだ、です」
まだ。
その言葉ほど、信用できないものはない。
「原因は」
「噂です。配給が減る、と」
俺は頷いた。
噂は、すでに事実になりつつある。
昨日、王都から再配分令が出た。北部復興点で井戸が枯れ、感染症の兆候がある。対応を誤れば、被害は王都にまで及ぶ。
だから、このキャンプの配給は一割削減される。
書類の上では、合理的だ。
だが、腹を空かせている人間にとって、一割は生死の境界線になる。
「掲示板の前が、危険です」
下級官が視線を向けた先に、人だかりができている。
誰かが、声を張り上げていた。
「――まただ! また俺たちの分が削られる!」
若い男だった。痩せているが、声はよく通る。怒鳴ってはいるが、言葉は整理されている。
感情だけの扇動ではない。理屈を持った怒りだ。
「北の復興点? 聞こえはいい! だが、俺たちは何だ! 後回しにされるために生きてるのか!」
周囲がざわめく。
否定の声はない。賛同の気配が、確実に広がっている。
兵士が二人、掲示板に近づこうとする。
俺は、即座に手を上げた。
「下がれ」
「しかし――」
「今、剣を見せたら終わりだ」
兵士は不満そうに歯を食いしばったが、距離を取った。
暴動は、抑えようとして起こる。
俺は、掲示板の前に進み出た。
扇動していた男と、目が合う。
彼は一瞬、言葉を切ったが、すぐに再開しようとした。
その前に、俺が口を開く。
「配給は減る」
ざわめきが、一気に広がる。
「事実だ。否定しない」
さらに騒がしくなる。
人は、否定されるより、認められた方が話を聞く。
「理由も言う。北部復興点で井戸が枯れた。放置すれば、疫病が出る」
「だから俺たちを削るのか!」
怒号が飛ぶ。
当然だ。理由は、納得を生まない。
「削る」
俺は、はっきり言った。
「だが、一割だ。三割でも半分でもない」
「同じだ!」
「同じじゃない」
即座に返す。
「一割なら、生き残れる。半分なら、死ぬ」
静まり返る。
人は、自分が死ぬかどうかの話になると、耳を傾ける。
「代わりに、条件を出す」
俺は続ける。
「このキャンプから、復興作業に出る人間を募る。日数に応じて、配給を上乗せする」
不満と期待が、同時に広がる。
「働けない者はどうなる!」
「子供は!」
声が飛ぶ。
俺は、一つずつ拾う。
「働けない者の分は、上乗せ分から回す。子供は対象外だ。代わりに、炊き出しを増やす」
「信じられない!」
年配の女が叫ぶ。腕には、痩せた子供。
「信じなくていい」
俺は、視線を逸らさずに言った。
「だが、暴れれば今日の配給は止まる。止める権限が、俺にはある」
脅しだ。
だが、事実だ。
重要なのは、その次だ。
「俺は、止めたくない」
沈黙が落ちる。
「怒っていい。疑っていい」
俺は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「だが、殴るな。殴った瞬間、選択肢は一つ減る」
扇動していた男が、口を開いた。
「……あんた、名前は」
「カナメ。復興官だ」
「英雄じゃないんだな」
俺は、首を横に振った。
「英雄なら、ここに立たない」
どこかで、小さな笑いが起きた。
緊張が、わずかに緩む。
「怒っている人間を黙らせたいなら、正論じゃない」
俺は、最後にそう言った。
「自分は見捨てられていないと思わせる言葉だ」
誰も、すぐには動かなかった。
だが、剣は抜かれなかった。
暴動は、起きなかった。
◇
執務所に戻る途中、下級官が小さく呟いた。
「……正解だったのでしょうか」
俺は、歩みを止めた。
「正解かどうかは、あとでしかわからない」
配給量は減る。
不満は残る。
怒りも消えていない。
それでも、今日は血が流れなかった。
それだけで、この判断には意味がある。
夜、報告書を書きながら、俺は思う。
暴動は、悪意から始まらない。
正しい怒りから始まる。
そして、その怒りにどう向き合うかが、
復興官という仕事の、本質だ。
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