『戦雲6』



追跡劇は、半日に及んだ。


呂布と紅龍馬は、人間軍の前方を飛びながら、巧みに距離を調整していた。近づきすぎず、離れすぎず。敵の追撃意欲を保ちながら、廃坑へと誘導する。


人間軍は、隊列を乱しながらも必死に追ってきた。


「あれを逃すな!」


「追え、追え!」


将校たちの怒号が、風に乗って聞こえてくる。呂布は薄く笑った。


「愚かな連中だ。罠に誘い込まれているとも知らずに」


紅龍馬が、同意するように小さく嘶いた。


やがて、廃坑のある岩山が見えてきた。


「もう少しだ」


呂布は高度を下げ、岩山の麓へ向かって降下した。廃坑の入口が見える位置で、紅龍馬を旋回させる。


人間軍も、岩山に到達し始めていた。


先頭の騎兵隊が、呂布の姿を見つけて叫ぶ。


「いたぞ! あそこだ!」


「包囲しろ! 逃がすな!」


騎兵たちが散開し、呂布を取り囲もうとする。後続の歩兵たちも、次々と岩山の麓に到達していく。


「よし……十分だ」


呂布は、廃坑の入口を見た。


暗い穴の奥から、無数の目が光っている。魔蜘蛛たちだ。外の騒ぎを感じ取り、獲物の気配に反応している。


「出てこい」


呂布は、威圧のスキルを発動した。


命令の意思を込めて、廃坑へ向けて放つ。


狩れ。あれがお前たちの餌だ。


────────────────────────


最初に気づいたのは、騎兵の一人だった。


「な、何だ……あの穴から何か……」


廃坑の入口から、黒い影が溢れ出してきた。


魔蜘蛛だ。一体、二体、五体、十体……次々と這い出してくる。その無数の目が、人間たちを捉えていた。


「ま、魔物だ!」


「蜘蛛だ! 巨大な蜘蛛が——!」


悲鳴が上がった。


魔蜘蛛たちは、躊躇なく人間たちに襲いかかった。鋭い脚が振り下ろされ、粘着性の糸が放たれ、毒牙が閃く。


「ぎゃあああああっ!」


最初の犠牲者が出た。騎兵の一人が、魔蜘蛛の脚に貫かれて馬から落ちる。


「て、撤退だ! 撤退しろ!」


将校の一人が叫んだ。だが、既に遅かった。


魔蜘蛛たちは四方から人間軍を包囲していた。逃げ道を塞ぎ、獲物を追い詰めていく。


「円陣を組め! 盾を構えろ!」


別の将校が、冷静に指示を出した。歩兵たちが素早く隊列を整え、盾の壁を作る。


「弓兵、射撃準備! あの化け物どもを射殺せ!」


矢が放たれ、魔蜘蛛の一体に命中した。甲殻を貫き、魔蜘蛛が悲鳴を上げる。


「効くぞ! 撃ち続けろ!」


人間軍は、混乱しながらも反撃を始めた。訓練された軍隊の底力だ。パニックに陥りながらも、組織的な抵抗を試みている。


呂布は、上空からその様子を見下ろしていた。


「やはり、簡単にはいかないか」


魔蜘蛛たちは強いが、人間軍も精鋭だ。このままでは、魔蜘蛛が全滅するかもしれない。


「もう一押しだ」


呂布は、紅龍馬に指示した。


「援護する。敵の指揮官を狙え」


────────────────────────


紅龍馬が急降下した。


人間軍の中央、将校たちが集まっている場所へ向かって突っ込む。


「空からだ! あの龍馬が来るぞ!」


兵士たちが叫び、弓を向ける。矢が放たれるが、紅龍馬の速度には追いつけない。


「獄炎」


呂布の命令と同時に、紅龍馬が口を開いた。


白に近い高熱の炎が、人間軍の中央に降り注ぐ。


爆発。


悲鳴。


炎が兵士たちを呑み込み、陣形を吹き飛ばした。


「うわああああっ!」


「熱い、熱いいいいっ!」


混乱が、一気に拡大した。


魔蜘蛛たちも、その隙を見逃さなかった。崩れた陣形の隙間から、次々と人間たちに襲いかかる。


「くそ、くそっ!」


将校の一人が、剣を振るって魔蜘蛛を斬り倒した。だが、すぐに別の個体が飛びかかってくる。


「撤退だ! 全軍、撤退!」


ついに、撤退命令が下された。


人間軍が、西へ向かって退却を始める。だが、魔蜘蛛たちが追撃する。糸を放ち、脚を振るい、逃げる兵士たちを次々と仕留めていく。


呂布は、その光景を見下ろしていた。


「十分だ。これ以上は深追いしない」


紅龍馬に指示し、上空へ離脱する。


眼下では、人間軍の撤退が続いていた。隊列は完全に崩壊し、兵士たちは散り散りに逃げ惑っている。


「これで、二日は遅れるだろう」


呂布は呟いた。


人間軍は、態勢を立て直すのに時間がかかる。廃坑の魔物の存在を知った以上、慎重に進まざるを得ない。別のルートを探すかもしれない。


いずれにせよ、進軍は大幅に遅れる。


「魔王軍との到着タイミングが、合ってきたな」


呂布は、満足げに頷いた。


────────────────────────


日が沈む頃、呂布と紅龍馬は廃坑から離れた丘の上にいた。


眼下では、まだ散発的な戦闘が続いている。魔蜘蛛たちは、獲物を追って森の中まで進出していた。人間軍の残党を狩っているのだろう。


「被害は……」


呂布は、戦場を見渡した。


人間軍の死傷者は、百を超えているだろう。魔蜘蛛も、十体以上が倒されていた。だが、呂布の目的は達成された。


「西からの脅威は、これで抑えられる」


問題は、南だ。


魔王軍は、今どこにいるのか。呂布の遅滞戦術で、どれだけ遅れているのか。


「拠点に戻る。状況を確認せねばならない」


紅龍馬が頷き、東へ向かって飛び立った。


────────────────────────


拠点に戻ったのは、深夜だった。


見張りが呂布を見つけ、すぐに幹部たちが集まってきた。


「呂布様! お戻りですか!」


「ああ。報告がある。だが、先にそちらの状況を聞く」


グルドが、緊張した面持ちで口を開いた。


「南方の偵察隊から、報告がありました」


「魔王軍か」


「はい。敵は川の迂回を終え、再び北上を開始しています。現在の位置は、拠点から南へ二日半の距離」


「二日半……」


呂布は、計算した。


人間軍は、今日の襲撃で少なくとも二日は遅れる。態勢を立て直し、別ルートを探し、慎重に進軍するとなれば、更に遅れるかもしれない。


一方、魔王軍は二日半の距離。進軍速度が回復しているなら、三日から四日で到着する。


「……合ってきたな」


呂布は呟いた。


両軍の到着タイミングが、ほぼ同じになりつつある。あと少しの調整で、鉢合わせを実現できる。


「呂布様、人間軍の方は……」


「叩いてきた。魔蜘蛛の群れを使って、大きな被害を与えた。二日以上は遅れるはずだ」


幹部たちの顔に、安堵の色が浮かんだ。


「では、計画通りに……」


「ああ。だが、まだ安心はできない。両軍の動きを監視し続けろ。少しでも変化があれば、すぐに報告しろ」


「承知しました」


呂布は、広間を見回した。


「全軍の状態は」


「戦闘準備は整っています。武器は全員に行き渡り、訓練も順調です。いつでも戦えます」


ゴルドが答えた。


「よし。だが、正面から戦うつもりはない。両軍が鉢合わせた後、消耗した方を叩く。それまでは、隠れて様子を見る」


「はい」


「それと、退避経路の確保だ。万が一、計画が失敗した場合に備えて、北への退路を確保しておけ」


「……退路、ですか」


グルドが、僅かに躊躇した。


「逃げることも、選択肢の一つだ。全滅するくらいなら、逃げて生き延びる。それが、長く戦い続けるための知恵だ」


「……承知しました」


呂布は、幹部たちを見回した。


「決戦まで、あと数日だ。各自、最後の準備を整えろ」


幹部たちが頷き、散っていった。


────────────────────────


深夜の拠点で、呂布は一人考えていた。


紅龍馬は、疲労から眠りについている。連日の飛行と戦闘で、相当な消耗だったはずだ。


「よくやってくれた」


呂布は、眠る相棒を見つめた。


紅龍馬がいなければ、ここまでの作戦は実行できなかった。空からの偵察、奇襲、離脱。全てが紅龍馬の機動力に支えられていた。


「……あと少しだ」


呂布は、空を見上げた。


二つの月が、雲間から顔を覗かせている。静かな夜だ。だが、その静けさの下で、二つの嵐が迫っている。


人間軍。魔王軍。


二つの大軍が、この拠点を目指している。その総数は、三千近い。呂布軍の五倍以上だ。


普通なら、勝ち目はない。


だが、呂布には策がある。


「両軍をぶつけ、消耗させる」


それが、呂布の作戦だった。


敵同士を戦わせ、漁夫の利を得る。古来より用いられてきた兵法だ。だが、実行は容易ではない。タイミングを誤れば、自分たちが挟撃される。


「……うまくいくか」


呂布は自問した。


答えは、出ない。やってみなければ分からない。


だが、一つだけ確かなことがある。


「退くつもりはない」


呂布は、拳を握った。


どんな結果になろうと、全力を尽くす。それが、呂布奉先の生き方だ。


「見ていろ」


呂布は、空に向かって呟いた。


「俺は必ず、天下を取る」


その決意を胸に、呂布は夜明けを待った。


────────────────────────


翌朝、新たな報告がもたらされた。


「呂布様! 人間軍が動き出しました!」


ピックが、息を切らせて報告に来た。


「何だと。もう動いたのか」


「はい。昨日の襲撃の後、一度撤退しましたが……今朝になって、再び東へ向かい始めました」


「規模は」


「約七百。死傷者と逃亡者を除いた、残存兵力です」


七百。三割近くを失ったが、まだ相当な戦力だ。


「進路は」


「廃坑を迂回し、北寄りのルートを取っています。おそらく、我々の拠点を直接狙う気です」


呂布は、眉を顰めた。


予想より早い。人間軍の指揮官は、かなり優秀なようだ。昨日の混乱から、一晩で態勢を立て直している。


「到着予想は」


「このままの速度なら……四日後です」


四日後。


魔王軍の到着予想は、三日から四日後。


「……ほぼ同時か」


呂布は、計算した。


両軍が同時にこの拠点に到達する。計画通りだ。だが、問題は場所だ。


「両軍を鉢合わせるには、同じ場所に誘導せねばならない」


呂布は、地図を広げた。


人間軍は北西から。魔王軍は南から。両者の進路が交わる地点は……


「ここだ」


呂布は、地図の一点を指差した。


拠点の南西、谷と森が入り組んだ地域。ここで両軍が出会えば、戦闘は避けられない。


「両軍を、この地点に誘導する」


「どうやって……」


「俺たちが餌になる」


呂布は言った。


「俺たちの姿を見せ、両軍を追わせる。そして、この地点で両軍が鉢合わせるように誘導する」


グルドが、息を呑んだ。


「それは……非常に危険です。一歩間違えれば、両軍に挟まれます」


「分かっている。だが、他に方法はない」


呂布は、幹部たちを見回した。


「最終決戦だ。全軍で動く。俺と紅龍馬が先導し、両軍を誘導する。お前たちは、俺の指示に従って動け」


「……承知しました」


幹部たちが、覚悟を決めた顔で頷いた。


「準備を急げ。明日、出発する」


────────────────────────


その日の午後、呂布は全軍を集めた。


五百六十の配下たち。ゴブリン、ホブゴブリン、オーク、トロール。様々な種族が、呂布の前に整列していた。


「聞け」


呂布の声が、広場に響いた。


「明日から、最終決戦が始まる」


配下たちが、緊張した面持ちで呂布を見つめた。


「西からは人間の軍勢、七百。南からは魔王の軍勢、二千近く。合わせて三千近い敵が、俺たちを狙っている」


ざわめきが起きた。三千という数字に、動揺する者もいる。


「だが、恐れるな」


呂布の声が、ざわめきを切り裂いた。


「俺には、策がある。敵同士を戦わせ、消耗させる。そして、弱った方を叩く。それが、俺たちの戦い方だ」


配下たちが、呂布を見つめた。


「正面から戦えば、勝ち目はない。だから、正面からは戦わない。知恵を使い、敵を翻弄し、最小の犠牲で最大の成果を得る」


呂布は、配下たちを見渡した。


「俺についてこい。必ず勝つ」


沈黙が落ちた。


やがて、一人のゴブリンが声を上げた。


「呂布様についていきます!」


それを皮切りに、次々と声が上がった。


「俺も!」


「俺たちも!」


「呂布様の命令なら、どこへでも!」


歓声が広がり、広場を埋め尽くした。


呂布は、その光景を見つめていた。


「……よし」


小さく呟き、拳を掲げた。


「勝つぞ!」


配下たちが、一斉に拳を掲げた。


「おおおおおっ!」


咆哮が、山々に響き渡った。


決戦の時が、近づいていた。


【現在の状況】

■ 敵軍の状況

・西方:グラナド辺境伯軍(約700名)

 →廃坑での襲撃で300名の死傷者

 →北寄りのルートで再進軍中

 →到着予想:4日後

・南方:樹海の魔王軍(約1,850名)

 →迂回を終え、北上再開

 →到着予想:3〜4日後


■ 作戦計画

・両軍を拠点南西の交差地点へ誘導

・呂布と紅龍馬が囮となり、両軍を追わせる

・両軍が鉢合わせた後、消耗した方を叩く


■ 呂布軍の状況

・総勢:約560名

・全軍が戦闘準備完了

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