第7話 最愛の告白
阿崎くんと別れたその夜、私は狂ったようにキーボードを叩いた。画面が涙で滲んで、何度も指が止まりそうになったけれど、そのたびに頬に残る微かな熱と、湊くんが船山さんの隣で隠していた「必死な顔」を思い出した。
私が逃げ道として作り上げた、都合のいいヒーローの物語じゃない。私の醜さも、卑怯な逃避も、あなたへのどうしようもない執着も。すべてを文字にして、私は物語を完結させた。
翌朝。私は、大学の旧講義棟の屋上に向かった。そこには、一通のメッセージで呼び出した彼が、フェンスに背を向けて立っていた。
「……佐野くん」
呼びかけると、湊くんはゆっくりと振り返った。その瞳には、一晩中私のことを案じていたような、深い優しさと覚悟が宿っていた。
「実里。……目、真っ赤だぞ。一睡もしてないのか?」
「……これ、読んで」
私は震える手で、プリントアウトした一束の原稿を差し出した。湊くんは一瞬、驚いたように目を見開いたけれど、すぐに私の意図を察したように、真剣な面持ちでそれを受け取った。
「覚えてる? 高校生のとき、佐野くんが言ったこと。『完結させたら、俺に読ませて』って」
「……ああ。忘れたことなんて、一度もないよ」
風が原稿を捲る音だけが、静かな屋上に響く。湊くんは、一文字一文字を噛み締めるように、黙読していく。そこには、私が阿崎くんに脅されていたことも、湊くんという光が眩しすぎて暗闇に逃げ込んだことも、すべてが「私自身の言葉」で綴られていた。
読み進めるにつれ、湊くんの眉間に力が入り、やがて最後の一行に辿り着いたとき、彼は大きく息を吐き出した。
「……実里。これ、最後の一行……」
「……うん。昨日、書き足したの」
そこには、こう書かれていた。
『ヒーローは、私を救いに来たではない。私が、彼を愛している自分を受け入れるために、彼はずっとそこに立って待っていてくれていたのだ。』
「佐野くん。私、自分のことが大嫌いだった。昔……本当にいろいろあって、自分の気持ちが誰かにバレることも、この小説に書き綴った自分の好きがバレるのも死ぬほど怖かった。でも……佐野くんだけには、本当の私を知ってほしかった。阿崎くんでも船山さんでもなく、あなたにだけは」
私は俯き、溢れそうになる涙を堪えた。
けれど、次の瞬間。温かい腕が、私を包み込んだ。湊くんの心臓の音が、背中越しにトクトクと響いてくる。
「……教えて、実里。お前のこれまで全部、俺に頂戴」
その言葉に背中を押されるように、私は堰を切った。
「……小学生の頃、同じ学年の女子たちの間で小さなおまじないが流行っていたの。『消しゴムに好きな男子の名前を書いて、相手にバレないように使い切ることができたら、2人は両想いになれる。』っていうやつ」
当時の私はそのおまじないを信じて、買ってもらったばかりのお気に入りの消しゴムに同じクラスで人気者だった男子の名前を書いた。もちろん名前を書いたことがバレないように、ケースで隠すことも忘れずに。数日後、クラス活動の時間に行われた席替えで私は意中の男子の隣の席になった。早速現れたおまじない効果にほくそ笑んで、しばらくは心が浮ついていた。
――「なあ、消しゴム貸してくれない?」
授業中突然彼から話しかけられた。
「すごくうれしくて、彼の役に立てるなら。って、私は快く自分の消しゴムを貸した。しばらくして消しゴムが私の手元に返ってくるとさ、消しゴムは思った以上に小さくなってて……。変だなあと思ってケースを外したら、彼の名前を書いた部分が削り取られていたの」
なんで?どうして名前を書いたことを知ってるの?そんな疑問が浮かぶ中、授業終了のチャイムとともに私の机の前に彼がやってきて……。
――「お前、なんで人の名前消しゴムに書いてんだよ。気持ちわりぃ」「誰がお前なんか好きになるか。キモいんだよ」
心無い言葉とともに、目の前で彼の名前が書かれた部分の消しゴムがハサミでズタズタに刻まれた。粉々になった消しゴムを私の机にばらまくと彼はどこかへ行ってしまった。
「それが、私の人生初の失恋……というか、ショックすぎる出来事かな。ゴミカスとなった消しゴムが、まるで私の彼への気持ちがゴミだったんだ。っておもえてきて……しかも、いつのまにかこのことがクラスの男子に広まっちゃって、次のクラス替えの時まで男子たちから「キモ女」「近づいたらキモ菌が伝染る」とからかわれ続けるちゃったんだ」
私の指先が、その時の絶望を思い出すように震える。
「あの日から、私の好意は誰かを不快にする『気持ちの悪いもの』なんだって思い込んじゃった。だから、佐野くんへの気持ちも、佐野くんにとっては『気持ちの悪いもの』になってしまうんじゃないか。って、ずっと心の奥に閉じ込めてなきゃいけないって思ってたの」
力なく笑うと、湊くんは震える私の手をそっと握った。「大丈夫、俺がいるよ」と無言で伝えてくれるようで、その温かさが続きの言葉を紡ぐ勇気をくれる。
「中学の時は、当時よく遊んでいた友だちから相談を受けたの。高山くんっていう、幼稚園からの顔見知りていどに仲の良い男子を好きになったから、告白を手伝ってほしい。って」
私は頼まれるまま、彼女と高山が交際できるよう手伝った。彼を含めた数人の男子たちと遊ぶときは彼女を誘って接点を作り、告白の際には高山を呼び出すこともした。それが功を奏したのか2人は付き合うこととなり、その時は大いに感謝されたのだが……。
――「ねえ、実里はさ……私と高山君が付き合ってるの知ってるよね?」
「初めてだったよ。昼休みの女子トイレで、女子生徒数名に取り囲まれたの。さすがにあれはちょっと怖かった。怒らせると男より女のほうが怖いって、本当だったんだなあ。って、暢気に構えてた自分がそこにいたんだ」
ちょっと冗談めいた言い方をするけど、彼は笑うことなく目線だけで「続けて」と促した。
「疑われたことについていろいろ弁明したんだけど、結局彼女やその友人たちは私を信じてくれなかった。それどころかさ、私が高山と話しているのを見かけた瞬間、教室の真ん中、みんながいる前で、『友だちの顔して裏で私の男を盗った泥棒猫』ってビンタされた」
「ははは」と笑って、ビンタされた左ほほをなでる。もう痛くもなんともないけど、当時の彼女のあの悲痛な顔は何度も思い出す。
「……だから決めたの。誰の物語にも関わらない、背景になろうって。背景なら、誰にも疑われないし、誰からも拒絶されない。透明な人間でいれば、もう二度と傷つかなくて済む」
語り終えた私の手は、秋風の空気よりも冷たくなっていた。俯いたまま、私は次の言葉を待つ。気持ち悪い。重い。泥棒猫。そんな罵声がまた聞こえてくるんじゃないかと、無意識に肩をすくめた。
けれど。私の左頬――あの時ビンタされた場所に、温かくて大きな手のひらが添えられた。
「……佐野くん?」
顔を上げると、湊くんは泣きそうなほど眉を下げて、けれど唇には不敵な笑みを浮かべて私を見つめていた。
「バッカじゃないの」
その言葉は、かつて私を突き放したあの男の子の言葉と同じはずなのに、響きは驚くほど優しかった。
「その消しゴムをハサミで切った奴も、トイレで囲んだ連中も、全員まとめて俺がブッ飛ばしてやりたい。……実里の『好き』がどれだけ綺麗で、どれだけ価値があるか、一ミリも分かってねーんだもん。マジで見る目ねーわ、そいつら」
湊くんは、私の頬を挟み込むように両手を添え、強引に視線を合わせる。
「いい? よく聞けいて。俺は、お前の過去も含めて、全部、丸ごと愛してんの」
心臓が跳ねた。
「お前が自分の『好き』を『気持ちの悪いもの』っていうなら、俺はそれを丸ごと飲み込んで喜んで死ねる唯一の男になってやる。泥棒猫?上等だよ。俺を盗んでくれたのが実里で、俺は最高に幸せだわ」
湊くんの瞳が、至近距離で私を射抜く。それは紛れもない、独占欲に満ちた男の目だった。
「背景なんて二度と言うな。お前の人生の主役(ヒロイン)は、お前だ。……そして、その相手役は、俺以外に譲る気はねーから。拒否権なし。一生かけて、その汚された過去を俺が『幸せ』で塗り替えてやる。……覚悟しとけよ?」
湊くんは、いたずらっぽく笑うと、今度は頬ではなく、私の額に自分の額をコツンとぶつけた。その温かさに、私の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。消しゴムを刻まれたあの日からずっと止まっていた私の時間が、湊くんの体温で、激しく動き出した。
「……湊くん。大好き。……大好きだよ……っ」
私が初めて、誰に強要されるでもなく、自分の意志で叫んだ「好き」という言葉。湊くんはそれを逃さず捕まえるように、私を力一杯抱きしめた。
「ああ。知ってる。……俺も、実里が好きだよ。実里じゃなきゃ嫌だ」
屋上を吹き抜ける風が、私たちの足元に散らばった「過去の原稿」を捲り上げる。阿崎くんが書かせた嘘のハッピーエンドも、私が自分を呪うために綴った卑屈な独白も、今はもう、ただの紙切れに過ぎなかった。
空は、抜けるような秋の空。私は湊くんの腕の中で、カバンの中にあるノートPCのことを思った。そこには、新しく書き始めなければならないページがある。
誰かに用意されたプロットじゃない。傷ついて、泥を這って、それでも掴み取ったこの「現実」を。私はこれから、私自身の言葉で綴っていく。
――タイトルは、もう決まっている。 世界で一番不器用な、けれど世界で一番美しい、私たちの本当の物語を。
――エピローグ
あれから、私のノートPCに並ぶ文字は劇的に変わった。もう、誰かを羨むような卑屈な独白も、嘘で塗り固めたハッピーエンドも書かないと決めたから。
今の私が挑んでいるのは、恋愛とは無縁の「SF」だ。
「ねえ、実里。ここの宇宙船がワープするシーン、もっとキラキラさせてよ。俺が一番かっこよく活躍するとこなんだからさ!」
隣で画面を覗き込み、子どものようにせがむ湊くんに、私は苦笑しながらキーボードを叩く。
彼にせがまれて書き始めた、未知の星を舞台にした冒険譚。恋愛小説しか書けなかった私にとって、重力や時空の歪みを言葉にするのは難解なパズルのようだけれど、今の私には、それを面白がるだけの心の余裕があった。
「湊くん、わがまま言いすぎ。これ、湊くんがモデルだけど湊くんじゃないんだからね」
「いいじゃん、読者は俺なんだし。……あ、でもこのヒロイン。やっぱり実里に似て、すげー可愛いな」
そう言って、湊くんは当然のように私の肩を抱き寄せ、こめかみにキスを落とす。未だにこういう「上書き」には慣れなくて、心臓の鼓動が執筆の邪魔をするけれど。
あんなに遠かった私たちの距離は、いつのまに当然のように湊くんが隣に座って肩を抱き寄せ、人目も気にせず髪に触れられる距離まで近くなった。
「……湊くん、近い。ここ大学だよ?」
「いいじゃん。今まで我慢してた分、実里成分を過剰摂取中なの。……ほら、ここ、俺が出てくるシーンでしょ? せっかくならヒロインに俺の愛を叫ぶシーンにしない?」
昔の「王子様」の面影はどこへやら。私は、キャパオーバー寸前の熱さに顔を真っ赤になる。
「……先輩が聞いたら、鼻で笑いそうな設定だね」
ふいに、背後から聞き覚えのある、けれど今はもう毒を感じない声がした。振り返ると、いつの間にか現れた阿崎くんが、不遜な笑みを浮かべて私たちの原稿を値踏みしている。
「ハル……! お前、また勝手に覗き見してんのかよ」
「勝手とは心外だね、湊。俺は佐倉実里という作家の『第一読者』として、彼女の才能が鈍っていないか監視しているだけだよ」
阿崎くんは湊くんの殺気(?)を軽くいなし、私にだけ見えるように片目を細めた。
「嘘を辞めた佐倉さんが、どんな空想を描くのか。……ま、期待せずに待ってるよ。あ、湊。お前が彼女を退屈させた瞬間に、俺がまたその心を乗っ取りに行くから。……覚悟しときなよ、ヒーロー(笑)」
「は?そんなこと、この先一生こねーし!俺たちは超絶ラブラブだから、もうハルが入る余地なんてどっこにもないんですー!」
二人の言い合いをBGMに、私は再び画面に向き直る。
かつて私を縛った男と、私を救い出した男。騒がしくて、面倒くさくて、けれどこの上なく鮮やかな「現実」。
私は大きく息を吸い込み、真っ白なページの続きを綴り始めた。
背景ではなく、主役として。私の言葉は、今、銀河の彼方へと走り出していく――。
(完)
次の更新予定
2026年1月21日 09:00
そのハッピーエンドは、私の嘘でできている。〜嘘つきな私を、眩しすぎるヒーローが「現実」へと連れ出すまで〜 佐久間みん @min68
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