第十三章 共有する意識
さてさて、「可能性」という言葉を使い始めると、何でもありになってしまう。
そして、こんな疑問も生まれるかもしれない。
――脳内シミュレーションだけで、十分なのではないか。
――世界を創ると言っても、それは結局、ただの夢や空想ではないのか。
重要なのが「意志」や「意識」なのだとしたら、なぜ、わざわざ物理的なかたちにする必要があるのか。
そう思うことは、ごく自然なことだと思う。
たしかに、創造する世界は、妄想かもしれないし、願望かもしれない。
だが、「素材」がなければ、妄想そのものさえ生まれない。
そして、「可視化する」という行為には、明確な理由と意味がある。
それを考えるうえで、わかりやすい例が、睡眠中に見る夢である。
夢の世界は不思議だ。
現実世界とよく似た物理法則を持つ世界もあれば、まったく自由で、現実では成立しないことが当たり前のように起こる世界もある。
そして、人によっては、何度も繰り返し訪れる「同じ世界の夢」を見ることがある。
それは、同じ場面を再生しているのではない。
「同じ世界」に、何度も足を運んでいる感覚に近い。
私にも、いくつかの行きつけの夢の世界がある。
そのうちの一つは、「人によって、見える人や物が異なる世界」だ。
その夢の世界は、現実世界とよく似ている。
街があり、人がいて、日常がある。
だが決定的に違うのは、ある人には見えている存在が、別の人にはまったく見えていない、という点だ。
その夢の世界では、人によって世界の「見え方」が違うのではない。
人によって、「存在そのものが見えたり、見えなかったりする」のである。
おそらくそこでは、人の「意識」そのものが、視覚や認識として反映されているのだろう。
意識の状態が、そのまま世界の構造になっているように感じられる。
現実世界では成立しないことが、夢の世界では成立する。
そうであるならば、創造する世界でしか成立しない法則があっても、不思議ではないはずだ。
夢を見る仕組みについては、いまだ完全には解明されていないが、過去の記憶や感情、得た情報が再構成されていると考えられている。
それらが、無意識のうちに組み合わさり、物語として立ち上がる。
この宇宙の仮則では、意識もまたエネルギーであり、現実世界での無意識による共鳴が、夢の世界にも影響を与えていると考えている。
私たちは、同じ空気を共有するように、目に見えない「意識」もまた、どこかで共有しているのではないだろうか。
だからこそ、自分では知り得ないはずのことを、「夢の中で知る」瞬間があるのかもしれない。
それは、誰かの記憶や想像、あるいは、同じ世界を見ている別の存在との共鳴なのかもしれない。
もっとも、複雑なことはよくわからない。
結局のところ、夢も空想も、脳内の出来事である。
起きているか、眠っているかの違いがあるだけで、どちらにも「意識」は存在している。
現実世界でインプットした素材が、夢の世界で無意識に構成される。
そして、夢の世界で得た素材を、現実世界にアウトプットできるのは、意識を持って起きている時間だけである。
だからこそ、「可視化する」という行為に意味があるのだ。
意識だけでも共鳴は起こると考えている。
だが、この宇宙は広く、意識はすぐに分散してしまう。
そこで、この世界の物理的な「物」を使うことで、共鳴は増幅され、より多くの存在に影響を与える可能性が生まれる。
誰かが創った世界が、また別の誰かが世界を創るための素材になることも、あるかもしれないのだ。
――現実が夢を創り出し、夢が現実を創り出す――
夢の世界を豊かにするために、起きている間に素材を集める。
もはや、「現実世界を楽しむことは、睡眠時に見る夢のための準備である」と言っても、過言ではない。
同時に、この宇宙を存続させるための行為でもあるのかもしれないのだから。
そう考えると、創造する世界を何らかのかたちにすることも、決して無意味ではないと思うのである。
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