第二章:時間を戻す記録

その日の夜、ハルは逃げるように帰宅した。

玄関を開けると、夕飯の出汁だしの香りが鼻をくすぐり、八歳になる娘、結衣の突き抜けるような笑い声が響いた。結衣は居間で、四脚の小型ロボットを動かしていた。

「パパ、見て。この子、昨日より上手に回れるよ。ほら、記録も保存したもん」

結衣が掲げたタブレットには、無数の英語が並ぶ『GitHub』の画面が開かれていた。かつてはエンジニアの専売特許だった『バージョン管理』が、今や子供の遊びにまで浸透している。

「これ、すごいだろう。Gitっていうのはね、仕事の『タイムマシン』なんだ。失敗しても、一番良かった時の状態にすぐ戻れる。だから、怖がらずに何度でも挑戦できるんだよ」

ハルは娘の柔らかな髪を撫でながら、自分に言い聞かせた。

今の時代、非エンジニアに求められるのは「自分でコードを書くこと」ではない。AIという天才プロフェッショナルに、どうやって自分の望みを伝え、その過程をどう管理するか。いわば、オーケストラの指揮者のような役割。それが『人材のエンジニアリング化』の本質だった。

「パパも、お仕事でタイムマシンを使ってるの」

「ああ、使ってる。でも、悪い魔法使いに邪魔されていてね …… 」

地域の住民からは「ロボットが仕事を奪う」と呪詛じゅそを吐かれ、家庭では将来の不安にさいなまれる。それでも、結衣が迷いなくデジタルの海を泳ぐ姿に、ハルは自分たちが守るべき境界線を見出していた。

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