第4話
表札には〈恥廻〉とあった。ちえ、と読むらしい。事前に確認していなければ読めなかっただろう。そう思いながら、「どうぞ」と衛生局員は中へ通された。木造建築、二階建ての古民家だった。
「わざわざすみません」
恥廻妙子の愛想は嘘っぽい。偽の笑顔だとすぐに分かる表情は、笑うとカッターナイフで切ったように目が細くなる。目の奥が笑っていない。鬱陶しがっている。
局員は居間へ案内された。座布団を出されそこへ正座した。角の丸い正方形のこたつテーブルを挟んだ向かいに、妙子も腰を下ろす。
「娘さんが見つかりました」
「そうですか」
娘が行方不明だというのに酷く落ち着いた声をしている。
「潜りの男と一緒です」
「潜り?」
「地下墓地での密猟を生業とする者立ちです。地下へ潜るから、潜り」
「なんでそんな人と?」
「詳細はお話できませんが、誘拐されたようです」
「そうですか」
ため息をこぼした。
「物好きがいるんですねぇ。どうせなら、そのままずっと誘拐しててくれればいんですけど。その、私としては……お分かりですよねぇ? 娘は蓋魔ですから。それに、主人を殺した化け物の顔なんて見たくありません」
「まだ殺したとは」
「亡くなった、って言ったじゃないですか。分かりますよ。目の前で見ましたから。医者が来たのは一時間近く過ぎてからです。正確に計ったわけではないですけど」
「娘さんが写っている写真はありませんか?」
「話、聞いてくださってましたか? 戻ってこられても困るんです」
「国からお祈り金が出るそうです」
妙子が目を見開いた。白目の見える範囲が広がった。
「懐胎券もこちらで再発行いたします」
「懐胎券まで? それ本当なんですか?」
「ただし捜査に協力していただく必要があります。
「そういうことでしたら協力は惜しみませんが」
「娘さんが写っている写真はありませんか?」
「卒業アルバムがあったはずです」
と妙子は立ち上がり、居間を出て玄関前の階段を上がっていった。天井が荒々しい物音が聞こえる。しばらくすると音が止み、階段を下りる足音が聞こえた。居間へ戻ってきた妙子の手には、分厚く大きなアルバムが見えた。
「これです」
テーブルに置いた。深緑色の絨毯生地のような表紙に、〈姥捨照小学校〉とある。中を開いて、
「これがあの子です」
と写真を指差した。
「こちら、しばらくお借りすることはできますか?」
「差し上げます。使いませんので」
※
近所にある早朝営業のスーパーで適当に買い物を済ませ、家路につく開多の視線が、深く被ったキャップのつばすれすれを泳いでいる。柱や塀、木製掲示板など、至るところに開多の逃走中の横顔が印刷された指名手配書が貼られている。紙面下部に〈蓋ノ治安維持衛生局〉という文字が見える。
その隣には、〈さがしています〉という見出しと一緒に、ちえの顔写真の印刷されたチラシが貼られていた。下部には何もない。
どちらも下手な印刷のせいで、写真の顔がぼやけている。
腹痛時にかくような嫌な汗がにじみ出る。足が勝手に早足になった。抑える。普通にしていよう。
空に張り巡らされた〈風線〉を見た。柱から柱へ繋がる黒い線のことだ。ダックリバーを照らすあらゆる灯りは、耳絶ちで作られている。この線を通り町全体へ供給されているらしいが、開多は耳絶ちが使えないこともあって理屈がよくわからない。楯蓋をうちわのように扇ぎ、耳絶ちを何か大きな機械へ流す大量の人々の姿を開多は想像した。ベージュの革スーツを着た会社員を早朝スーパーでよく見かける。出勤途中だろうか。彼らもそんな労働に勤しむのだろうか。開多は、ニスを塗ったようなそのスーツの照りが好きではなかった。
リビングへ入ると、ちえが布団から上体だけ起こし、分厚い本を開いていた。開多の姿に気づくと、目が合い、悪戯をみられた子供のように表情だけ慌て、そっと本を閉じた。その反応が可笑しくて、開多は笑みこぼしながら買ってきたものを床に置いた。
「読んでていいよ。朝ご飯つくるから。何がいい? アレルギーとかない?」
ちえが首を振る。
スクランブルエッグ、ウィンナーパンなどの穀物類に、味噌汁にオレンジジュース。すべて東の港に届き、そこから流通しているものだ。
「いただきます」
ひかえめな声で言って、ちえは食べ始めた。いつも薄暗く、気落ちしたような朝のリビングが晴れやかだった。日差しを帯びたように明るい。カーテンを開けていたからだった。ちえが開けた。開多はいつも締め切った状態で食べるし、部屋にいるときは開けない。
「手配書が貼られてた」
「……私の?」と食べながら。
「俺の。ちえのもあった。手配書じゃなくて、〈さがしてます〉って書いてあるやつ。写真も載ってた」
「ハルの写真も?」
「うん。手配書の方にね」
「ハルも、何か悪いことしたの?」
ハルも、という言葉が気になった。ちえは、自分が悪いことをしたと思っているのだ。
そもそも触れただけで人が死ぬなどありえない。まだそうと決まったわけではない。蓋魔なら死なず、そうでなければ死ぬ、という考えもいい加減すぎる。そう言おうとしたが、
「地下墓地っていう入っちゃいけない場所に入ったんだ」
「お墓?」
「黒い液体の入ったガラス瓶あったろ?
「へるで?」
「山羊の頭をした巨人だよ。俺も知らないけど、欲に溺れた人の成れの果てだってさ」
「それがハルのお仕事?」
「仕事っていうか、まあ、そうだな。そうかもしれない」
蓋ノ人たちは労働者を〈立派な蓋ノ人〉と安直にいうが、それは早朝スーパーで見かけた革の背広を着て定職につくような者たちのことであって、潜りのような不敬不遜の雑種に対してではない、ということを開多はよく理解していた。雑種では駄目なのだ。共同体に属して雑種的性質を脱しなければいけない。潜りは仕事ではない。金が稼げるのだから仕事たり得るはずだが、仕事ではないのだ。社会は認めない。なぜ認められなければいけないのか、その理由はわからないが、認められなければ金が稼げても仕事ではないらしい。
「あれ、ちえの親が貼ったんだよ。業者か何かに頼んで」
「絶対違う」
ちえは強く言い切った。
「お母さん、クラスの子たちとおんなじ目してた」
「同じ?」
「虫みたいな黒い目」
一三歳以前の記憶だと開多はすぐにわかった。自分へ笑顔を振りまく友心の姿、その背後の遠くに同級生や教員や村の者たちが屹立している。こちらをじっと見ている。白目に囲われた黒目は大きく、タールのように黒い。
あの目か。開多もそれを、虫の目と呼んでいた。
忘れていたわけではないが、ダックリバーへ来てからは思い出す機会が少なくなった。蓋魔が周囲からどういう扱いを受けるのか、特にそれが閉鎖的な小さい町や村になると、周囲は変身する。中身が何か別のものに入れ替わったようだ。日中から瞳孔の開いたその顔面のイメージが、脳裏から離れない。
開多には優に想像することができた。蓋魔なのでは、と疑いがかかるだけで、人の目は虫に変わる。
思い出すと下っ腹の辺りが萎縮していくようだった。
「逃げられないかもしれない」
心細さが襲い、気づくと口からついて出ていた。
「見なかったけど、衛生局が捜しまわってるはずだ。蓋ノ騎士はないか。治安維持には関わらないし。あれは
不安から、早口で、畳みかけるように口が動いた。頭の中で整理する情報がそのまま口から出てしまった。「大丈夫だよ、きっと」
「……そう思う?」
「うん。だって、不可能なことはないんだよ?」
身体に電気が流れた。強いアルコールを一気に喉へ流し込んだような熱が、みぞおちの辺りから頭の天辺にかけて上昇する。顔が熱くなる。鼓動が速くなり、息が詰まった。
「誰かが無理だって言っても、諦めなければなんでも叶う。だって、この世界には空に浮かぶ城や、喋る木や、人と意思疎通するどらごんだっているんだよ?」
「……どら、ごん?」
開多の唇が震えている。
「翼の生えた大きいとかげのこと」 開多の目から涙がこぼれた。無表情な頬を伝い、輪郭へ流れる。
「ハル?」
とちえが心配そうに、顔を覗き込む。それに気づいて開多は慌てて袖目を拭った。
「なんでもない」
「どうしたの?」
心配そうな表情まで、友心と同じだった。
「友心と同じこと言うから」
「同じ?」
「不可能なことはないって……友心もよくそう言ってたから」
玄関の方から扉を叩く音がした。会話が止まる。
体の熱が冷める。かと思うとまた熱が上がってきた。
「開多さーん」
野太い男の声。がたいのいい横柄な図体の男の姿が、開多の脳裏に過った。
室内がしんとしている。二人して黙り込み、リビングの扉の方へ首だけを向けている。扉は一部がガラス張りで、そこから玄関が透けて見えた。
また二回叩く音がきこえた。
「開多さーん、いますよねぇ? ちょっと出てきてもらえませんか」
なぜここだとばれたのか。名前まで知られている。
開多は静かに立ち上がった。ちえは明るいオレンジ色のオーバーホールを着ている。
昨日のことだ。アパートを出ることになった際を考え、クローゼットの奥から地味な色を探していたら、それがいい、とちえが指差した。いつかセールでいい加減に選んで買った、サイズ違いの小さいオーバーホールは、まるでちえが着るために作られたかのように、彼女の体格にぴったり収まった。オレンジ色のキャップを被ると、ちえは頭の天辺から足首までオレンジ色になった。
扉を開け、音がしないよう静かに廊下へ出た。玄関まで行って、息を潜めながら自分とちえの分の靴を取る。リビングへ戻ると、ちえがキャップをかぶり、立って待っていた。
「窓から出よう」
小声で言った。リュックを背負い、窓の外を見た。見える限りでは、裏に誰もいない。鍵を静かに開け、念のため身をかがみ、音を立てないようにベランダへ出た。
欄干からそっと身をそっと乗り出し、下を見る。やはり裏にはまわられていなかった。
はしごも何もない。どうやって下へ下りる。
「これ」
ちえが雨樋を指差す。
玄関の方から扉を強く蹴るような音がした。何度も。「開けろ」と巻き舌の怒鳴り声が聞こえる。
「俺が先におりて、ちえが落ちたときのために、下で構えとくよ」
ちえの頷きを見てから、跨いで欄干の外側に立つ。縦樋が下がまで続いてる。両手でつかみ、縦樋を支えている金具部分に足をかける。ナマケモノの気分だ。ゆっくり下までおりきってから、ベランダを見上げる。ちえとアイコンタクトを取り、頷いた。
同じように、ちえは欄干を跨ぐ。欄干の外側に立って、一度深呼吸を入れる。下で開多が見守っている。縦樋に右手、金具部分に右足と順にかけた。左手が縦樋に伸び、左足がベランダの縁を離れる。手を滑らせた。ちえが落ちた。
声よりも先に体が動く。開多の慌てた足元が浅く開き、左右へ微動する。腕を頼りなくやや広げたところへ、ちえの背中が落ちてきて、開多の体がぐにゃっと沈んだ。
小さい「う」のような呻きが聞こえ、ちえが起き上がる。下敷きの開多は動かない。
「ハル」
ちえが声を張ってしまった。慌てた声が響く。
「……じょうぶ」
大丈夫、と言おうとしたが声が出なかった。
開多の左腕が、肘の辺りから外側へ曲がっている。手首も内側へ曲がっている。
右手をバッタの足のように地面へつき、体重をかけてゆっくり背中を起こす。上体を起こすと同時に、耐えていた痛みが吐息となり、喉から噴射して浅く開いていた歯と唇の間から漏れ出る。痛みが全身を襲い、顔を真っ赤にしながら耐えた。
横で見ているちえの顔が泣き出しそうだった。
胸の辺りが痛む。重い。と思うと、脇腹、左の股関節も痛くなってきた。ちえの体重が悪い方向へかかってしまったのだろう。折れたかもしれない。
「すぐ治る」
そう言って縦樋へ這って近づき、金具部分に右手を引っ掛け、右足で踏ん張りながら立ち上がる。
「あっちは駄目だ」
L字のアパート、その左側。天辺に近い位置に二人はいた。路地側が騒がしい。
「あの塀を登ろう」
L字の下には塀があり、民家が見えている。
「でも足が」
ちえが悲しそうに開多の足を見ていた。開多の左足のつま先が、外側へ開いたまま戻らない。やはり折れていた。
左足を引きずりながら、開多はゆっくり進み始める。
「そろそろだ」
開多がそう言った直後、水道から一気に水を流した際のホースのように左足が暴れだし、ぴたっと動きを止めた。つま先が、右足と同じように前へならっている。地面へ立派に直立している。
続けて左腕も同じようして元に戻ると、開多は慣れたふうに左手足を伸ばしたり縮めたりして、ストレッチした。
ちえの顔から表情が消えていた。唇をぴたっと閉じ、目だけがびっくりしたように開いている。
「下だ」
上から声がした。ベランダに辿り着いた衛生局員数名が、欄干から身を乗り出していた。
金属製の階段を駆け下りる音、人の息づかいがL字の天辺──路地側からきこえる。騒がしい。
二人はL字の下まで駆けた。
「登って」
開多がしゃがみ、台になってちえが先に塀をよじ登る。
「あそこだ」
L字の天辺から裏へ局員がまわってくるのが見えた。すぐに開多もよじ登り、隣の民家の縁側へ下りる。路地へは出ず、背中の塀と反対方向にある別の塀を登り、さらに隣の民家下りた。敷地内に生垣を見つけ、そこに二人して身を潜めた。
路地で雑踏のような足音が走り抜けていく。馬の蹄のタップする音が、音の節々からきこえる。息が詰まりそうになりながら、二人は待った。
音が遠ざかっていく。
「ダックリバーはもう駄目だ。ウォールハーデンへ逃げよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます