第2話 純愛は、後始末をしてくれない

桐谷澪

クラスの副委員長であり、物静かな女子だった。

 最初に声を掛けて来たのも彼女で、優しげな印象しかなかった。



 だから葉風涼は、桐谷澪のことを「安全な人間」だと思っていた。

 声は静かで、距離感も正しい。

 必要以上に近づかず、踏み込まず、期待もしない。


 それは今まであまり居ないタイプで…

 彼女の存在は、余計に胸に引っかかった。


     *


「おはようございます、葉風くん」


 朝の教室。

 澪は、いつもと変わらない調子で挨拶をしてきた。


 丁寧で、柔らかい。

 何も知らない人間が聞けば、模範的な優等生だ。


「…おはよう」


 涼はそれだけ返した。


 彼女の目は、揺れていない。

 だが…揺らさないように習慣付いた人間の目だ、と何となく理解してしまった。


 涼は悟る。


 彼女は、壊れていないんじゃない。

 壊れたまま、立っているしかないんだ。


     *


 桐谷澪は、恋をしていた。


 過去形にするには、まだ生々しい。


 柳瀬は、優しかった。

 少なくとも、最初は。


「無理しなくていいよ」

「君は、そのままでいい」


 それは、澪が一番欲しかった言葉だった。

 家庭環境がそうさせたかもしれなかった。


 触れられなくてもよかった。

 キスがなくてもよかった。


 選ばれているという感覚だけで、十分すぎるほど満たされていた。


 だから…

 別れ話も、優しかったのが致命的だった。


「桐谷さんは、真面目すぎるんだよ」


 責めていない。

 怒ってもいない。


 ただ…そう、切り捨てただけ。


 その瞬間、澪の中で純愛という言葉が死んだ。


     *


 柳瀬が刺されたと聞いたとき、澪は狼狽えたり、泣いたりしなかった。


 代わりに思ったのは…あの人は、ちゃんと終わらせてくれなかった。


 恋は終わっても、後始末は、誰もしてくれない。


 純愛は、傷の責任を取らない。


     *


 昼休み。

 澪は、意を決して涼の隣に座った。


「…葉風くんは」


 一拍、間を置いて心を整える。


「恋愛、興味ありますか?」


 整えた結果が直球だった。


 涼は、少し考えてから答える。


「ない」


 少し思案しかけたが、スムーズに声にした。


 澪は、一瞬だけ目を伏せた。


「そう、ですか…」


 失望ではない。

 安堵に近い。


 だからこそ、次の言葉が口をついて出た。


「…なら、よかった」


「何が?」


「いえ」


 それ以上、澪は何も言わなかった。


 ――期待しない相手だから、安心できる。

 その感情が、どれほど歪んでいるかも知らずに。


     *


 放課後。


 涼は一人、校舎裏を歩いていた。


 偶然、聞いてしまった声。


「…純愛とか、信じてた自分が馬鹿だった」


 澪の声だった。


「初めてだったのに。でも…あの人じゃ、無理だったんだ」


 涼は、足を止めた。


 初めて。

 純愛。


 その言葉に、嫌悪感が湧く。


 ――違う。


 初めてを壊したのは、恋じゃない。


 人間だ。


     *


 その夜。


 涼はスマホを見つめながら、思った。


 恋愛は、しない。

 純愛も、いらない。


 誰かの「初めて」を背負う資格なんて、誰にもない。


 …少なくとも、今は。


 翌日。


 澪は、いつも通り涼に微笑んだ。


 その笑顔に、期待はない。


 だが、逃げ場もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る