第6話

 鉄格子の門が半開きになっていた。真上にアーチ状の枠があって、そこに〈人間愛護保管協会〉と彫られている。

 門の先には、立派な赤レンガの建造物がそびえ立っている。

 学府の敷地内は、商店街と違い閑散としていた。アカデミックガウンを着た生徒たちが、すれ違い様に背中のちえを見て、かわいい、と声をかけてくる。人好きのしない開多にとって、その馴れ合いは苦痛だった。足を止めざるをえず、ありがとうございます、妹です、慣れない社交辞令の笑みを浮かべ、顔の右半分がやや痙攣した。ばれないように素早く笑みをやめる。

 先を急いでいる、というような話をして焚豊が引き剥がしてくれた。

 生徒たちは、焚豊を「先生」と呼んだ。本当にウォールハーデンの出身らしい。


「じじい、戻ったぞ」


 学生棟が密接に建ち並ぶ隙間の道を進んだ奥まった場所に、学長の研究室はあった。両開きの扉を乱暴に開け放ち、焚豊がそう言って入っていく。


「んん? たけちゃんかえ?」


 しばらくして、どこからか声がした。


「たけちゃんかいな?」


 研究室は広く、天井は高い。まるで協会のようだ。一階には長椅子と長テーブルが両側並んでいる。壁際に大量の本と、池の水みたいな緑色の液体で濁ったガラス瓶が大量にあった。両壁のステンドガラスから、半透明に着色されたカラフルな日差しが入り込んでいるが、室内は薄暗かった。

 黒板の真上にバルコニーのような二階があり、欄干の内側に白い鼻髭が立派な年寄りの姿があった。開多はひょうきんな印象を受けた。隅の階段から一階へ下りてくる。


「丁度ええ、丁度ええところに戻ってきた。闇でダックリバーに発注しとったヘルデの精嚢が届かんのじゃ」

「せいのう?」

「精子が貯蔵されとる器官じゃ。あれがないとジェルが手に入らんでの。実験すらできん」


 開多が思い出したように「あ」と呟く。リュックを開け、中から小瓶を取り出した。


「これですか?」


 交通費代わりに、と潜りから受け取ったものだ。記憶が曖昧だがその際、せいのう、という言葉を耳にした気がする。

 老人は開多から瓶を受けとるなりコルクを開け、中のにおいを嗅いだ。


「おお、なんと、くさいくさい。これじゃ。お主どうしてこれを?」

「彼は瓶夫だ」


 と焚豊が紹介した。


「焚豊!──」

 

 女の声か細いが研究室に響いた。

 空気が止まり、開多の視線が二階を見る。欄干から身を乗り出す、色白な美しい女の姿があった。

 女は欄干をなめらかな身のこなしで飛び降りると、ふわっと一階へ着地し、こちらに駆け寄ってくる。焚豊へ抱きついた。

 焚豊が優しい顔になっていた。二人は鼻先がふれあう寸前の距離感で見つめ合い、抱きし合った。


「お盛んなところ悪いが、性行為ならあとにしてくれんか」


 老人がたしなめる。


「客人もいることじゃしのお」


 互いに頬が桜色に染まり、二人は恥ずかしそうに離れた。

 照れをごまかしながら、


「レア、紹介するよ。彼は……」


 焚豊が言葉を詰まらせたので、


「開多です」


 と開多が名乗る。


「彼女はレア。俺の婚約者だ。それからこっちは学長のジョルジュ」


 衛兵の言っていた奥さんとはこの人のことか。開多は会釈する。


「そうだ。彼女をいちど診てもらったらどうだ」


 エルフブリッジからここまで長い距離を移動した。学府へ入るとき夕日が見えていたのを思い出す。ちえはずっと眠ったままだ。息はしているようだが目を覚まさない。


「レアはエルフだ。医療術に詳しい」


 レアの耳が尖っていることに気づいた。耳まで透き通ったように白い。先ほど赤らめたときの肌の変化が、耳にまで薄くあらわれている。


「医者に診せるわけにもいかないだろ」


 そう焚豊が付け加えると、開多は承諾した。医務室の準備をしてくると言って、レアが研究室を出て行く。

 ジョルジュが小瓶の中の精嚢を眺めながら、


「ヘルデはダックリバーの地下でしか見られん。あれを調べるためだけに、あの土地が欲しくなるほど興味深い。わしはのろいじゃと思おとる、蓋魔の怨霊のな」

「蓋魔の怨霊?」と開多。聞き慣れない言葉だった。

「触れるだけで人を殺す方法はあるか?」


 焚豊が切り出した。


「なんじゃ急に」

「この少女に触れた蓋ノ人が、口から血の泡を吹いて死んだ」


 それを聞いたジョルジュは血相を変え、目を丸くする。


「すぐに検索をかける」

「その必要はない。彼女が蓋ノ騎士の大群を一掃する姿をこの目で見た。蛾か蝶か、わからないが何か虫のような羽が背中から生えていた。羽ばたくと、きらきら輝く粉が舞い、騎士は口から血の泡を吹いて全員地上へ落下した。居合わせた局員は落馬し、痙攣していた。この子の背後に後光が差し込んでいた。まるで夕日のように見えたよ。大河に落ちたもの以外だが、死体を確認したら穴という穴から血が出ていた。目、鼻、口、耳、尿道に肛門に、女の場合は膣からも出血が見られた」

「くうぜつじゃな」

「くうぜつ?」

「喰らい絶つと書く。蓋ノ守の技じゃ」


 開多が割り込み、


「蓋ノ守? どうしてちえが」


 何かの間違いだろう。


「この子が器だからじゃろう。蓋ノ守は輪廻転生を繰り返すと言われておる。現在の蓋ノ守は、初代蓋ノ守──グルーシェニカの生まれ変わりじゃ。力と記憶の一部を継承しておる」

「この子が次の転生先か」


 焚豊が知っていたかのように言った。


「そうとは限らん。器は蓋ノ人の中に数年に一度生まれ、大抵は耳絶ちが使えん上、覚醒するまでは他に影響を及ぼさんから、蓋魔と勘違いされ若いうちに殺処分されてしまうんじゃよ」


 ほっほっほっ、とジョルジュが愉快そうに笑った。


「あの国はエルフ大戦の頃に、とうに死んでおる。楯蓋のことしか考えとらん。自らに課した蓋の思想が、まわりまわって器を殺すことになるとは、蓋ノ守も思わなんだのじゃろう。ところでお主、その子と肌を密着させておるが、大丈夫かのお?」

「ハルタは蓋魔だ」

「なにぃ、蓋魔ぁ? お前さん、よう今まで生きてこられたのお。殺処分される機会ならいくらでもあったじゃろうに」

「なぜハルタだけ死なない。あの子の父親や局員はちゃんと死んだそうだが。蓋魔となにか関係があるのか」

「大ありじゃ。わしも初めてみるがのお。おそらく耳絶ちがないからじゃろう。蓋ノ人が器に触れると体内で耳絶ちが逆流する言うてな、内臓から何から掻き乱し、ぐちゃぐちゃにして、肺を傷つけ気道を塞ぐ。力の使い方をわかっておらんからじゃ」


 焚豊だけが納得した。


「わしも生きておる姿を見るのは初めてじゃ。死体なら以前に手に入れホルマリン漬けにしてあるがのお。死ぬと器としての機能も失われる」


 中指、第二関節の表辺りで、「こんにちわ」とちえの頬を撫でようとしたジョルジュの手を、開多が払いのけた。


「やめてください」


 そう言った開多の声は落ち着いていたが、強い嫌悪感に満ちていた。

 まるでハムスターでも愛でるようだった。ジョルジュの手つき、表情、物腰までもが、ちえを人と認識していないように思えた。モルモットか何かと勘違いしている。不快感が強すぎて、怒りが喉の奥で詰まってしまった。


「ちえは器でも蓋ノ守でもない」


 研究室がしんとする。


「流石はお兄ちゃん。妹の内情に詳しい」と焚豊。

「ちえを助けたいだけです」

「昨日会ったばかりの妹をか」

「関係ないでしょ」


 焚豊を睨んだ。


「この町で暮らせればそれでいいんです。二人で静かに暮らせれば」

「連中が彼女を奪いに来たらどうする」

「そんなわけないでしょ。協定がある。蓋ノ騎士はこの町には入れないし、入ってきたところで国の外じゃ耳絶ちは使えない」

「それがそうでもないんじゃよ。お主は知らんようじゃが」

「──好きにすればいい」


 焚豊がかぶせて言い放った。無表情で。


「この町で、その子と二人で安心して暮らせばいい」


 レアが戻ってくると、開多は医務室へ案内された。

 焚豊とジョルジュのみとなった研究室は静けさを帯びている。


「あの少女には利用価値がある」

「あのハルタとかいう男にはないのお」

「能力の発動条件が知りたい」

「単純じゃ。器は身ごもれん。人体構造が異なるでの」

「どう異なる?」

「エネルギーは精子じゃよ」


 焚豊の目が丸く見開いた。すぐ薄目になり、視線が落ち込んだ。


「ところで、たけちゃんや。顔色が悪いが、体は大丈夫かのお?」


 焚豊の額に細かい汗の粒が見えていた。呼吸も微かに荒い。


「喰絶を見たと言うたが、浴びんかったか?」

「問題ない」

「運がええ。金は体に毒じゃ」


 

   ※



「これなに?」

「虫だよ」

「名前が知りたいの」


 ちえは展示用ガラスショーケースに両手の平を押しつけ。張りついて中を覗いていた。カブトムシと虫かごに入れるような小さな丸太にへばりついた、黒光りした虫が、上からオレンジ色のライトを浴びている。

 下っ腹を締めつけられる心細さに比べれば、ちえの生き生きとした後ろ姿を見られるだけで幸せだった。このままずっと眠ったままかもしれない。毎晩そう思いながら、あの医務室でひとり、淋しさを抱えながら待ち続けることに比べれば極楽だ。

 五日目にちえが目覚めると、ミサキという女性がレアの代わりにやってきて、さらに四日間、医務室でお世話になった。学府を出たあとはミサキが経営する民宿で寝泊まりしている。


「ねえ聞いてる?」


 ショーケースは壁に埋め込まれている。枠の外側に説明書きを見つけた。

 ──ゴキブリのような濃茶褐色と光沢、コオロギのような後ろ足、カメムシのような悪臭、カミキリ虫のような長い触覚、ハネカクシのような六本の脚、螻蛄のような円筒形、縦縞模様。丸太は局地樹の枝の切り株を使用、とあった。

 名前が見当たらない。説明書の欄に名前がないか探していると、ちえが家族連れなど他の客の間を駆け抜けていった。

 動植物園は繁盛しているのか来場者でごった返している。

 他の子供とちえを見間違うようなことはない。開多には自信があった。だがちえの足はすばしっこく、見失うと探すのは難しそうだ。園内は広い。


「不用心だな」


 背後で声がし、背筋がぞわっとしながら振り返る。


「脅かさないでくださいよ」


 焚豊の姿に浅いため息を漏らす。


「蓋ノ騎士が町に入り込んでいる」


 物々しい口調で言われたが、すぐには内容が入ってこず、飲み込めなかった。冗談かと思い、


「はぃ?」

「伝えたぞ」

「伝えたって、そんな業務連絡みたいに」

「追わなくていいのか」


 ちえの姿を探すと、昆虫園を抜け、動物エリアへ駆けていく少女の背中を見つけた。ちえ、と呼びかけるが届かない。

 振り向くと焚豊はいなくなっていた。

 追いついたとき、ちえは格子の柵の前にいた。両手で柵にしがみつき、下を夢中になって見下ろしている。馬の尻尾のような後ろ髪が揺れている。後ろ姿が友心と重なった。


「ハル?」


 その声で我に返る。振り返ったちえの顔は、友心のものだった。

 開多は眼を強く瞑って頭を振り、幻影をかき消した。

 ちえの隣に立つと囲いから中を見下ろした。大きな円形広場で猿が群れている。その息を強く吸い込んだような金切り声には、個人差がないように思えた。どれも同じ音をしている。

 一匹、毛色の違う猿を見つけた。他が薄い鉛色であるのに対して、黄土色だ。複数の猿に囲まれ、ちょっかいをかけられている。じゃれ合っている、という風にも見えるが、開多にはいじめのように見えた。

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