第3話 暴君の「お願い」と、思わぬ再会?

サクサクとしたパイ生地の中から、とろけるような栗の甘みが広がる。

 カカオの香りが漂うお茶でそれを流し込むと、昨日までの「生贄としての絶望」が、まるで遠い昔の出来事のように感じられた。

​(……美味しい。こんなに幸せな気持ちで朝を迎えたのは、何年ぶりかしら)

​ 窓の外には、毒々しくも美しい紫色の森が広がっている。

 ここが魔王城であることを思い出させる光景だが、部屋の中の平穏があまりに心地よくて、私はつい独り言を漏らした。

​「……帰りたく、ないなぁ」

​「ほう、随分な言い草だな」

​ 背後から響いた低い声に、私は「ひゃんっ」と情けない声を上げて飛び上がった。

 振り返ると、そこには腕組みをして壁に寄りかかる魔王バベルがいた。

​「バ、バベル様! いつからそこに!?」

​「『帰りたくない』と言い出す前だ。……貴様、それでも一国の王女か。伝説の魔王に攫われておいて、パイを食いながら寛ぐとは。少しは恐怖して震えたらどうだ」

​ 彼は相変わらず不機嫌そうに目を細めている。

 けれど、その視線は私の食べかけのマロンパイに釘付けだった。

 ……どう見ても、食べたいのだ。この最強の魔王様は。

​「すみません。あまりに美味しかったので、つい……。バベル様も、いかがですか?」

​ 私が皿を差し出すと、彼は「ふんっ」と鼻を鳴らして顔を背けた。

​「俺は魔王だ。人間のような卑俗な欲には――」

​ グゥ、と。

 彼の言葉を遮るように、なんとも間の抜けた音が部屋に響いた。

​「…………」

「…………」

​ 沈黙が流れる。

 バベルの顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていくのが分かった。

 彼は咳払いを一つすると、誤魔化すように私へ近づき、その大きな手で私の肩を掴んだ。


「き、貴様我に呪いをか、かけたのか?」


「呪い…ですか?」

​「俺の心臓が、変なリズムを刻んでいるのだ。……毒か? 貴様、俺に毒を盛ったのか!?あるいは、何かの攻撃呪文か?」

​ ……私は、呆然とした。

 伝説の暴君。世界を滅ぼす魔王。

 そんな存在が、ただの「照れ」や「動揺」を、呪いや毒だと勘違いしているのだ。

​(なんて……なんて、純粋な人(魔王)なのかしら!)

​ 王宮にいたミドルや他の男たちは、常に計算高く、自分をどう見せるかばかりを気にしていた。

 けれど、目の前のこの男は、自分の感情に戸惑い、それを素直に「わからない」と口にしている。

​ なんだか、おかしくなってしまった。

 私は、彼の手を優しく取った。バベルは「ひっ」と短く息を呑んで固まる。

​「バベル様。それは毒でも呪いでもありません。きっと……『心』が動いた証拠ですよ」

​「心が、動いた……?」

​「はい。誰かと関わり合って、温かい気持ちになったり、ドキドキしたり。それはとても素敵なことなんです」

​ 私が微笑むと、バベルは呆然としたまま、私の手をじっと見つめていた。

 そして、蚊の鳴くような声で呟いた。

​「……温かい。人間の手というのは、これほどまでに……」

​ その瞬間だった。

​「――そこまでだ、薄汚い魔王め!!」

​ テラスの窓が轟音と共に砕け散り、銀色の鎧を纏った男が飛び込んできた。

 手にした聖剣が、青白い光を放っている。

​「マリア! 今助けてやるぞ! この俺、ミドル様がな!」

​ ……よりによって、一番来てほしくない人が、一番台無しなタイミングでやってきてしまった。

​「ミ、ミドル様!? どうしてここに……というか、窓から入ってこないでください!」

​「何を言っている! さあ、その魔王の手を放せ! 俺の婚約者に触れるな!」

​ ミドルはバベルに向かって聖剣を突きつける。

 しかし、バベルの反応は冷ややかだった。

 彼は私を自分の背後にさっと隠すと、黄金の瞳に冷徹な光を宿した。

​「……おい、人間。今、良いところだったんだ。邪魔をするな」

​「うるさい! 魔王討伐の誉れは、この俺のものだ!」

​ ミドルの背後からは、さらに数名の騎士と、聖女のような格好をした少女――レイナが姿を現す。

 彼女は心配そうに私を見つつも、ミドルの腕にそっと触れた。

​「ミドル様、落ち着いて。マリア様はきっと……」

​「いいや、レイナ! こいつは魔王に洗脳されているんだ! さあ、行くぞ!」

​ ……状況は最悪だ。

 私は、バベルの背中でギュッと彼の甲冑を掴んだ。

 昨日までなら、私はミドルの元へ駆け寄っていたかもしれない。

 けれど、今の私は――。

​「バベル様……」

​「マリア、下がっていろ。……こいつらは、俺が料理してやる」

​ バベルが拳を握ると、部屋中に黒い稲妻が走り出した。

 平和だった朝のティータイムは、一瞬にして戦場へと姿を変えようとしていた。

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2026年1月19日 20:00
2026年1月20日 20:00
2026年1月21日 20:00

『檻の中の王女は魔王の城で自由を知る。国を救うための生贄はもうやめました。私、今日から魔王の嫁(仮)として働きます!』 @aidanomo

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