第2話 魔王城の「牢獄」は、あまりにふかふかだった

強風に煽られ、視界が真っ赤な炎と黒い霧に包まれる。

 私は魔王バベルの腕の中で、必死に目を閉じていた。

​(……ああ、私、本当に攫われちゃったんだ。明日には骨も残っていないかもしれない)

​ けれど、不思議と後悔はなかった。

 あの息の詰まる王宮で、愛のない結婚を押し付けられるよりは、魔王に食われる方がまだ「自分の意志」で選んだ結果だと思えたから。

​「おい、着いたぞ。いつまで縮こまっている」

​ 不機嫌そうな声に目を開けると、そこは禍々しい黒岩の巨城――『魔王城』の最上階だった。

 バベルは私を地面に降ろすと、マントを翻して歩き出す。

​「……殺さないのですか?」

​ 私が恐る恐る尋ねると、彼は足を止め、肩越しに鋭い視線を投げた。

​「殺す? フン、そんな無駄なことはせん。貴様はこれから死ぬまで、この城で『囚われの姫』として絶望を味わうのだ」

​「絶望……」

​「そうだ。二度とあの国には帰れん。豪華な食事も、着飾るドレスも、民衆の歓声もない。ここにあるのは孤独と、恐怖と――」

​ バベルはそう言い捨てて、重厚な扉を開け放った。

​「この狭い部屋だけだ! 一生、そこで己の運命を呪うがいい!」

​ ドン、と背中を押されて部屋に放り込まれる。

 私は身をすくめた。

 冷たく湿った石壁、這い回る虫、硬い寝床。そんな「魔王の牢獄」を想像して。

​ ……けれど。

​「…………え?」

​ 目の前に広がっていたのは、王宮の私の部屋よりも三倍は広い、白を基調とした大寝室だった。

​ 窓からは幻想的な紫の月光が差し込み、床には毛足の長い絨毯。

 そして何より、部屋の中央に鎮座する天蓋付きのベッドは、見たこともないほど「ふかふか」そうだった。

​「あの……バベル様?」

​「なんだ。不満か? ……チッ、これだから人間は。文句があるなら床で寝ろ」

​ 彼は顔を背けた。

 だが、私は見逃さなかった。

 彼の耳の端が、ほんのりと赤くなっているのを。

​「あの……このクッション、もしかして最高級の『スライム綿』ではありませんか?」

​「……知らん。そこらへんに落ちていたものを詰めさせただけだ」

​ 絶対嘘だ。これ、王宮の儀式用でも手に入らない高級品だ。

​「さあ、さっさと寝ろ! 明日からは地獄だと思え!」

​ バタン! と激しく扉が閉められる。

 鍵がかけられた音が響いた。

​ 私は一人、広すぎる部屋に取り残される。

 ……けれど、不思議だった。

 「地獄だと思え」と言われたのに、部屋の中には甘い、お菓子のような香りが漂っていた。

​ 翌朝。

 私は空腹と、扉の外から聞こえる「争い声」で目を覚ました。

​「ちょっとバベル! あんた、人間の女の子を攫ってきたって本当!? しかもあんな可愛い子を!」

​「うるさいぞソフィア! あれは人質だ、生贄だ! 俺の威厳を示すための!」

​「威厳のためにあんな最高級のベッド用意するバカがどこにいるのよ! あんた、あの子の好物まで調べてたでしょう!」

​「し、調べてなどいない! 偶然だ、偶然!」

​ ……丸聞こえだった。

 私は苦笑いしながら、用意されていた(これまた可愛い)寝巻きから、昨日のドレスに着替え、扉を叩く。

​「……あの、おはようございます」

​ 一瞬で外が静まり返った。

 ガチャリ、と鍵が開く。

​ そこにいたのは、気まずそうに視線を泳がせる魔王バベルと、その後ろでニヤニヤしている絶世の美女――自称バベルの姉、ソフィアさんだった。

​「起きたか。……貴様、顔色が良すぎるぞ。もっと絶望しろと言っただろう」

​「申し訳ありません。あまりにベッドの寝心地が良くて、熟睡してしまいました」

​「ぐっ……。ふん、朝食だ。これを食え。毒など入って……はいないが、人間の口に合うかは知らん!」

​ バベルが突き出してきたトレイ。

 そこに乗っていたのは、香ばしく焼き上げられた――マロンパイだった。

​「これ……私が一番好きな食べ物です」

​「なっ!? そ、そうなのか? 知らなかったな! たまたまだ!」

​「バベル、あんた顔が真っ赤よ」

​ ソフィアさんが耳元で囁く。

 魔王は「やかましい!」と叫び、逃げるように廊下を去っていった。

​ 私は残されたマロンパイを一口かじる。

 サクッとした食感と、濃厚な栗の甘み。

​「美味しい……」

​ 涙がこぼれそうになった。

 王宮では「王女たるもの、甘いものに浮ついてはならない」と禁じられていた味。

 ミドルからは「豚が食うようなもの」と馬鹿にされていた好物。

​「あの、ソフィアさん」

​「なにかしら、お姫様?」

​「ここ、本当に魔王の城なんですか? なんだか……檻の外にいた時よりも、ずっと自由な気がします」

​ ソフィアさんは優しく微笑み、私の頭を撫でた。

​「あの子、昔から不器用なのよ。伝説の暴君なんて言われてるけど、中身はただの『寂しがり屋の、こじらせ男子』なんだから」

​ どうやら、私の囚われ生活は、予想とは大きく違う方向へ動き出したようだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る