この手に触れて 時を止めて
ろく
第1話
初夏の庭園は鮮やかな花が咲き乱れているにも関わらず、どこか寒々とした空気に包まれていた。それは散在する黒曜石の硬質さのせいだろうか。
「姫さん」
背後から声をかけられ、シルフィエットは顔を上げた。振り返る姿は背筋が真っ直ぐ伸び頭の位置に振れがない。サラリと腰まで伸びた銀の髪は日の光を受け緑がかった光を帯び揺れた。庭園を囲む腰壁の向こうに広がる海よりも暗く深い蒼の双眸は、静かに感情を潜めている。
声をかけた衛兵の青年アルベールは、立てた親指で気だるげに自分の背後を指した。前髪を盛り立てるように香油でまとめ上げた赤みの強い茶髪が、顎をしゃくる動きに合わせ、微かに揺れた。
「客ですよ」
無礼な物言いに構わず、シルフィエットは黒い布面をつける。この庭園で暮らすようになってから、対人の際は着用を義務付けられていた。
準備が整ったシルフィエットは、アルベールに無言で視線を向ける。
程なくして、庭園に連れてこられたのは、若い男女と一人の幼子だった。一見して親子とわかる空気を纏い寄り添っている。
「どうか息子を治してください【カリーヌ】様」
押し出されるように前に立たされた幼子は5歳程の男児。母親が腕にかけている布を取り去ると黒く艶のある硬質な塊が現れる。
黒曜石の腕だった。指の先から肘の上までが何かを掴もうとする瞬間をとどめた黒曜石の彫刻作品の様だった。
シルフィエットは静かな眼差しをその腕に注ぎ、頷く。アルベールが彼女の分厚い鎧のような手袋を支え持つとするりとその手を抜き出した。
陶器のように白い手。先へ行くほどにほっそりとする長い指の先には何も飾らない爪が丸くきれいに整えられている。
シルフィエットは
シルフィエットが距離を置くのを待つ間ももどかしい様子で母親は息子に飛びついた。母親が恐る恐る触れる幼子の腕は柔らかな曲線を帯びた年相応のものだった。
「ボクの手、動くよ!!」
幼子は手を何度も握ったり開いたりした後、花咲く様な笑顔でシルフィエットを見上げた。その幼子を歓喜の叫びをあげながら両親は抱きしめる。
感情を見せなかったシルフィエットの目尻もほんの少し緩んだその時だった。
父親が打たれたように肩を震わせた。それが合図であるかのように両親二人ともがガタガタと震えだす。礼の言葉を何度も唱えるように口にしながら、半ば息子を引きずるようにして庭園を後にした。案内役の兵に連れられ遠ざかる三つの後ろ姿を、シルフィエットは再び感情を潜めた瞳で見つめる。
「あの態度はねぇよなぁ」
アルベールが肩をすくめて緩くあざ笑うかの声を出す。
それから、
「ああ、もう次が来たみたいですよ」
後ろへ流すよう整えた横髪を撫でつけつつ、後ろへ視線を投げた。
親子と入れ替わるように別の兵に連れられてきたのは初老の男性一人。
黒い足を引きずるようにして庭園へ入ってきた。
「あんたが【カリーヌ】様とやらかい。早くしてくれ、おれの膝が砕けちまう前に、早く!」
シルフィエットのまだ手の届かぬ場所から、焦りを顕わに男は言い募る。
シルフィエットは男へと歩み寄った。そして苛つきに任せ身体を揺らす男の足をそっと撫で続ける。やがて男の足からも黒曜石の色がきれいに失せた。男は元通りになった足を確かめるように庭園を駆け回った。
「おおう、こんなことならもっと早くこればよ……」
良かった、と続けるつもりだったらしい男の声が途切れる。続いて響き渡る叫び声。
「ばっ、化け物!!」
男は庭園を飛び出して、入り口外で待っていた兵の手を引かんばかりの勢いで去って行った。
「姫さんよぉ、早く何とかしたほうがいいんじゃね?」
遠巻きに様子を見ていたらしいアルベールの軽薄な声が庭園に響く。
シルフィエットはぐっと手に力を込めた。
(駄目よ、止まって……)
少し前から腕の痛みとこわばりに自覚はあった。
自身の両掌から溢れ出る黒い液体を凝視する。
落ちた先に咲く花々は、ピシピシと音を立てながら次々と黒曜石の艶を纏っていった。
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