第4話

第4話: 放課後の密会、あるいは作戦会議という名の手繋ぎ練習


放課後のホームルームが終わると同時に、俺のスマホが震えた。

通知画面には『Reina』の文字。

内容は簡潔だった。


『話があるから、旧校舎の3階、一番奥の空き教室に来て』


……呼び出しだ。

昼休みの「あーん」事件で精神的疲労がピークに達している俺に、彼女はまだ何かを課そうというのか。

俺は重いため息をつきながら、人気の少ない旧校舎へと足を向けた。


旧校舎は現在倉庫として使われており、普段は生徒が立ち入らない場所だ。

埃っぽい廊下を歩き、指定された教室のドアをそっと開ける。


「……遅い」


窓際の席に、一ノ瀬玲奈が座っていた。

茜色に染まる夕日が、彼女の栗色の髪を燃えるように照らし出している。

絵画のように美しい光景だが、その表情は真剣そのものだった。


「悪かったな、移動教室の片付けがあったんだ。で、話って?」

俺は警戒心MAXで尋ねた。またトンデモ提案をされるのではないかと身構える。


しかし、彼女は意外にも素直にスマホの画面を俺に向けた。


「現状報告。ネットの反応、すごくいい感じなの」


画面には、例の切り抜き動画のコメント欄が表示されていた。

昨日の殺伐とした雰囲気とは打って変わり、流れが変わっている。


『彼氏持ちかよ、解散』

『まあJKなら彼氏くらいいるわな』

『清純派売りしててこれかよ、チャンネル登録解除した』

『特定班おつ、もう興味ねーわ』


「ガチ恋勢と特定班の熱量は確実に下がってる。『彼氏がいる』っていう既成事実が、最強の鎮火剤になったみたい」


一ノ瀬はほうっと息を吐き出し、椅子の背もたれに体を預けた。

その顔からは、いつもの「完璧美少女」の仮面が外れ、年相応の疲労の色が滲んでいた。

綱渡りのような状況で、彼女も必死だったのだと改めて痛感する。


「よかったな。これで退学の危機は去ったか」

「うん、ひとまずはね。……ありがとう、柊くん」


彼女は小さく笑った。

それは演技ではない、素の笑顔に見えた。

俺は少しだけ胸が軽くなるのを感じた。協力してよかった、と初めて思えた瞬間だった。


「でも」

一ノ瀬はすぐに表情を引き締めた。

「油断はできないわ。ネットは鎮火しても、学校側は別よ。先生たちや、勘の鋭い生徒にはまだ疑われてるかもしれない」


「確かに。急に付き合い始めたからな、不自然さは否めない」

「そう。だから、もっと『恋人っぽさ』を出して、周囲を納得させないと」


嫌な予感がした。

「恋人っぽさ」とは、具体的に何を指すのか。


一ノ瀬は机から降りて、俺の目の前に立った。

夕日を背負った彼女の影が、俺の上に落ちる。


「だから、練習しよ?」

「……何の?」

「手。繋いでみて」


一ノ瀬が右手を差し出した。


「は? いや、それはレベルが高くないか? 昼間のあーんで十分だろ」

「ダメ。登下校とか、ふとした瞬間に手が触れ合うことあるでしょ? その時にビクッとしたら怪しまれるわ。自然に繋げるようにならないと」


理屈は分かる。分かるが、理性が拒否反応を示す。

だが、一ノ瀬の手は引っ込まない。


「……練習だからね。勘違いしないでよ」

「分かってるよ」


俺はおずおずと手を伸ばした。

彼女の指先に、俺の指先が触れる。

ビリッ、と静電気が走ったような感覚。二人して、びくりと肩を震わせた。


「……緊張してる?」

「してない。静電気だ」

「ふーん……じゃあ、もっとちゃんと握って」


一ノ瀬は強引に、俺の指の間に自分の指を滑り込ませた。

いわゆる「恋人繋ぎ」。

指と指が絡み合い、掌が密着する。


「……っ」


誰も見ていない教室の隅。

繋いだ掌から伝わる彼女の体温は、異常なほど熱かった。

柔らかくて、華奢で、でも確かにそこに存在する命の熱。

心臓の音が、掌を通じて相手に伝わってしまいそうだ。


夕日が俺たちの影を長く伸ばす。

沈黙が痛い。何か喋らなければ、空気に押し潰されそうだった。


「……柊くんの手、大きいね」

一ノ瀬がぽつりと言った。少し潤んだ瞳で、俺たちの手を見つめている。

「……お前の手は、小さいな。折れそうだ」

「失礼ね。これでも握力はあるのよ」


彼女がぎゅっと力を込める。

俺も反射的に握り返す。

離れられないように。離さないように。

それは単なる「練習」の域を、どこか超えているような気がした。


その時だった。


コツ、コツ、コツ……。


廊下から、規則正しい足音が聞こえてきた。

俺たちは弾かれたように顔を見合わせた。


「……先生?」

「マズい、見回りかも」


ここは立ち入り禁止区域ではないが、男女二人きりで、しかも手を繋いでいるところを見られたら言い訳が立たない。

「恋愛禁止」の校則違反で、そのまま生徒指導室行きだ。


「隠れよう!」

一ノ瀬が俺の手を引く。

俺たちはとっさに、教室の隅にある掃除用具入れへと滑り込んだ。


狭い。

一人でも窮屈なスペースに、二人で押し入ったのだ。当然、体は密着する。

暗闇の中、俺の胸板に一ノ瀬の背中が押し付けられる。

彼女の髪の甘い香りが、狭い空間に充満して逃げ場がない。


(近い、近すぎる……!)


コツ、コツ……ガチャ。

教室のドアが開く音がした。

俺は息を止め、一ノ瀬の肩を抱き寄せるようにして身を固くした。


懐中電灯の光が、ロッカーの隙間から漏れ入ってくる。

先生が中を見回しているようだ。

「……誰もいないか」

独り言が聞こえる。


一ノ瀬の体が微かに震えているのが分かった。

俺はその震えを止めるように、抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。

彼女の心臓の音が、背中越しにドク、ドクと伝わってくる。

それは俺の鼓動と完全にシンクロしていた。


やがて、ドアが閉まり、足音が遠ざかっていった。

完全に聞こえなくなるまで待ってから、俺たちは大きく息を吐き出した。


「……危なかった」

「うん……心臓、止まるかと思った」


俺たちは掃除用具入れから転がり出た。

外はもう完全に日が落ちかけ、教室は薄暗い紫色の闇に包まれている。


緊張が解けた反動か、俺たちはその場に座り込んでしまった。

手は、まだ繋がれたままだ。


一ノ瀬が、繋いだ手をじっと見つめながら、ふと口を開いた。


「……ねえ、柊くん」

「ん?」

「これ、もし演技じゃなかったら……どうする?」


夕闇に溶けそうなほど小さな声。

俺は思わず彼女を見た。

一ノ瀬は俺を見ていなかった。俯いて、長いまつ毛が頬に影を落としている。


「どうするって……」

「私たちが、本当に付き合ってて。こうやって隠れて、ドキドキして……そういうの、どう思う?」


その問いかけの意味を、俺は測りかねた。

これは、俺の反応を試すテストなのか? それとも……。


俺が言葉に詰まっていると、彼女はパッと顔を上げた。


「なーんてね! 冗談よ、冗談」


彼女は繋いでいた手をパッと離し、立ち上がった。

スカートの埃を払いながら、俺に背を向ける。


「さ、帰ろ。暗くなっちゃう」


軽快な口調だった。

でも、俺は見逃さなかった。

窓から差し込む最後の光に照らされた彼女の耳が、熟した果実のように真っ赤に染まっていたことを。


「……ああ、帰ろう」


俺は立ち上がり、彼女の後ろ姿を見つめた。

ただの「共犯者」。

そう割り切るには、今の時間はあまりにも甘く、そして危険すぎた。

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2026年1月20日 19:00 毎日 19:00

恋愛禁止の名門校で、学園一の完璧美少女の“偽装彼氏”になった。――彼女は人気配信者で身バレ寸前だった kuni @trainweek005050

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