ミックスベリーパイ
鋏池穏美
灯りの落とされた厨房は、ひどく暗い。その冷え冷えとした暗がりの中、二人の中年男性が調理台を挟んで座る。冷蔵庫のモーター音だけが、二人の間を静かに満たしていた。
「……俺は、降りる」
男たちの片方が、白い厨房服の袖を握りしめたまま言った。声は震えていない。ただ、何かに疲れたように擦り切れていた。
「もう耐えられない。金持ちの客の理不尽な要求にもだ。俺は、作りたくもない料理を作るために料理人になったんじゃない」
もう一人の男が、カウンターを叩いた。
「俺たち、ミックスベリーパイを作った仲じゃないか!」
叫びは反響し、薄汚れた天井に吸われて消えた。
降りると言った男が、ゆっくり首を振る。
「それだよ」
静かな声。
「何が、何がミックスベリーパイだ。初めは珍しい料理を作るだけだった。キャビア、フォアグラ、フカヒレ、希少な和牛……高級食材をいくらでも使って、見たことのない料理を、ただそれだけだったはずだ」
「考え直せ!」
もう一人が詰め寄る。
「今さら抜けるなんて許されるわけがない! もう後戻りなんてできないんだ!」
「それでも! それでもだ!」
男はそう言い残し、扉を開けて外へ出ていった。
しばらくして、外からは乾いた短い音が響いた。
銃声だ。
厨房に残された男は、その場に立ち尽くしたまま、静かにレシピノートを手に取った。油の臭いが染みついた、分厚いノート。これまで二人で作ってきた、料理の記録。
ページをめくる。
――ミックスベリーパイ。
そこには今しがた銃で殺された男の、丁寧な文字で書かれたミックスベリーパイの材料。
―――
・下処理済みの腹部肉(複数名分)
・脂肪層(甘み調整用)
・内臓膜(食感補助)
・赤ワイン
・スパイス数種
・パイ生地
―――
「berryじゃなくてbellyとか笑えねぇよ……」
果実のberryではない。腹部という意味のbelly。金持ちたちの、悪趣味な言葉遊び。
「俺たち、ミックスベリーパイを作った仲じゃないか……。一人にしないでくれよ……」
もう逃げられない現実に、男はゆるゆるとかぶりを振った。
ミックスベリーパイ 鋏池穏美 @tukaike
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