第4話 坂本の場合 後編
やがてひと月もすれば慣れてくるもので、坂本は就寝時のみならず、休日にテレビを眺めている時間などもリースをしていた。
片手だけのリースなら、なんとかトイレもいけるし、コーヒーくらいなら飲めなくもない。
なにより就寝中は単純作業や軽作業とおそらくは何かの労務らしき履歴が残るのだが、休日のリースでは代筆の履歴が残り、コメント機能で“代筆してもらいました。素敵な字ですね”と些細なやり取りながら喜びもあった。
収入も増え、妻に食洗機を新しく買ってやるか。
そんなことを考えていた矢先であった。
ある休日のことだ。
来客を知らせるインターホンに、坂本が応じると、警察手帳を差し出して2人組が玄関ドア前に待ち構えていた。
「坂本税理士事務所の坂本正己さんですね」
「……はぁ。私ですが、何かありましたでしょうか」
「貴方に公文書偽造及び、有印私文書偽造罪の容疑がかかっています。署までご同行を」
「え……え? えぇ?」
全く身に覚えもなく、間の悪いことに妻は外出中。
坂本は、妙に現実感を感じないままにパトカーに乗せられることになった。
▽
「刑事さん! 本当に身に覚えが無いんですよ」
「ですがこれは貴方のサインでしょう? 筆跡も登録されたものと一致する」
「確かに、私のサインです。でもこんな書類にサインした覚えは無いんです!」
技術の発展から、印鑑や電子証明は偽造が容易になったこともあり信用書類では手書きサインが一般的になっていた。
特に坂本のような、税務や権利に関する仕事に就くものは筆跡を登録し、信用の担保にしていた。
そういうことからすると確かに、今見せられている書類のコピーに記されたサインは自分のものなのだ。
名前も、筆跡も、何度も繰り返し繰り返しサインしてきたそれだ。
だが、坂本には全くの覚えがなかった。
どういうことかと、取調室で半泣きに否定を繰り返す坂本に、刑事の1人が尋ねた。
「本っ当に身に覚えがないのですか?」
「嘘なんかついていませんよ!」
「もしかしたら……坂本さん! リースはされていませんか?」
「リース……あぁハンドリースですか。はい先月から……」
「やはり。おい、センターに照会だ。坂本さんの手の利用者を当たれ」
何か、糸口が見えたのだろうか。
「坂本さん。念のため勾留はさせていただきますが、おそらくは大丈夫でしょう」といくらか柔らかくなった刑事の言葉に、坂本は生返事を返すしかなかった。
――そして2日後。
「では……私の貸した手が、サインを?」
「はい。坂本さんは日常的にサインをされていらっしゃったので、犯人グループがオートモードでサインをさせた際に、坂本さんのサインを書いたようで。手癖のように」
「そんなことが……」
「犯人グループは、筆跡登録者をリースで探していたらしい。オートモードで指示なくサインを書かせることで、自分の名前を書くのではと。サインを書かせては照会をして」
「そんな馬鹿な」
だがそれが現実だった。
自分の手が、知らぬ間に悪事に手を染めていたのだ。
坂本は、まるで自分の手が自分のもので無くなったような感覚に陥った。
「それにしても……さすが日本の警察は優秀だ。たった2日で犯人逮捕にこぎ着けるなんて」
勾留が解かれ、解放されることになった坂本は、付き添いの刑事と雑談のつもりでそう話しかけた。
「あぁそれは簡単です。リースデバイスで幽体の行き先は追跡可能になっているんです。犯人は自らGPSを携帯していたようなものだ。多少、頭は回るようだが肝心のリースデバイスの規約を読み込んでいないとは」
「片手落ちですな。手、だけに」そうハハっと刑事は白い歯を見せて坂本を送り出してくれた。
▽
「全く……とんだ目に合ったよ」
「本当に。無実で良かったわ」
「おいおい。僕が犯罪に加担するわけがないじゃないか」
「それはわかっていますよ」
自宅に戻った坂本は妻に愚痴りながら、日常のありがたみを噛み締めていた。
「しかし、リースはもう辞めようかな。またこんな目にあっちゃたまらないからね」
坂本が、もうこりごりだと口にすると、妻は「えっと……」と困ったような笑みを浮かべた。
「実は……コレ……」
「おいおい、リースデバイスじゃないか。まさか君」
「私もやろうと思って。だって貴方が本当に捕まったら収入も無くなっちゃうし……」
「食洗機も早く欲しかったんですもの」拗ねるような妻に、坂本は呆れるしかなかった。
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