第10話

 意識が戻ると素っ裸だった。開多の体に外傷はなく、潜りのように体のあちこちが煤塗れだった。

 辺りにアカデミックガウンの黒い燃えカスや、他の衣類の燃えカスが残っている。

 上体を起こし辺りを見渡す。学徒のものかエルフかわからない、真っ黒こげの遺体。黒焦げのフェイ。踏みつけられたのだろう、目の飛び出たエルフ。それらが湖の方から続いている。

 体の部位の欠損した焼死体が傍に、二つあった。こむら返りした足のように、腕や足が変な方向へ伸びたまま、硬直している。沙汰彦とフィーナディーアのものだろう、と開多は思ったが、確かめるすべはなかった。

 自分の感情が理解できない。二人を目の前にしても、なにも頭の中に言葉が出てこない。そうじゃないかもしれない、とだけ最後に浮かんだ。

 散乱する脚の折れた白い丸テーブル。芝のあちこちで小さくゆらめく火。煙が上がっている。湖の背景にかかる霧の向こう側でも、火の影がてらてらしている。

 黄緑色のパーティー会場が、火災現場に変わり果てていた。甘い香りは、燃える臭いにかき消された。肉の焼けるにおいが鼻をかすめる。ばちばちと音がし、遠くで何かの倒れる音がした。

 息苦しい。空気が薄い。

 菩提樹が幹の途中から折れて、沢と芝を樹冠が下敷きにしていた。そして沢の手前に立っている、レアの姿が見えた。

 なぜだか重く感じる腰を上げ、開多は気怠い足で歩きはじめる。煤で汚れた芝の上に落ちていた、焼けあとのある毛布を拾い、腰に巻いた。

 斜めに倒れた巨大な菩提樹の樹冠と幹を背景に、左手にレア。右手に、別の影が見えた。目を凝らしながら近づいていく。焚豊だった。蓋ノ騎士の襲撃か、と脳裏に漂っていた考えが静かに流れていく。

 焚豊をまっすぐに見つめる、揺れるレアの瞳から涙がこぼれている。表情は、頬がこけたように弱っていた。

 一方で、焚豊からは寒々としたものを開多は感じた。


「君の親が首を縦にふらないからだ」

「それだけで

「議論するつもりはない」


 焚豊はきっぱりと言った。


「どういうことですか」


 呼吸を整えながら開多が声をかけると、二人の視線が同時に開多へ向く。


「菩提樹をヘルデ弾で燃やした」


 焚豊が友達でも見つけたかのように答えた。


「ヘルデ?」

「ジョルジュが開発した焼夷弾だ。通常の焼夷弾よりもよく燃える。ヘルデの血液は燃焼効果があり、そこへ粘着質なヘルデの精子を混ぜたらしい。いちど燃え移るとすぐには消火できない」

「ヘルデの精子って」

「ああ。お前がジョルジュに渡した、ヘルデの精嚢から作ったものだ」


 折れた樹冠と残った切り株の両方がさらに燃え上がった。焚豊だけではない。学徒たちも加担しているのだと開多は気づいた。

 燃える樹木からぱんぱんと音が鳴っている。

 嘔吐した。

 開多は両膝をついた。出るものを口から出し切って、


「なんで、こんなことを」

「局地樹は、この菩提樹から生まれる。こいつを死滅させれば、もう二度と局地樹は生まれない。あとは坑道内の局地樹を処理して終いだ。今をもって俺たちの勝利は確定した。蓋ノ国は破滅する。わかるだろ、ハルタ」

「……何がですか」

「これで、ちえを救えるぞ」


 焚豊が少年のような笑みを浮かべた。


「言ったはずだ、見捨てないと。文句はないはずだ」

「こんなことをする必要がどこにあるんですか。こんなことしなくても、ちえは救える」

「蓋ノ人を見くびるな。奴らの心は折れない。だから先に折ってやったのさ、菩提樹をな」


 開多は悲痛を浮かべ、


「ここの人たちの暮らしはどうなるんですか!」

「お前、同情してるのか?」


 焚豊が恥ずかしいものでも見るような顔をした。


「エルフなんて、お前にとってはさっき会ったばかりの他人だろ? 少女とエルフ、どっちが大事なんだ。よく考えろ」

「やりすぎだ。こんなこと、許されない」


 焚豊がアカデミックガウンを脱いだ。中に蓋ノ騎士のベージュ色のコートを着ていた。胸元に国章のある。

 脱いだガウンを近くで燃え盛る炎へ投げ入れた。


「そのガウン、脱いで燃やしておけ」


 何かに気付いたように、開多の表情が変わった。

 勘がいいな、と焚豊が言う。


「なすりつけるつもりですか、蓋ノ騎士に」

「学徒たちも内側に同じコートを着ている。当然の対策だろ」


 蓋ノ国の仕業であると偽装するつもりらしい。開多の脳裏に両親の顔が過った。縄で首を縛った開多を、必死に木の上に吊り上げようとしている両親の顔を。

 鈍い足取りで近寄り、開多は焚豊へ殴りかかろうとした。俊敏な身のこなしで跳ね上がり、焚豊は宙で一回転し、回し蹴りした。開多は跳ね飛ばされた。

 焚豊が、レアの喉元へロングソードの刃先を向ける。


「レア、わかるはずだ。沙汰彦は知っていながら、わかろうとしなかった」

「私たちは蓋ノ人じゃない。エルフよ」

「グルーシェニカもエルフだ。どういう経緯でダックリバーを攻めたのかは、わからない。叢書を調べる必要がある。わかっていることは奴が、同じ種族を二回も殺したということだ。咀嚼卿、なんていうあだ名をつけてな」

「あなたに関係ないでしょ。あなたはただ単に」

「大義にはなる。奴らは侵略者だ。侵略者は、侵略されて当然だ。あいつは俺から色波を……ゆめを奪った」


 やめろ、と開多が芝に這いつくばりながら呻く。


「未成年略取の犯罪者が、なにを正義者ぶってる? それどころかお前、あの子を犯したろ?」

「……違う」

「何がだ」

「俺と、ちえは」

「懐柔しやすいわな、ガキは」

「この人を信じないで。蓋ノ騎士を町へ入れたのは、焚豊よ」


 レアが声を振り絞った。


「あなたとちえちゃんの宿泊先を、どうして彼らが知っていたのか、不思議に思わなかった? ウォールハーデンを守る丸太の木壁は、すべて局地樹よ。耳絶ちは、局地樹を傷つけられない。羅官がいれば、彼らは耳絶ちで壁を飛び越えることもできた。でもしなかった。必要がなかった、協力者がいたから。彼らは耳絶ちを使っていない。彼らは、東の関門から堂々と入ってきたのよ。正面から。あの大きな岩は、焚豊の教典の力よ。騒動を煽って町を混乱させ、私たちを攪乱した。だから事前にあなたたちを見張らせていた学徒しか、現場へ駆け付けることができなかった」


 見張られていたというのは初耳だった。ただ今はそれより、と開多の視線は焚豊へ向かう。焼かれた痛みがよみがえる。


「なんのために」

「器を盗んでもらうためだ」


 脳がぐるぐるかき乱される。苛立ちの混じる疑問が浮かび、すると半ば笑みを含んだようなひるんだ顔になり、開多は言葉が喉の奥に詰まった。

 焚豊が左腕をかぽんと外した。


「義手?」

「あの子の喰絶を受けてこうなった」

「ちえの?」

「致命傷は避けることができた。あの金粉は毒だ。切断しなければ全身にまわり、今ごろ死んでいた。何故お前だけ無事なんだ」


 焚豊は義手を戻し、


「お前も金を浴びたはずだ。むしろあの子の近くにいたお前が一番浴びたはずだ。なぜ無傷なんだ」


 疑問にすら思ったことはなかった。


「なぜって」

「あの子よりも、はるかに、お前の方が重要だ。連中は気づいてない。あの子と二人で暮らしたいんだろ? かつて俺もそのようなことを願った。安心しきった馬鹿者は、何かを失うまで気づかない。こうでもしないとお前ぇ、ウォールハーデンにずっと引きこもってたろ? 蓋ノ国はいずれ攻めてくる。遅かれ早かれな。そうなる前に、俺たちが攻めるんだ。ジョルジュは教典を信じすぎている。蓋ノ人をなめている。ウォールハーデンが負ければ、静かな暮らしってやつは叶わなくなるぞ。それともまた逃げるか? どこへ逃げる。花樹園は燃やしたぞ。西か? 北?」


 焚豊が、レアの首を斬った。作業のように、呆気なく。

 両膝が折れるように崩れる。芝の上に、物が落ちるみたいに倒れた。芝の上で少しのあいだ痙攣し、あとに瞼が開いたまま静止した。



 ※



 ロケット花火ほどの速度で、赤い煙を噴射しながら、まるで煙を推進力にしているかのような様で、輝きが上空へと上げっていく。


「焼いたのは悪かった。ただ確信を得たかったんだ。お前が何者なのか」


 小舟が何隻も乗り捨てられた東湖岸から、信号弾を撃ちあげると焚豊は言った。


「だがこれでわかったろ」

「何がですか」


 沖の本船が、ウォールハーデン島方面へ引き返していく姿が視界に入った。ちょっとあれ、と開多は指差す。


「引き返してますよ」

「船には戻らない。下から、このままダックリバーへ向かう」

「下から?」


 開多の両膝が崩れ落ちた。湖岸の砂の粒が、視界で揺れている。足に力が入らない。立ち眩みを起こしたみたいだ。


「これを食え」


 視界の脇からぬっと焚豊の手が現れる。手の平にフェイの姿があった。気絶しているようだが、微かに動いている。まだ息がある。

 焚豊の顔を見上げた。目が合う。


「食え」

「は?」

「元気になるぞ、多分」

「多分? 何を言ってるんですか? これ、フェイですよね?」

「一三歳未満のエルフだ」

「だからフェイですよねぇ?」

「呼び方なんかどうでもいい。じゃあフェイを食え」

「嫌ですよ」

「体に力が入ってないんだろ? 蓋ノ騎士にやられたあとから」

「だからなんですか」

「いいから食え。体力が戻る。再生力もな」

「だから無理ですって」

 

 焚豊がフェイを腹の当たりからへし折った。気づいたフェイが、わああ、と幼い悲鳴を上げたところで、ねじって引きちぎった。凍らせたポリエチレン詰めの清涼飲料をぽきっと折るような慣れた手際で、義手の左手だというのに器用だった。

 開多は言葉を失った。


「ほら」


 と差しだされた焚豊の手に血がどっぷりついている。手の平に、下半身のなフェイの姿があった。腹から腸が飛び出ている。

 開多は首を振った。瞬間、口元に衝撃が走った。焚豊が、フェイごと右手の平を押し付けてきた。フェイの上半身が開多の口内へねじこまれる。開多は逃れようと首を振る。嫌だ、と言葉にならない唸りで訴えるが、焚豊は力を緩めない。強い握力で、しっかりと口元を押さえている。


「噛め!」


 チンピラのように焚豊は怒鳴った。怯んだ開多の顎が、じきにゆっくりと上下しはじめる。目から涙が零れる。喉が鳴った。喉を異物感が通過した。

 焚豊の右手が離れる。こっちもだ。そう言われ、残りの下半身も開多は食わされた。気持ち悪さに咽かえる。


「吐くな。吐いたらもういちど食わすぞ。在庫はまだある」


 焚豊が、膨れ上がった布袋を右手にぶら下げていた。正方形の紙を近づけると布袋は吸われるように、紙に消えた。

 森の方から足音がすると、人が見えた。


「もう打っちまったのか」


 いつか見た、関門の衛兵だった。


「あれ、お前の婚約者は? 一緒じゃないのか」

「裏切り者は殺した」

「冗談だろ?」


 焚豊が「下段へおりるぞ」衛兵に言って、開多の傍を素通りしていく。

 まじかよ、と衛兵は戸惑いを浮かべた。



 ウォールハーデン島を囲む湖近辺の地形は、階段に似ている。

 島の北には巨大な滝がある。高台から流れる横幅の広い滝は、東西にかけて広がる、湖の割れ目の底へ向かって落ちていく。島民はこの一帯を瀑布と呼ぶ。

 島の南にも滝がある。滝は下段の湖へと流れ落ちていく。

 北の高台、平地のウォールハーデン、下段の湖は、すべて一つと湖であり、三つの平地が二つの段差でもって繋がっている。

 ウォールハーデン島は、一段いっぱいに広がっているため、船でダックリバーへ向かおうとする場合、エルフが蓋ノ国と貿易に利用している下段ルートを使うしかない。

 段差は花樹園──坑道周辺まで干渉していた。

 再び坑道へ入った。

 黄緑色に照らされた坑道内では、アカデミックガウンと残りの局地樹の焼却が学徒たちにより行われていた。


「下段へ行くぞ」


 焚豊が号令を出すと、はい、とそろった声が響いた。

 菩提樹の根っこにいたるまでが燃やされていた。開多は自身の込み上げる感情に対し、偽善だ、無責任だと、ひっそりと罵倒し、見て見ぬ振りをするように押し殺した。

 湖の裏にある洞窟へ差し掛かるころには、焚豊と開多の後ろに学徒の列ができていた。洞窟を抜けながら、学徒たちは焚豊の指示に従い、アカデミックガウンの内側に来ていたベージュコートを脱ぎ捨てていった。麻布で作ったようなぼろい薄手のシャツに、ブロードクロスズボンのように膨らんだ黒い革のズボン。港でよく見かける労働者の姿だ。海賊のようにも見える。

 彼らを学徒だとは誰も思わないだろう、と開多は思った。

 洞窟を抜けると港があった。岸から板張りの道が続いている。ダックリバーの漁師が桟橋やウッドデッキと呼ぶ足場の先に、大型船が見えていた。



   ※



 船長室の屋根は低かった。

 焚豊が仮眠をとっている。ウォールハーデン島周辺の地図が広げられたテーブルの向かいの椅子の上で。

 寝顔がすっきりとしている。隙だらけだ。

 無理矢理フェイを食べさせられたあとから、体の調子がいい。そのことについて色々と訊きたかったが──。


「ゆめ……」


 ささやき声が聞こえ、立ち止まる。振り返った。

 焚豊がうなされていた。額の汗が尋常じゃなかった。

 覚醒したように瞳がぱっと開き、しばらくそのまま静止する。眼球がぎろっと開多の方へ向き、そのあと首も追いついた。


「なんだ、そんなところで棒立ちになって」


 波音が籠もって聞こえる。室内は静かだった。


「うなされてましたよ」

「聞いてたのか。趣味が悪いな」

「出て行こうとしたら聞こえただけです」

「そうか」


 焚豊は海賊のように瓶ボトルに入った水で喉を鳴らす。開多には、何かを誤魔化しているように思えた。 


「父はよく〈蟲喰むしばみ〉の話をしてくれた。どんな虫も殺すことができる剣の名だ。心が躍ったよ。憧れた俺は、丸めた新聞紙を〈蟲喰むしばみ〉に見立て、よく〈研聖けんじょう法螺ほら吹き〉のフリをした。〈蟲喰み〉を手に、俺は妹を連れ山に出かけた。虫取りという名の虫退治だ。俺の左腕にしがみついて歩く、ゆめの姿を今でも覚えている。おうちにかえろう。ゆめは何度もそう言った。あのとき帰っていれば、ゆめはまだ生きていたかもしれない」


 焚豊の顔が蒼白だった。


「獣道の途切れた山の斜面の前に、男が二人たっていた。八歳だった俺には背丈の高い、かなり年上の男に見えた。男は妹の腕を掴んで引っ張った。嫌がるゆめを、雑木林の奥へ連れ去った。顔を一発殴られ、俺はその場に倒れた。それほど時間は経っていなかったと思う。体を起こすと男二人の姿はなかった。ゆめも、いなかった。俺は走った。大人を呼びに行くんだ、そう自分に言い聞かせながら。逃げたんだ、俺は。妹を置いて逃げた。怖かった」

「八歳なら仕方ないでしょ」

「仕方ないとかそんなことは考えてなかった。ただ怖かった。それ以外は、なにも考えていなかった。妹のことも」


 焚豊が煙草に火をつけた。


「夢の中でゆめが言うんだ。おうちにかえろう、と。次の瞬間、男が二人現れて、ゆめを攫って行く。泣き叫ぶゆめの顔が、暗闇の奥へと離れていく。男の片方は父が殺した。話したろ? 父は知らないんだ。もう一人いることを」

「まさか、そいつを殺すために?」

「違う。そんなことのために、わざわざ花樹園を燃やすわけないだろ」

「じゃあ、どうして」

「殺してやりたいと思うからだよ」


 開多は意味がわからず、へ、と間の抜けた問いを口からもらす。


「あの土地に住むすべての人間を、破滅させてやりたいんだ」


 そう言った焚豊の瞳の奥に、薄暗いものが見えた気がした。副流煙で隠れた。


「先生、合流地点です」


 部屋の扉が開いて、顔を出した学徒が言った。立ち上がり、甲板へ出て行く焚豊のあとに開多は続いた。

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不可能なことなんてないんだよ(蓋魔の瓶夫:①初期原稿) 酒とゾンビ/蒸留ロメロ @saketozombie210

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