鳴手 - なりて -

片喰 一歌

鳴手【前編】



 手を描いた。美術の時間。自分の手を。

 前回の美術は二人一組になって友達の顔を描き合うとかいう内容で、これがまあ煩わしくて仕方なかった。

 ペアを組む友達がいないわけじゃない。

 学校内で完結する程度の浅い付き合いの人間ともだちなら、ありがたいことにたくさんいる。

 煩わしかったのは、モデルを見るためにこまめに顔を上げる必要があること。その動作だ。

 だから、俯いたまま作業が許されるのはありがたかった。

 中間試験も近いから、内職ができればもっとありがたかったけど。


(早く終わったら、自習させてくれないかな……。参考書チャート持ってきてるんだよな)

 美術の教科書の上の青い参考書を一瞥した。

 角が丸くなったそれは、新品同様の美術の教科書と比べると大分みすぼらしい。

(……とりあえず、描かないことには自習時間も自由時間もないからな)

 授業に集中していないことが露見しないよう、あらかじめ先を丸くしておいた鉛筆を、スケッチブックのまろやかな紙面に走らせた。

 4Bの鉛筆。

 他の授業で使用しているシャーペンはそもそも芯が細くて、入っているのもHBで。

 相当がむしゃらに勉強しなければ手の側面が汚れない薄さ、淡さ、それから儚さ。

 側面が真っ黒になるくらい頑張るぞと気合いを入れられるのは好きだけど、芯が細い分圧力がかかるので、筆圧の特段強くない俺でも消しゴムをかけるときにやや難儀するのが、困ったところと言えば困ったところだ。

 その点、美術の時間しか出番のない4Bの鉛筆はいい。

 描き味は柔らかく素直。俺の思うがままに紙の上を滑る。

 アイススケーターはいつもこんな気分で氷上で舞っているのだろうか。

 だとしたら、ちょっぴり羨ましい。


 少し手を止め、意識を紙面から教室内に充満する音へと向けた。

(…………いい時間だな。先生の声すらしない。するのは、みんなが絵を描いてる音だけ。紙って神だよな。捲るときの音も風情がある。鉛筆が紙を滑る音もいい。捲るなら辞書くらい薄い紙がいいけど、字を書くならノートくらいで、絵を描くときは画用紙くらい厚さが欲しいよな。せっかく綺麗にかいても、裏写りしたんじゃ台無しだもったいない

 寝かせていた鉛筆を立て、作業を再開する。

 

 昔から絵を描くのは得意なほうだった。

 目がすごくいいのと、それから記憶力もそこそこよくて、見たものを見たまんま出力する能力もたぶん備わってるんだろう。

 俺はクラスの誰より早く自分の左手を描き上げた。

 棚に並べられてぐんにゃりとカーブしたスケッチブック上に描かれた手は、自分で言うのもなんだがいい出来だった。

 マイナスポイントがあるとすれば、今にも動き出しそうで少し不気味なことくらいか。

 だがまあ、スケッチブックに付いたカーブもまた、紙面の手に立体感を与える一因となっているんだろう。

 気にしないのが一番だ。


「素晴らしい出来じゃないか、長束ながつか。――だが君、左利きじゃなかったか?」

 左手のスケッチを受け取った美術教師の視線は、俺の左手に注がれている。

「ええ、そうですが……。先生、ご存知だったんですか」

 モノクルの奥のカメラレンズめいた出目から逃げるように、フリーの左手をグーパーさせた。

「一番前から見ているとなあ、意外と目立つんだよ。居眠りしている生徒には負けるがね」

「ああ、なるほど」

「――どうだ、長束。右手も描いてみないか。まだ時間も半分以上あることだし」

「先生が見たいだけじゃないですか」

「ハハハ! ダメならダメで構わんが、私は是非とも見てみたいね」

「…………いいですよ。そこまでおっしゃるなら描きます、右手。余分に描いた分、成績もくださいね」

「ちゃっかりしてるなあ。……ま、長束がそいつをしたら考えてやらんでもないが。ワハハハハ!」

「先生こそ、美術教師から国語教師に転向したほうがよさそうだ」

 完成したスケッチを美術教師の蔵人くろうど先生に見せに行ったら、もう片方の手まで描くことになった。

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