私の原風景

間川 レイ

第1話

 1.

 ちょっとした。そう、ちょっとした昔話をしよう。


 私は昔、親に殴られて育った。いつから、なんてもう覚えてない。でも小学校2年生の夏には公文の宿題の出来が悪すぎて、なんなのよ、これは!という悲鳴にも似た叫び声と共にママに殴られていたし、小学校4年生の時、中学受験の塾に入って初めての模試が悪すぎて。ふざけてんのか、なんてパパに思い切り殴られた思い出。このままの成績ではどこの中学にも行けないということで、そこからは勉強漬けだったことを覚えてる。せっかく入ってレギュラー入りも見えてきた少年野球部も辞めさせられて。女の子なのに可愛くないと散々渋られながら入った少年野球部もあっさり辞めさせられた。


 そこからは毎日勉強漬け。何をするにも時間を計られて。帰ってきたら50分の勉強と10分の休憩の繰り返し。10分の休憩時間も解けた問題の丸つけの時間だったから、大好きな小説を読めるわけもなく。学校から帰ってきたら夜11時までぶっ通し。パパが家にいない時はママが私の勉強を見て、パパが帰ってきてからはパパが勉強を見た。私の勉強机の後ろのベッドに腰掛けて。始まって30分だよ。どこまでできたの。まだそこまでしか出来てないの。ちんたらしてんね。そうママは言って。50分が近づくといつも言っていた。まだ出来ないのー。早くしてよー。私暇じゃないんだけど。雑誌とか携帯とかを弄りながら。いつも緊張するのは丸つけの時間。満点取れて当たり前の問題集で間違えたりしていたら、また同じところ間違えてるよ。ほんと頭悪いね。才能だよ。なんでわかんないかな。また同じ説明しなきゃだめかな。そう言われるのは目に見えていたから。


 その時反抗的と取られる態度をとっては行けないんだけど。何なんだよ、お前!勉強見てもらってんのにさあ!


 そうママは叫び、手に持ってるものを投げつけるか、最悪そんな勉強嫌なら出てけよ、うちの子じゃねえよと叫んで私を家の外に放り出したから。腕が抜けそうな馬鹿力で。ごめんなさい、ごめんなさいと謝っても聞いてくれなくて。雨でも雪でも放り出された思い出。外はいっつも暗くって。開けてよお願いだからと泣いてお願いしても聞いてくれなくて。たまにドアが開いても不機嫌そうな顔で五月蝿いと吐き捨てられるだけ。まさか通りすがりのサラリーマンに助けを求めるわけにもいかないから。だから仕方ないので玄関先でお山座りして、パパの帰りを待つしかなかった。


 それでもパパに勉強を見てもらう時に比べりゃまだマシだったけど。パパに勉強を見てもらうのは嫌だった。すぐ殴るから。初見の問題を間違える、殴られた。応用を効かさなかったから。2度目の問題を間違える。殴られた。前もやった所だから。ただ殴るんじゃなくて、ほんっと馬鹿だなあ、気狂いがよぉ、なんでわかんないかな。そんな事を叫びながら私を殴った。殴るだけじゃなくて髪を掴んで縦横無尽にガクガク引っ張り、勉強机の尖っている部分目掛けて何度も何度も振り下ろした。あるいは普通に殴るか蹴るかした。椅子から転げ落ちる勢いで。ある時同じ問題を間違えて、殴られそうになった私はごめんなさい!と叫びながら咄嗟に頭を庇ったら、大人を舐めるなと余分に殴られた。


 そんな家。何をしたって殴られたし怒られた。食事を30分以内に終えなかったから怒られたし、お風呂を20分以内に上がらなかったから踏み込まれて殴られた。トイレで泣いていたら、そんなところに隠れて泣いて嫌味のつもり、と怒られた。箸の持ち方、食べ方の行儀がなってないと殴られた。勉強ペース遅れてるから今日の夕食無しね。食べてる余裕ないでしょとご飯が出てこなかった。


 普通に生きていても怒られた。ニュースを見てコメントのセンスが無いと怒られたし、学校であった話をしていても何なの、その口の聞き方はと突然怒り出すこともあった。敬語にした方が良いのかなと思って敬語で話しかけていたら、親を馬鹿にしてるのかと何発も殴られた。ご機嫌取りにと丁寧に絵を描いて、いつもありがとうという手紙と共に届けたら、勉強もせずに何をやってる、どれだけの時間をかけたんだと怒られた。1時間と答えたら馬鹿がと死ぬほど殴られた。大好きな小説たちだって捨てられた。こんな無駄なものばかり読んでいるから頭が悪いんだとか言われて。米澤穂信に綾辻行人。西尾維新みたいなライトノベルは死ぬほど馬鹿にしながら捨てられた。


 そんな家になんかいたくもなくて。高学年になると、唯一遊びに行っていいと言われていた友達の家に勉強会の名目で入り浸っていた。努力の甲斐あって、私も友達も別々の志望校に合格して。合格パーティをやろうと言う話になって。いつもの様に上がったら無理矢理押し倒されて犯された。


 お前急に可愛く見えてきたとか言われ。服を捲り上げられ、揉みしだかれ舐められた。最初は冗談だと思っていたけれど、全然そんな事なくて。特にあの目が冗談な訳なくて。何度も叫んだ。お願いした。やめてやめてやめてやめてって。キスだけはされまいと頭をブンブン振り乱して。必死に振り払おうとして。何度も殴られて。頭がぼんやりしてきて。そして私は諦めた。ふつん、と諦めてしまった。私を押し倒して必死に私をまさぐっているあいつも。振り払えやしないのに必死に暴れている私も、何だか全部馬鹿らしく思えてきて。笑ってしまうぐらいどうでも良くなってきて。好きにしなよって身体から力を抜いて。全てを諦めてしまった。


 そこからのことはほとんど覚えていない。覚えてるのはただただ、痛かったこと。本当に入らない場所に無理矢理ねじ込まれたあの痛み。あの痛みだけは今でも思い出せるのに、他のことはまるで思い出せない。靄がかかったみたいに。呼吸が荒くなり、冷や汗がダラダラ流れても、他のことなんて思い出せない。覚えているのは、全てが終わって、ズキズキ痛む身体と。無理矢理ほじくり出そうとしたあの感覚。そしてぬるりとぬめったものがうち太ももを垂れていくあの感覚。咄嗟にハンカチで拭ってしまって。ベッタリついた半透明な白い液体。お気に入りのハンカチが汚れたのがすごく嫌だったこと。ただそれだけ。あとは帰りの電車で、生臭いこの身体が臭わないか心配だったこととか。あとはぐしゃぐしゃになった制服とかどうやってママに言い訳するか悩んでいた事だけ。ママもパパも、何一つ気づかなかったけれど。


 2.

 これが私の原風景。


 中学に上がってからも、高校に上がってからも沢山殴られたし、沢山怒鳴られた。成績とお小遣いは比例していたから、成績が悪い時とかナプキンなんかも買えなくて。ティッシュを詰めて学校に行き、保健室でナプキンをもらったりとか。養護の先生にまたかって思われてるんじゃ無いかってすごく嫌だった。作文で賞を取っても、無駄な努力と言われるのが嫌で賞状もトロフィーも破いて壊して川に捨てた。怒られるのが嫌で成績表を隠していた。バレた。死ぬほど殴られた。ここで死ぬんだと諦めた。なぜか生きていた。逆に殺してやると唯一鍵のかかるトイレの中で泣きながら誓った。殺せなかった。しくじった時が怖かったから。あとは妹をみなしごにするのも申し訳なかったし。大学で一度家を出てからも電話越しに嫌味や罵倒は沢山受け取った。亡くなったおばあちゃんの相続放棄だってさせられた。そうしなきゃ学費は出さないぞと言われて。大学院に進んで、一度家に帰ってきてからも嫌味ばかりでやっぱり居心地は悪かった。社会人になっても相変わらず人は好きになれないし、仕事も長続きしない。


 色々思い出すことはあるけれど、でも一番思い出深いのは私が幼かったころ。ベッドに腰掛けて私の勉強を見るパパやママの眼差し。私を押し倒したあいつの眼差し。手首を切ったり、煙草やお酒を嗜みながら、そうした眼差しに囚われて今も生きている。

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私の原風景 間川 レイ @tsuyomasu0418

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