第7話 猿渡の場合 後編

 それから猿渡はグレッグと共に海を渡ると、トレーニングに勤しんだ。


 競技はマニュアルモードで行われる為、基本的にはグレッグの技術が要になる。

 猿渡の役目は、貸す手のコンディションを完璧に仕上げることだった。


 スポーツクライミングのリード部門は、壁を昇る速度ではなく、どれだけ障害を越え高い位置まで上がれるかという競技だ。

 全身の力、身体運びのセンスが試される、フリークライミングとも親和性の高い競技だ。


 猿渡の担当する手においては長時間握力を維持する持久力、瞬間的に身体を支える瞬発力。どちらも重要だ。


 グレッグのチームは、最初こそ車椅子の猿渡に驚いたが、元フリークライマーであること、何よりトレーニングを怠らなかった見事な手が、疑念をすぐに期待に塗り替えた。

 このコンビなら優勝も十分狙えると。


 迎えた本番。

 世界大会当日。


 ホールドには義手専用のリースデバイスから伸びた猿渡の指がしっかりとかかっていた。


 グレッグは危なげなく、全身を躍動させては支点にロープをかけ、高度をあげていく。

  

 猿渡はそれを下からじっと見上げていた。

 もしリース中で無ければ、拳を握りしめていたことだろう。


 壁は徐々に反り上がるような傾斜を帯び、ホールドからホールドへ身体を移らせていく。場合によっては指の力だけを便りにする瞬間すらある。

 全体重がたった数本の指にかかるのだ。


 グレッグは遂にあと1手で現在のTOPの高度を越えるところまで昇ってきた。

 既に60手近く。10mを越える高さだ。


 猿渡は遥か頭上のグレッグに力一杯のエールを送った。


「グレッグ!! 俺を! 俺の手を信じろ!!」


 グレッグは下は見なかった。だけれどしっかりと頷くと、ホールドにかけた足を一気に踏み切った。


 浮き上がる身体。

 右腕がホールドへと、目一杯伸ばされる。

 小さな窪みに、中指と人差し指が掠めた。


 ダメだ……落ちる!

 何人もの挑戦者が、ここで同じようにホールドを掴み損ねた。

 それほどに難しい1手に、あぁとため息が上がりそうになる。


「(落ちて……堪るかよぉ! 2度とはごめんだぜ!)」


 猿渡はかつての事故がフラッシュバックしたような気がしていた。

 掴み損ねた岩の感触……それは落下の恐怖以上に悔しさとしてずっと心中に残っていた。


 歓声に猿渡は現実に引き戻された。

 神憑りか、猿渡の執念か、たった2本の指が、グレッグを落下から救っているのだ。

 ぶらぶらと揺られながら、信じられないといった顔でグレッグは猿渡を見下ろしていた。


 グレッグはぐいと身体を引き上げ、安定させると遂に完登を成し遂げた。


 飛び下りたグレッグは命綱の金具を外そうとしては、気が急くのか上手くいかずガチャガチャと鳴らした。

 ようやく解放され、弾丸のように駆け寄ると、猿渡の手で猿渡に抱きついた。


「サルワタリサン!! コンプリート! ノボリキリマシタ!」

「あぁ! ああ!! グレッグ! すげえな、おい!」

「サルワタリサンガツレテイッテクレタノデス!」


 グレッグの言うには一場難しいホールドへと移ろうとした、あの時。

 落ちたかと思った瞬間、手の感覚が無くなったような気がしたらしい。

 あの一瞬、たしかに猿渡の意思が手を動かしたようなそんな気がしたのだ。


「アリガト!! アリガト!! サルワタリサン!!」

「俺のほうこそ……ありがとよグレッグ。俺の手で、天辺につれてってくれてよ」


 2人は互いに男泣きに泣きまくった。

 涙でくしゃくしゃの顔で、少しだけば気恥ずかしげに猿渡はグレッグに頼み込むことにした。


「なぁ、そろそろ手を返してくれよ……俺にも抱き締めさせてくれたっていいだろ?」






 

 


 



 








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