第十二章 創造する意味
さて、そろそろ疑心感が生まれているかもしれない。
この宇宙の向こう側に世界を創るなどという発想は、ただの妄想であり、都合のよい仮則にすぎないのではないか。
そんなファンタジーめいた話は信じられないし、結局は「現実逃避」なのではないか、と。
あるいは、こう思うかもしれない。
――純粋に、この世界を楽しめばいいのではないか?――
それは、もっともな意見である。
せっかくこの世界に存在しているのだから、この世界の中で楽しむことは、とても大切だ。
そう、「だからこそ」なのである。
この世界を楽しむことが大事であるからこそ、私は「新しい世界を創る必要がある」とも考えている。
ここで一度、この宇宙の仮則を前提として、少しだけ科学的な視点に寄って考えてみたい。
あくまで仮則ではあるが、そこに重なるものとして思い浮かぶのが、「エントロピーの法則」である。
エントロピーの法則とは、簡単に言えば、「秩序は、何もしなければ必ず乱れていく」という、万物に共通する傾向を示したものである。
秩序を保つためにはエネルギーが必要であり、放っておけば、すべては分散し、散っていく。
これまで、この宇宙が他の世界と共鳴し、影響し合っている可能性について仮則を述べてきた。
しかし同時に、この宇宙だけが特殊な状態で存在しており、すべてがこの宇宙の内部で完結している可能性も否定していない。
ゆえに、懸念している点は後者の場合である。
もしそうだとしたら、この宇宙が誕生した瞬間から、現在、そして遥か未来に至るまで、存在するすべてのエネルギーは、この宇宙空間の中に限られていることになる。
この宇宙には壁が見当たらず、広がり続けているように見えたとしても、最初に与えられたエネルギーには、ある程度の限りがあるはずだ。
そして、もし変化が起こらなければ、エネルギーはやがて分散し、秩序は崩れ、消滅へと向かう。
現在、この宇宙は膨張していると観測されている。
それ自体は、希望のある事実のようにも見える。
だが、「本当に膨張しているのか」という点に、わずかな違和感を覚えている。
もしそれが、エネルギーの増幅による拡張ではなく、「ただ形を変えながら分散している状態」を、「膨張」と認識しているだけだとしたら……。
あるいは、観測精度の問題で、実際には長い時間、大きな変化が起きていないのだとしたら……。
その場合、この宇宙はすでに限界に近づいており、今はただ、「消滅へ向かう過程を進んでいるだけ」、という見方もできてしまう。
ここで、この宇宙の仮則が重要となるのだ。
――意識もまた、エネルギーである――
人類の誕生以降、この世界では、膨大な数の意識が生まれ続けてきた。
思考し、感じ、選択し、創造する意識は、確かにこの世界に影響を与えているように見える。
もし、意識が新たなエネルギーを生み出しているのなら、この宇宙はまだ安全だと言えるかもしれない。
意識というエネルギーによる変化が生まれ続ける限り、秩序は更新され、この世界は続いていく。
しかし、もし生み出されるエネルギーの「本質」が変わらないのだとしたら、どうだろう。
量だけが増え、質が変わらなければ、それは新しいエネルギーではなく、むしろ分散を早めているだけかもしれないのだ。
人類の歴史は長いものではあるが、もしそれが、過去の人類の「繰り返し」にすぎないのだとしたら――。
だから、私は思うのだ。
新しい世界を創造するという行為は、この宇宙に「異なる質のエネルギー」を与える試みなのではないか、と。
それは、決して逃避ではない。
現実を否定することでもない。
この世界を本気で楽しみ、この世界を本気で生きるからこそ、その先に、まだ見たことのない可能性を生み出そうとすること。
それ自体が、この宇宙にとっての「進化」になり得るのではないだろうか。
この宇宙が、この先も存在するために――。
――すべては、仮則にすぎない。
それでも、そんな可能性もある限り、「世界を創造する可能性」に、賭けてみたいと思うのである。
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