『戦雲5』
翌朝、呂布は夜明けと共に拠点を発った。
紅龍馬は残してきた。連日の戦闘で疲弊している相棒を、これ以上酷使するわけにはいかない。今回は、呂布一人で廃坑を調査する。
西へ向かって走る。
鬼人の脚力は、常人の数倍だ。山道を駆け、森を抜け、川を渡る。通常なら二日かかる距離を、一日で踏破するつもりだった。
走りながら、呂布は考えていた。
廃坑の魔物。十年前に人間を追い出したという存在。その正体は何か。利用できるほどの戦力があるのか。
「行ってみなければ分からんな」
独り言を呟きながら、呂布は足を速めた。
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日が高くなる頃、呂布は異変に気づいた。
森の様子が変わっている。木々の葉が黒ずみ、地面には奇妙な苔が生えている。空気も重く、肺に入ると僅かな違和感がある。
瘴気だ。
沼地で感じたものとは違う。より濃く、より不気味な気配。廃坑から漏れ出しているものだろう。
「近いな」
呂布は速度を落とし、警戒しながら進んだ。
やがて、森が開けた。
目の前に、巨大な岩山がそびえていた。その麓に、黒々とした穴が口を開けている。
廃坑の入口だ。
穴の周囲には、朽ちた木材や錆びた道具が散乱していた。十年前に放棄された名残だろう。人間の骨らしきものも、いくつか見える。
「……嫌な気配だ」
呂布は剣を抜き、慎重に入口に近づいた。
穴の中から、冷たい風が吹き出している。その風には、腐臭と、何か別の異質な匂いが混じっていた。
危機察知のスキルが、警告を発している。
この先に、何かいる。強力な存在が。
「……行くか」
呂布は、穴の中へ足を踏み入れた。
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坑道は、予想以上に広かった。
高さは呂布の背丈の三倍ほど。幅も十歩はある。かつては採掘用の台車が通っていたのだろう。錆びたレールが、奥へ向かって続いている。
暗視のスキルを発動する。視界が切り替わり、闇の中でも周囲が見えるようになった。
壁には、採掘の痕跡が残っている。鉄鉱石を掘り出した跡だ。だが、それ以上に目を引くのは、壁や天井に刻まれた爪痕だった。
巨大な爪痕。三本の溝が、岩盤を深く抉っている。
「この爪痕は……」
呂布は、記憶を辿った。
南の森で見たものと、よく似ている。暴君の爪痕ほど大きくはないが、それでも相当な大きさだ。
「大型の魔物がいるな」
呂布は警戒を強め、奥へ進んだ。
坑道は何度か分岐していた。呂布は最も気配の強い方向を選び、進んでいく。
やがて、坑道が大きな空間に開けた。
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そこは、かつて採掘の中心地だったのだろう。
天井は高く、呂布の背丈の十倍はある。壁には無数の横穴が空いており、そこから坑道が枝分かれしている。
だが、呂布の目を引いたのは、空間の中央に積み上げられたものだった。
骨だ。
人間の骨、動物の骨、魔物の骨。様々な骨が、山のように積み上げられている。その数は、数百では利かないだろう。
「餌場か」
呂布は呟いた。
この空間の主は、ここで獲物を喰らっている。そして、その残骸を積み上げている。
「主は……どこだ」
呂布は周囲を見回した。
壁の横穴、天井の裂け目、骨の山の陰。どこかに、この空間の主が潜んでいるはずだ。
その時だった。
背後から、気配が動いた。
「ッ!」
呂布は反射的に横へ跳んだ。
直後、巨大な影が呂布のいた場所を通過した。鋭い爪が空を切り、岩盤を抉る。
「■■■■■■ッ!」
咆哮が響いた。
呂布は体勢を立て直し、敵を見た。
それは、巨大な蜘蛛だった。
いや、蜘蛛と呼ぶには異形すぎる。体長は呂布の四倍。八本の脚は鋭い刃のように尖り、腹部からは粘液が滴っている。頭部には、無数の目が並んでいた。その全てが、呂布を見つめている。
戦術眼が発動した。
『魔蜘蛛アラクネア、推定レベル45。毒と糸を操る。単独討伐は可能だが、要注意』
レベル45。呂布より低い。だが、油断はできない。
「お前が、この廃坑の主か」
呂布は剣を構えた。
魔蜘蛛は応えなかった。ただ、顎を鳴らしながら、呂布を睨みつけている。
「……言葉は通じないか」
呂布は、魔蜘蛛の動きを観察した。
八本の脚が、地面を掻いている。いつでも飛びかかれる態勢だ。腹部からは、糸らしきものが見え隠れしている。
「来い」
呂布が言った瞬間、魔蜘蛛が跳躍した。
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戦いは、短くも激しかった。
魔蜘蛛の攻撃は素早く、多彩だった。八本の脚による斬撃、腹部から放たれる粘着性の糸、そして牙から滴る猛毒。
だが、呂布には通じなかった。
天下無双の力が、全ての攻撃を上回る。
脚の斬撃を剣で弾き、糸を切り裂き、毒牙を避ける。そして、反撃の一閃が魔蜘蛛の脚を切り落とした。
「■■■■ッ!」
魔蜘蛛が悲鳴を上げた。
バランスを崩し、よろめく。その隙を、呂布は見逃さなかった。
「終わりだ」
跳躍し、剣を振り下ろす。刃が魔蜘蛛の頭部を両断した。
無数の目が、一瞬で光を失った。巨体が崩れ落ち、地面を揺らす。
「……これで終わりか?」
呂布は周囲を見回した。
だが、危機察知のスキルは、まだ警告を発し続けていた。
「まだ、いるのか」
その答えは、すぐに得られた。
壁の横穴から、新たな影が現れた。
魔蜘蛛だ。今度は小型。だが、数が多い。二体、三体、五体、十体……次々と現れ、呂布を取り囲んでいく。
「群れ、か」
呂布は舌打ちした。
倒したのは、群れの長だったのだろう。だが、群れ自体はまだ健在だった。
数は、二十を超えている。いや、まだ増えている。横穴から、次々と新たな魔蜘蛛が這い出してくる。
「……面倒だな」
呂布は剣を構え直した。
一体一体は弱い。だが、数が多すぎる。全て相手にしていては、体力が持たない。
撤退すべきか。
いや、待て。
呂布は、思いついた。
「こいつらを……使えるかもしれない」
────────────────────────
呂布は、戦いながら考えていた。
魔蜘蛛の群れ。数は三十を超えている。一体一体は弱いが、群れとしては厄介な存在だ。
そして、この群れは今、長を失っている。
「俺が、新しい長になればいい」
呂布は、最も大きな個体を見つけた。
群れの中で、最初に倒した長に次ぐ大きさ。おそらく、次の長候補だろう。
「お前だ」
呂布は、その個体に向かって突進した。
魔蜘蛛が迎え撃とうと脚を振り上げる。だが、呂布の方が速かった。
剣で脚を弾き、懐に飛び込む。そして、頭部に剣を突きつけた。
「動くな」
魔蜘蛛が、硬直した。
本能的に、死を感じ取ったのだろう。無数の目が、呂布の剣を見つめている。
「俺がお前たちの新しい主だ。従え」
魔蜘蛛は、答えなかった。言葉が通じないのだから、当然だ。
だが、呂布には別の手段があった。
威圧のスキルを発動する。
呂布の全身から、圧倒的な気配が放たれた。それは言葉ではなく、純粋な力の誇示だった。
俺は強い。お前たちより、遥かに強い。
従うか、死ぬか。選べ。
魔蜘蛛の群れが、動きを止めた。
呂布を取り囲んでいた個体たちが、徐々に後退していく。そして、一体、また一体と、地面に腹這いになっていった。
服従の姿勢だ。
「……通じたか」
呂布は、剣を下ろした。
目の前の大型個体も、同様に腹這いになった。無数の目が、呂布を見上げている。その目には、もはや敵意はなかった。
恐怖と、服従。
「よし。お前たちは、俺の命令に従え」
魔蜘蛛たちが、身を震わせた。
言葉は通じなくても、意思は伝わっている。威圧のスキルが、種族を超えた支配を可能にしていた。
「これで、人間軍を足止めする手段ができた」
呂布は、周囲を見回した。
魔蜘蛛の群れ。三十体以上。毒と糸を操る異形の軍団。これを人間軍の進路に放てば、相当な混乱を引き起こせるだろう。
「だが、問題は誘導だな」
魔蜘蛛たちは、この廃坑を縄張りにしている。外に連れ出すには、何らかの方法が必要だ。
呂布は考えた。
「……餌だ」
骨の山を見る。魔蜘蛛たちは、獲物を求めてここに巣を作った。獲物がいれば、外にも出るだろう。
「人間軍を、ここに誘い込むか。あるいは、魔蜘蛛たちを人間軍の方へ追い立てるか」
どちらが確実か。
呂布は、前者を選んだ。
「人間軍をここに誘い込む。そうすれば、魔蜘蛛たちが勝手に襲いかかる」
計画が、形になり始めた。
────────────────────────
廃坑を出ると、日は既に傾いていた。
呂布は、近くの丘に登り、西の方角を見た。
人間軍は、まだ見えない。だが、あと三日もすれば、この付近に到達するだろう。
「ピックが言っていた。人間軍は、俺たちを追って進軍速度を上げている」
ならば、更に挑発すればいい。
呂布の存在を見せつけ、追わせる。そして、この廃坑へ誘い込む。
「だが、俺一人では……」
呂布は考えた。
囮になるのは、危険が伴う。紅龍馬がいれば、空から逃げられる。だが、紅龍馬は拠点で休息している。
「……一度戻るか」
呂布は決断した。
紅龍馬を連れてきて、人間軍を廃坑へ誘い込む。それが、最も確実な方法だ。
走り出す。
来た道を戻り、拠点へ向かう。夜を徹して走れば、明日の朝には着けるだろう。
そして、紅龍馬と共に、再びここへ来る。
「間に合わせてみせる」
呂布は、速度を上げた。
────────────────────────
夜通し走り続け、呂布は夜明け前に拠点に到着した。
見張りが呂布を見つけ、声を上げた。
「呂布様! お戻りですか!」
「ああ。紅龍馬はどこだ」
「岩陰で休んでおります」
呂布は、紅龍馬のもとへ向かった。
岩陰で眠っていた紅龍馬が、呂布の気配を感じて目を開けた。その金色の瞳が、呂布を見つめる。
「起きろ。仕事だ」
紅龍馬が、むくりと起き上がった。疲れは取れたようだ。その動きには、以前の力強さが戻っている。
「西の廃坑に、魔蜘蛛の群れがいた。三十体以上だ。これを使って、人間軍を足止めする」
紅龍馬が、首を傾げた。
「俺が囮になって、人間軍を廃坑に誘い込む。お前は、俺の脱出を援護しろ」
紅龍馬が、理解したように頷いた。
「行くぞ」
呂布は紅龍馬の背に跨がった。
炎の翼が広がり、二人は西へ向かって飛び立った。
────────────────────────
廃坑の上空に到着した頃、太陽は中天に差し掛かっていた。
呂布は、眼下の地形を確認した。
廃坑の入口は、岩山の麓にある。周囲は森に囲まれ、一本の道が西へ向かって伸びている。人間軍が来るとすれば、その道を通るだろう。
「人間軍を探す」
紅龍馬が西へ向かって飛んだ。
間もなく、土煙が見えた。
軍勢だ。青い鷲の旗印。グラナド辺境伯の軍。
「いたな」
呂布は、敵軍の規模を確認した。
約千。ピックの報告通りだ。騎兵が先頭を進み、歩兵が続いている。荷車には、物資が積まれている。
「距離は……廃坑まで半日といったところか」
今日中に、この軍勢を廃坑へ誘い込む。
「行くぞ、紅龍馬」
呂布は、紅龍馬に指示した。
降下を開始する。敵軍の前方、よく見える位置へ。
「俺の姿を見せつける。そして、追わせる」
紅龍馬が、雲の下へ降りた。
陽光を受けて、炎の翼が輝く。紅龍馬の姿が、敵軍の目に映ったはずだ。
案の定、敵陣から騒ぎが起きた。
「何だあれは!」
「龍か!? 龍が……!」
「違う、あれは……馬だ! 翼のある、炎の馬!」
混乱が広がる。兵士たちが指を差し、将校たちが叫ぶ。
呂布は、紅龍馬を旋回させた。
敵によく見えるように。そして、挑発するように。
「こっちだ、人間ども」
呂布は呟いた。
「俺を追ってこい」
紅龍馬が、東へ向かって飛び始めた。廃坑の方向へ。
背後から、人間軍の将校の声が聞こえた。
「追え! あれを追うんだ!」
「しかし、閣下、あれは——」
「構わん! あの異形を捕らえろ! 生け捕りにできれば、大手柄だぞ!」
人間軍が、動き出した。
追ってくる。呂布の思惑通りに。
「よし……」
呂布は、紅龍馬の速度を調整した。
速すぎれば、敵を撒いてしまう。遅すぎれば、追いつかれる。適度な距離を保ちながら、敵を廃坑へ誘導する。
「行くぞ、紅龍馬。狩りの始まりだ」
紅龍馬が、高く嘶いた。
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