それでも人を選ばなければならない―復興官は英雄になれない

@UMABAKA

第1話 それでも、誰かを選ばなければならない

最初に救おうとした人間は、俺が判断を下す前に死んだ。

 石造りの倉庫は、もはや倉庫と呼べる形を保っていなかった。壁の半分は崩れ落ち、梁は途中で折れ、瓦礫の山が無秩序に積み重なっている。魔力暴走による地盤沈下で基礎が歪み、修復を待つ前に、今日の余震で完全に耐え切れなくなったのだ。

 その瓦礫の前で、老人は仰向けに倒れていた。

 胸は動かず、喉も鳴らない。目だけが開いたまま、曇った空を映している。血は出ていなかった。外傷も、致命的なものはない。ただ、瓦礫に押し潰され、粉塵を吸い込み、呼吸が止まった。それだけのことだ。

 この世界では、珍しくもない死に方だった。

 周囲には、十人ほどの人間が集まっている。家族か、知人か、あるいは通りがかっただけの者か。誰も声を上げない。泣き叫ぶ者も、怒鳴る者もいない。ただ、沈黙と、こちらに向けられた視線だけがある。

 その視線の先にいるのが、俺だった。

 ――臨時復興官。

 ルヴェリア王国が、大崩壊後に設けた役職。

 災害現場での最終判断を下す権限と、結果の責任を一手に引き受ける存在。

 英雄ではない。

 勇者でもない。

 むしろ、誰かに恨まれることを前提に置かれた役職だ。

 俺は膝をつき、老人の首元に指を当てた。脈はない。冷たくなり始めている。確認する意味など、本当はない。それでも、そうしなければ次の判断に進めなかった。

 ――間に合わなかった。

 周囲の誰かが、そう呟いた。

 だが、それは正確ではない。

 本当は、間に合わせなかった。

 倉庫の奥には、まだ生きている人間が二人いた。

 一本の太い梁に脚を挟まれ、激痛に歯を食いしばる若い労働者。

 腹部を強く打ち、浅い呼吸を繰り返す妊婦。

 どちらも重傷だ。放置すれば、確実に死ぬ。

 現場にいる治癒魔法の使い手は三人。だが、この地区は魔力循環が乱れている。大崩壊以降、こうした場所では魔法の効率が極端に落ちる。完全な治癒が可能なのは、一人分が限界だった。

 選択肢は、三つ。

 全員を中途半端に治療し、全員を失うか。

 一人を確実に救い、残りを切り捨てるか。

 判断を先延ばしにし、成り行きに任せるか。

 最後の選択肢は、選択肢ですらない。

 それは「選ばない」という名の逃避であり、責任放棄だ。

「……労働者を優先する」

 俺の声は、驚くほど静かだった。

 妊婦は、その言葉を聞いた瞬間、唇を噛みしめた。声は出さなかった。ただ、腹に手を当て、目を伏せる。

 老人は、何も言わなかった。最初から、何も言えなかったのかもしれない。ただ、目だけがこちらを向いていた。

 理由は、明確だった。

 労働者は、復興作業に必要不可欠な人材だ。瓦礫の撤去、井戸の掘り直し、簡易住居の建設。彼が生き残れば、十人分の働きをする。

 妊婦は、衰弱が激しく、治癒の成功率が低い。

 老人は――正直に言えば、未来がない。

 冷酷な計算だ。

 だが、合理的な判断でもある。

 報告書に書けば、誰も否定しない。

 王都の官僚も、宰相も、王でさえも。

 俺が治癒魔法の指示を出すまでの数分間、老人は生きていた。その間、俺は「最適解」を計算していた。救える数を最大化するための、最も効率のいい選択を。

 そして、老人は死んだ。

「……臨時復興官殿」

 背後から、低い声がかかる。守備隊の隊長だ。鎧には修復跡が多く、この地域がどれほどの被害を受けているかを雄弁に物語っている。

「次の復興点の指定を。本部が急いでいます」

 俺は立ち上がり、短く頷いた。

「わかりました」

 死体の前から離れ、次の現場へ向かう。

 それが、この役職に就いた人間の務めだ。

 ◇

 この世界に来てから、三年が経つ。

 俺の名は、カナメ・シオザキ。

 元いた世界では、日本の地方自治体で災害対策に関わっていた。地震、水害、土砂崩れ。避難所で怒鳴られ、机の上で数字と向き合い、「救えない理由」を説明する側の人間だった。

 目を覚ましたとき、世界は変わっていた。

 魔力と魔法が存在する世界。

 そして、その魔力が暴走し、文明を半壊させた後の世界。

 人々はそれを、大崩壊と呼ぶ。

 原因は不明だ。神の裁きだと語る宗教もあれば、古代魔法文明の失敗だと主張する学者もいる。だが、真実が何であれ、結果は同じだった。

 都市は沈み、農地は荒れ、物流は途絶えた。

 国家は存続しているが、機能は歪んでいる。

 そして、人の命は軽くなった。

 軽くしなければ、誰も生き残れなかったからだ。

 俺が臨時復興官に任命されたのは、偶然ではない。剣も振れず、強力な魔法も使えない代わりに、俺は「順番」を知っていた。

 何を先に救うべきか。

 何を後回しにすべきか。

 そして、どこで線を引くべきか。

 その線は、切り捨て線と呼ばれている。

 執務所に戻ると、机の上には報告書が積まれていた。

 食料再配分の要請。

 井戸の水質悪化。

 難民キャンプの過密化。

 俺は一枚ずつ目を通し、復興点を指定し、切り捨て線を引く。

 すべてを救う方法は、存在しない。

 だからこそ、救える数を最大化するしかない。

 だが――

 夜、灯りを落とした執務所で、一人になると、必ず思い出す。

 開いたままの目。

 何も言わず、ただこちらを見ていた老人の顔。

 机の端に置かれた木札に、視線を落とす。

 そこには、簡素な文字で刻まれている。

 ――復興官。

 英雄でも、勇者でもない。

 称賛されることもない。

 人を救うために、人を選ぶ。

 街を立て直すために、心を削る。

 それが、この世界で俺に与えられた役割だ。

 もし、いつかこの仕事が不要になる日が来るなら。

 そのとき俺は、胸を張って職を捨てられるだろう。

 だが今は――

 それでも、誰かを選ばなければならない。

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