第十一章 意識はどこにあるのか

 第十章では、「世界を創る」という行為について考えてきた。

 だが、その過程で、どうしても避けて通れない疑問が一つ残っている。


 ――世界の内側と外側を分けているものとは、いったい何なのか。


 それは、空間の違いだろうか。

 次元の違いだろうか。

 あるいは、現実と非現実の違いなのだろうか。


 だが、ここまで仮則を積み重ねてきた今、私にはそうは思えない。


 内側と外側を分けている定義とは、ただ「意識がどこにあるか」という違いだけなのかもしれない。


 人は、目の前の現実世界を「現実」と呼ぶ。

 同時に、画面の中の世界や、物語の世界、夢の世界を「非現実」と呼ぶ。


 しかし、それらの違いは、本当に本質的なものなのだろうか。


 自分自身の意識が、どこに向いているのか。

 それだけで、世界の見え方は大きく変わってしまう。


 完全に現実から意識を切り離してしまえば、人はこの世界で生きていけない。

 一方で、完全に現実に没入しすぎれば、自分自身の世界を見失ってしまう。


 つまり、完全に離れることも、完全に没入することも、どちらも危ういのである。


 重要なのは、自分の意識が「今、どこにあるのか」を知っていることだ。


 意識は、放っておけば、見えるもの、聞こえるもの、感じるものに、無意識のうちに共鳴してしまう。

 それは良い影響もあれば、望まない影響もある。


 だからこそ、意識的に「何に触れるか」「何に向き合うか」を選ぶ必要がある。


 要するに、これは世界創りにおける非常に重要な「訓練」である。


 理想の世界を創るとは、理想としないものを排除することではない。

 分断することでも、否定することでもない。


 大切なのは、棲み分けである。


 現実世界で生きることと、自分の世界を創造すること。

 そのどちらかを捨てるのではなく、意識の位置を行き来できる状態を保つこと。


 それこそが、この世界から「脱出できる可能性」と、新たな世界を「選択できる可能性」の正体なのかもしれない。


 脱出とは、どこかへ逃げることではない。

 意識の向きを、自由に選べるようになることなのだ。


 この宇宙において、意識とは、意志があれば、自由なのである。

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