第5話

 ウォールハーデンはこの島の名であり、島の西側にある巨大な町の名でもある。


「橋を渡ろう」

「橋?」

「エルフブリッジっていう大きな橋だよ。町へ行くには大河を渡るしかないんだ」

「泳いで渡れないの?」

「無理だよ。急流が多すぎる」


 二人は住宅街を北上し、市街地に入ると西へ向かって歩み出した。

 あちこちの掲示板や柱に、ちえと開多の顔写真が貼られている。二人はキャップを深く被った。誰かに見られている気がする。その胸騒ぎは、エルフブリッジの東詰に到着するとおさまった。

 開多の言った通り、大河〈ダックリバー〉は見渡す限り急流だった。むき出しの急流ばかりだった。流れが激しく岩に流水が打ち付け、水面は白く泡立っている。川音は二人の会話をかき消すほだった。

 橋の横幅は馬車四台分ほど。対岸は霧がかっていて見えない。

 橋を背に振り返ると、もう二度とダックリバーに戻ってこられないような気がした。次に戻ることがあるとすれば、それは逮捕されるときだろうか。

 一八で姥捨照を離れていらい住み続けてきた。見納めだろうか。思い入れはない。瓶夫の仕事が板についていたので惜しいが、そのうち山羊頭ヘルデの角材に殴られて死んだろうから、好機ととらえるべきだろうか。もっとも開多の肉体は──。


「足、大丈夫?」


 ちえは訊きづらそうだった。

 間があって、


「歩きながら話そう」


 二人はエルフブリッジを進み始める。


「俺、どんな傷もすぐ治っちゃうんだ。いつか山羊頭ヘルデに襲われたときも俺だけ生き残った。思えば子供の頃から大きな怪我や病気をしたことがなかった」

「死なないの?」


 直球な質問に開多は苦笑いし、


「どうだろう。度が過ぎれば死ぬんじゃないかなぁ。痛みがないってわけじゃないし、怖くて試してないけど」


 霧の中へ、二人は入っていった。



 西詰を通り過ぎると足元が木目から、土と砂の混ざったところに砂利と礫が散らばったような、舗装されていない黄土色の荒野に変わった。木一つ生えていない。

 霧は随分前に晴れ、視界は澄みきっている。


「ところで」


 と開多が切り出す。


「姥捨照へ引き返すなら今だけど」


 ちえの左手が開多の右手を強く握った。腕を引っ張られ、体ごと持って行かれる。抵抗できたが身を任せた。足が絡まりそうになりながらも歩みが速まる。斜め後ろから見える、ふて腐れたちえの横顔が愛らしい。肩と背中へ垂れる黒い髪の隙間から項の一部が見えた。

 もしかするとこれは少女誘拐なのでは? などと心配する必要はなかった。開多は久しぶりに、幸せの感触を思い出していた。最後にこの感覚を味わったのはいつだったろうか、と記憶を辿るが思い出せない。おそらく夢を見始める前だから、二〇年前だろう。友心といた頃だ。

 蹄の音がした。中央広場で見た黒馬の姿が印象深く残っていたからだ。それが蹄の音だと開多はすぐにわかった。と同時くらいにちえが足を止めて振り返る。

 エルフブリッジの遠くにかかる白い煙のような霧の中から、黒馬が隊列を組み飛び出してきたのが見えた。開多は声が出なかった。体が動かない。


「ハル」


 ちえの強く呼びかける声がして振り返る。ちえの視線が上へ向いていた。視線をたどり、開多は上空へ振り向く。

 山羊頭ヘルデに角材で頭を殴られた時のようだった。頭の中の思考からなにから、直前にあった幸福まですべて全部はじけ飛んだ。

 一瞬、暗雲と見間違えるほどだった。荒野の黄土色より少し薄い、裾が足首まであるベージュ色のコートを着た一団が、上空の青空を横一列に埋め尽くしていた。

 橋の西詰に黒馬──治安衛生局が横一列に並び止まった。


「たかが蓋魔だろ……」


 間抜けにひらく開多の口から、涎のように言葉が垂れ出た。痙攣する瞼と瞳。

 理解できなかった。たかが地下墓地への不法侵入、蓋魔、少女誘拐、ちえに関しては蓋魔であることと殺人だろうか。二人分の罪状を思いつく限り脳内で列挙する。それらのどこに、これだけの大群を集めなければならない理由があるのか。

 黒馬の上の局員、それから上空の蓋ノ騎士の大群が、ほぼ同時に盾蓋を構えた。楯の曲面の茜色の光沢に、日差しの弱い青空がわずかに反射して光る。きらめきが遅延する。

 立ち眩みが襲ったように視界が光った。開多は思わず目を瞑り、手で遮った。瞼を貫通する光。開多は終わりを悟る。リバーゲート監獄の大門が脳裏に過る。獄吏の卑しい笑み、その口元。

 一向に終わりがこなかった。拘束を待っていたが。

 開多は薄ら目を開け、指の隙間から覗き見た。上空に蓋ノ騎士。西詰に衛生局。目を瞑る前と変化のない景色だった。楯蓋が光ったように見えたのだが……。

 光は背後から差し込んでいた。斜め左からだ。

 振り返ると、ちえが光っていた。

 光ったのは、ちえだった。

 ちえの背中から蛾か何か、虫のような羽が満開していた。金粉が散ってきらきら輝いている。背景にオレンジ色の太陽と線が伸びていて、後光が差しているようだった。瞳がとかげや蛇のような有鱗目だ。黄色く輝いている。

 羽が動いた。羽ばたき始めた。ゆっくりと。途端に突風が吹いて、砂埃と混ざり金粉が広がった。

 呻き声がした。後ろからだ。開多が振り返ると、黒馬の上で衛生局員たちが口から泡を吹いている。泡に赤が混じっている。目、鼻、口、耳から血を流している。開多は目を細めた。足の裾の間からも赤黒い液体が垂れていた。そのうち落馬して、地面で痙攣すると動かなくなった。

 空から蓋ノ騎士が落ちてくる。

 きれいな横一列が落下しながらも維持されているから、開多にはガラスワイパーのように見えた。ショーウィンドウの内側でゆっくり下りていく清掃業者のガラスワイパーの接地面だ。 

 接地面では、騎士が血の混った泡を吹いている。首を押さえる姿だけなら開多の位置からも確認することができた。

 やがて落下速度に差が現れ、線が乱れるころ、騎士の一団は地面へ落ちた。ほとんどは空中で窒息死した。運良く地面まで耐えた者は首から落ちたか、内臓が破裂して即死。腕や足など、肉を突き破り飛び出た自分の骨を、痙攣しながらしばらく眺めてから死んだ。荒野から突き出た岩の上に落ちた騎士は、背中から逆向きに折れ曲がり、裂けた腹から内臓が飛び出た。急流の岩場にも同じ光景が見られた。岩と岩の間に複数体、詰まったように埋まっている。岩場に飛び散った血と肉片が白い泡に混ざり、大河に桜色の筋ができる。じきに岩場に詰まった肉体も水流に流され、何事もなかったかのようにすべて南へ流れて消えた。

 後光が消えた。背中の羽も消え、目を瞑るちえの体が開多の方へ倒れる。しゃがみ込み、尻餅をついて、ちえの頭をそっと自分の太股へ下ろした。

 上空に一つ残る影に、開多は気づく。目を細めると、それは人だった。人がふわっと開多の目の前に下りてきた。


「何をした」


 地下墓地であった若い蓋ノ騎士だった。年配の無精ひげの騎士に、焚豊、と呼ばれていた。

 質問の意味をすぐに理解できず、開多は黙った。顔を蹴り上げられた。口から血が少量飛んだ。胸ぐらを掴まれた。開多の口の際が切れ、そこから血が垂れている。


「傷が……」


 若い騎士は目をぐっと見開いた。開多の口の際にあった傷が、治っていくのが見えたからだ。

 すると若い騎士は、開多の頬を殴った。何度も。やがて赤く腫れた右の頬と目元が、治っていく。それを確認すると瞳が動揺に震えながら胸ぐらから手を離した。



   ※



「何故昨日のうちにウォールハーデンへ渡らなかった」


 若い騎士は、目鼻立ちの綺麗な線の細い顔つきをしていた。隣に腰を下ろし、たばこを吹かすほどくつろいでいる様が不気味だった。

 眼前には、あの蓋ノ騎士が浮塵子うんかのように散りぢりに、ある程度固まって死んでいる。鉄臭いような、精子臭いような汚物の臭いが風に流され漂ってくる。鼻腔を刺激する。このあと逮捕され、リバーゲートへ連行されてしまうのだろうか。開多はそればかり考えていた。

 これだけの大群で押し寄せたのだ。ただでは済まないのだろう。どう済まないのかはわからないが、先ほど見せたちえの状態を思えば、単純に連行されるよりももっと悪い状況である気がした。

 足には自信がある。瓶夫業で鍛えられた足だ。馬力もある。逃げるべきか。ちえを置いてはいけない。


「逮捕しないんですか」


 するならさっさとしてくれ。


「わけがわからん。昨日の今日でこれだ」


 昨日の今日、というのは、自分やちえを逃がしてしまった昨日から数えて今日、という意味だろうか。


「街の手配書は見ただろ」


 開多は頷く。


「お前ら、なにもんだ? その子とどういう関係だ」

「妹です」

「その子の調べはついてるんだ。お前に関してはどこの誰だか知らんが。余計な会話はしたくない。その場しのぎにもならない嘘はよせ。その子に兄はいない」


 開多は口ごもる。


「これほど早く手配書が上がることはない。蓋ノ守がその子を欲しがっている」

「ちえを?」開多が食いつく。

「まあ知らんわな、そんな話。俺も昨日知ったばかりだ」


 蓋ノ騎士と雑談を交わすこの状況が、開多にとっては新鮮だった。

 蓋ノ騎士団は普段、表には出てこない、蓋ノ守直属の護衛隊のような組織だと開多は認識している。いつか自分にも耳絶ちが芽吹く日が来ると夢を見られた幼少期、憧れたこともあった。


「どうして蓋ノ守が」

「さあな。だが事実なんだろう。でなけりゃ、この数の騎士がこんなに早く動かない。助けてやる、俺がそう言ったらお前、どうする?」


 唐突に騎士が言った。前後の雑談内容とまざって聞こえ、聞き間違えかと一瞬思った。


「ついて来るか? ウォールハーデンに知り合いがいる」

「どういうことですか。ウォールハーデンに行くんですか?」

「そのつもりでエルフブリッジを渡ったんじゃないのか?」

「そうですけど。あなた蓋ノ騎士ですよね? リバーゲートへ連行しないんですか?」

「蓋ノ騎士団・聖域庭園警備部隊所属、焚豊だ」

「たけとよ?」

「さん、でいいから敬称をつけてくれ。年長者は上辺だけでも敬っておくにこしたことはない」


 焚豊が思い出したように、


「じいさんは騎士としちゃ歳を取り過ぎてたが、楯蓋の腕は悪くなかった。あの時お前に耳絶ちはちゃんと当たっていた。なぜ動けた?」

「じいさん?」

「昨日お前を捕らえようとした無精ひげの年配騎士だ」


 昨日、焚豊と一緒にいた年配の騎士のことを思い出した。


「お前たちを見てると、昔の自分を思い出す」


 焚豊が、紙巻き煙草を小石の平らな表面にこすりつけた。



   ※



 西へ向かって荒野を歩きしばらくすると、徐々に足元に草木が生い茂ってくる。気づけば辺りは緑一色。

 起伏ある平地の先の小高い丘の頂上、その眼前に巨大な町が見えた。


「やっと着いた」


 ウォールハーデンは山の斜面に沿って建造物が建ち並び、町が形成されている。クリーム色の町並みに対し、頂上に見える敷地面積が一際広い赤の建造物が目立つ。

 堅牢というわけではない。町全体を囲む防壁は、背高い丸太を縦に並べただけの簡素のもの。


「ウォールハーデン。来るのは初めてか?」

「商品を卸に何度も」


 思い出したように、


「そうだったな」


 開多の背中で眠るちえ。左肩に顎がのっている。


「ほら、見てごらん。ウォールハーデンだ」



「あれ、焚豊? 焚豊じゃないか。ひっさしぶりだなぁ」


 関門の前に陽気な声を張る衛兵の姿が見えていた。

 焚豊が軽く手を上げる。緩む表情。

 その光景が開多には奇妙だった。

 ウォールハーデンの衛兵と面識を持つ蓋ノ騎士。


「あれ、よく見ると開多さんまで。今日はお一人じゃないんですね」


 衛兵が背中のちえを、冗談っぽくいぶかしげに覗く。


「顔見知りか?」と焚豊。

「いつも八リットル大瓶を届けてくれるんだ。大量にな」


 開多を見て、


「あれ、でも今日は手ぶらなんですね」


 開多が焚豊をちらっと見る。


「ちょっと向こうで色々ありまして。しばらく潜れないかもしれません」


 苦笑いを浮かべた。

 焚豊が間髪入れずに、


「地下墓地への侵入罪と未成少女誘拐の罪で俺が捕らえた」

「はぁ?」

「冗談だ。じじいに合わせる」

「なんだよ」呆れた風に、「そういうことか」


 そよ風に煽られた木々の揺れがひいていくように表情を変え、


「学長なら研究室だ」


 衛兵の雰囲気が少し落ち着いた。


「この子は?」


 背中のちえを衛兵が覗き込む。

 焚豊か自分か、どちらへ訊いているのかわからなかったが、


「妹です。町を見せたくて」

「へぇ、妹さんですか。道理で似てると思いました」


 嘘だな、と開多は思った。


「動植物園なんかいいところですよ。町の東にあるんですけどね。動物や植物だけでなく、昆虫も見られるんです」

「虫ですか……」


 やや拒絶を顔に表す。実際、開多は虫が嫌いだ。


「珍しい虫が多いんですよ。標本とか動物の剥製もありますし」

「面白そうですね。今度いってみます」

「是非」


 衛兵がはにかむ。

 行かないだろうな。そう思いながら焚豊の後をついていく。門をくぐり、町へ踏み入ると、


「焚豊、あんま奥さんを長いこと一人にさせんなよ」


 衛兵の声がする。


「大きなお世話だ」


 焚豊の顔つきがやわらかい。開多は衛兵に会釈した。

 クリーム色の町を歩く。足元はタイル。傾斜のある路地を登るように進んだ。アーケードをくぐり、人混みで賑わう商店街へと入っていく。


「蓋ノ騎士なのに、ウォールハーデンに知り合いがいるんですね」

「この町の出身だからなぁ」


 それは変だ。


「じゃあなんで楯蓋が使えるんですか? 耳絶ちは蓋ノ人にしか芽吹かないはずですよね」


 蓋ノ騎士は、蓋ノ人にしかなれない。


「ああ、ちゃんと使えない」


 焚豊が何を言っているのかわからなくなった。


「俺に耳絶ちはない」


 そう言って焚豊が、右手の楯蓋の裏から手の平サイズの、厚みのある本を取り出した。開多へ見せると、すぐに隠すようにまた戻す。


「教典?」


 と開多が反応する。


「見たことがあるのか? ダックリバーじゃ出回らないだろ」

「昔、一度だけ」

「これは特注品だ。楯蓋の裏に仕込みやすいよう、わざと小さく作ってある」


 焚豊が改まるように、


「安心しろ。俺はお前たちの味方だ」


 はぁ、と開多は愛想のない、吐息のような相づちを打った。

 信用できるはずもない。蓋ノ騎士という事実、存在感、肩幅の広さに、コートの上からでもわかる鍛え抜かれた肉体に屈服しているに過ぎない。耳絶ちは効かないが、単純に腕っぷしで羽交い締めにされれば抵抗できないだろう。


「蓋ノ騎士じゃない。俺は、ウォールハーデンの学徒だ」

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