第5話 猿渡の場合 前編

 ハンドリースにはフィードバックがあった。

 現在は技術的な措置でほとんどゼロにすることが可能で、標準設定でもそうなっている。

 

 手が使用されている間の感覚が、戻ってきた際に感じられる幽体フィードバックは、技術開発当初、例えば切断を伴うような事故や、犯罪的に手を傷つけられた場合の問題として揚げられていて対策も最優先でされた。



 しかしながら、変わり者はいるもので、あえてそのフィードバックを感じようと設定を変える者がいる。


 猿渡という男もその1人だった。


 早朝。起床した猿渡は、まだリース中である両腕を使わずに器用に身体を起こすと、やってくる感覚を楽しみにしていた。


 タイマーによりリースが解除され、じわじわと戻ってくる前腕に、筋肉痛のような痺れと鈍痛がやってくる。


「くぅ~、コレコレ!」


 太く筋肉質な腕を折り曲げて、感覚をひとしきり楽しむと、猿渡は端末を見てにんまりと笑う。


 重量物運搬補助の履歴とそれなりの報酬に満足すると、猿渡はベッドの横に置いてあった車椅子に器用に腕だけで身体を持ち上げ乗り移った。


 猿渡は元フリークライマーだ。

 外国の辺境での挑戦中の事故で半身不随となり、腰から下が全く動かせなくなった。以来車椅子生活をしている。

 事故の規模からいえば、命があるのが不思議な程だった。


 もうクライミングは出来ないが、身体を動かすことが辞められない猿渡は、いまだに懸垂や重量トレーニングをかかさない。


 フィードバックを切らないのも、手に伝わる痛みは、猿渡にとって確かに生きているという実感を与えてくれるモノだからだ。

 

 鍛えているお陰で、ハンドリースでは、単価のいい重量物運搬補助の仕事がよく回ってきて、生活する分には困らない収入もあった。


 そんなある日のことだった。


 目覚めた猿渡はいつものように、フィードバックを心待ちにしていた。

 

 リースデバイスから終了のアナウンス。

 そしてフィードバック。

 もうそれがルーティンになっていた。

 

 その日感じたのは、それまでとは比べ物にならない強いフィードバック。けれど、確かに覚えのある懐かしい痛み。

 指先だ。指先に凄まじい力がかかったような感覚。

 真下に引きずられるような荷重を伸ばした腕が支える独特の突っ張り。

 何度も何度も味わった痛みが、猿渡を放心させた。


「こいつは間違いない。クライミング……誰かが俺の手で……クライミングを」


 次の日も、その次の日も。

 どこかの誰かが、猿渡の手を借りてはクライミングの痛みを与えてくれた。

 もう2度と味わえないと思っていた痛みを。


 その誰かは、猿渡のリースに予約まで入れてきた。

 向こうも猿渡の手が気に入ったのだろう。

 

 通常リースではデバイスの履歴には、使用者の名前は残らない。

 個人情報保護の観点からの措置だったが、それでも猿渡はなんとか連絡を取りたい思った。

 直接会って礼を言いたかった。


 意外なことにその望みはすぐに叶う。

 それも相手側からの連絡という形で。


 相手は遠い海の向こうの若い男だった。

 グレッグと名乗るその男は、通訳と共にやってきた。


「アナタノ手ヲ……ツカワセテホシイ」


 拙い日本語で頭を下げるグレッグには、両腕とも肘から先がなかった。



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