『戦雲4』
夜明けの空は、薄い紫に染まっていた。
呂布と紅龍馬は、雲の間を縫うように飛んでいた。高度を保ち、地上からは見えない位置を維持している。
眼下に、敵軍の姿が見えた。
昨日の鉄砲水で混乱した軍勢は、川の手前で野営していた。渡河を諦め、夜を明かしたのだろう。焚き火の煙があちこちから立ち上り、兵たちが動き始めている。
「数が減っているな」
呂布は呟いた。
昨日の攻撃で、百以上の兵を失ったはずだ。二千近かった軍勢は、今や千九百を下回っているだろう。
だが、それでも圧倒的な数だ。正面から戦えば、勝ち目はない。
「指揮官を探す」
呂布は目を凝らした。
敵軍の中央やや後方、一際大きな天幕が張られている。その周囲には、護衛と思われる精鋭が配置されていた。
そして、天幕の前に、緑の巨人が立っていた。
「いたな」
樹海の七将の一人と思われる存在。体長は呂布の五倍。全身に蔦が巻き付き、その目は深い緑色に輝いている。
巨人は、部下たちに何か指示を出しているようだった。怒りを滲ませた身振りで、周囲の兵を叱責している。昨日の襲撃で、相当苛立っているのだろう。
「狙うなら、今だ」
呂布は紅龍馬に囁いた。
「奴が天幕の前にいる間に、一撃を加える。成功すれば、敵は大混乱に陥る」
紅龍馬が、緊張した様子で頷いた。
「作戦はこうだ。まず、俺が上空から降下して奴に斬りかかる。お前は援護だ。俺が離脱する際に、獄炎で敵を牽制しろ」
紅龍馬が首を横に振った。
「何だ?」
紅龍馬は呂布を見つめ、低く唸った。騎獣連携のスキルを通じて、その意思が伝わってくる。
危険すぎる。一人で行くな。共に行く。
「馬鹿を言うな。お前のあの体躯では、奇襲にならない。空から降りてくれば、すぐに気づかれる」
紅龍馬が、なおも抗議の声を上げた。
「俺を信じろ」
呂布は、紅龍馬の首筋を撫でた。
「天下無双だ。一撃加えて、離脱する。それだけのことだ」
紅龍馬は、しばらく呂布を見つめていた。
やがて、不承不承といった様子で頷いた。
「よし。では、位置につけ。俺が奴に斬りかかったら、天幕の周囲に獄炎を放て。敵が俺を追えないようにしろ」
紅龍馬が翼を傾け、呂布を降ろす位置へ向かった。
────────────────────────
雲の切れ間から、呂布は地上を見下ろした。
緑の巨人は、まだ天幕の前にいる。周囲には護衛が二十体ほど。オーガとトロールの混成部隊だ。
「……行くか」
呂布は深呼吸をした。
剣を抜き、柄を握りしめる。カザンが打った新しい剣。その刃が、朝日を受けて輝いた。
「紅龍馬」
振り返ると、紅龍馬が少し離れた位置で待機していた。その金色の瞳が、呂布を見つめている。
「必ず戻る」
紅龍馬が、小さく嘶いた。
呂布は、紅龍馬の背から飛び降りた。
────────────────────────
落下が始まった。
風が耳元で唸る。地上が急速に近づいてくる。呂布は体勢を整え、落下の軌道を調整した。
目標は、緑の巨人。
天下無双を発動する。全身に力が漲り、知覚が研ぎ澄まされる。落下速度が、まるで緩やかになったかのように感じられた。
敵陣が、眼下に広がっていく。
まだ気づかれていない。兵たちは朝の準備に追われ、空を見上げる者はいない。
緑の巨人が、視界の中央に入った。
その巨体が、徐々に大きくなっていく。
百歩。
五十歩。
二十歩。
「おおおおおおッ!」
呂布は叫び、剣を振り下ろした。
緑の巨人が、顔を上げた。
その瞬間、呂布の剣が巨人の肩に食い込んだ。
「■■■■■■ッ!?」
巨人の絶叫が響いた。
肩から緑色の樹液が噴き出す。呂布の剣は深く食い込み、肉を裂き、骨に達していた。
だが、致命傷ではない。
巨人の体は、想像以上に頑強だった。剣が途中で止まり、それ以上切り進めない。
「くそ……!」
呂布は剣を引き抜き、跳び退いた。
着地と同時に、周囲の護衛たちが反応した。
「敵だ!」
「長を守れ!」
オーガとトロールが、一斉に呂布に襲いかかる。
「邪魔だ!」
呂布は剣を振るった。最初のオーガの首を刎ね、続くトロールの腕を切り落とす。天下無双の力が、敵を薙ぎ倒していく。
だが、数が多すぎる。
次々と新たな敵が押し寄せてくる。周囲の兵たちも異変に気づき、この場所へ向かってきている。
「紅龍馬!」
呂布が叫んだ瞬間、空から炎が降り注いだ。
獄炎が敵陣の中に落ち、爆発的に燃え広がる。悲鳴が上がり、兵たちが散り散りに逃げ惑う。
その隙に、呂布は離脱を試みた。
だが、背後から圧倒的な殺気が迫ってきた。
「逃がさん……!」
振り返ると、緑の巨人が呂布に向かって腕を振り下ろしていた。
────────────────────────
「ッ!」
呂布は横に跳んだ。
巨人の腕が、呂布のいた場所を叩いた。地面が陥没し、土砂が舞い上がる。
その威力に、呂布は目を見張った。
暴君ほどではないが、この巨人も相当な力を持っている。まともに食らえば、一撃で終わりだ。
「小癪な虫めが……!」
巨人が吼えた。
その声は、以前の暴君とは異なり、明確な言葉として聞こえた。知性がある。ただの獣ではない。
「貴様が、我が軍を翻弄していた者か……!」
「そうだ」
呂布は剣を構えた。
「俺は呂布。お前たちの進軍を止める者だ」
「呂布……覚えたぞ。その名、地獄で後悔させてやる」
巨人が、再び腕を振り上げた。
同時に、周囲の兵たちが呂布を取り囲み始める。逃げ道が塞がれていく。
まずい。
このままでは、包囲される。
「紅龍馬!」
呂布は叫んだ。
空から、紅龍馬が急降下してきた。その背に向かって、呂布は跳躍した。
「逃がすかァ!」
巨人の腕が、空中の呂布に向かって伸びた。
────────────────────────
間一髪だった。
巨人の指先が、呂布の足を掠めた。衝撃で体が揺れたが、何とか紅龍馬の背に掴まることができた。
「上昇しろ!」
紅龍馬が翼を羽ばたかせ、急上昇した。
眼下で、巨人が怒りの咆哮を上げている。周囲の兵たちが弓を構え、矢を放ってくる。
だが、紅龍馬の速度には追いつけない。
矢は空しく虚空を切り、二人は瞬く間に敵の射程外へ逃れた。
「……助かった」
呂布は息を吐いた。
危なかった。巨人の反応速度を、甘く見ていた。あの一撃をまともに受けていたら、今頃は肉塊になっていただろう。
「だが、一撃は入れた」
呂布は、背後を振り返った。
敵陣では、まだ混乱が続いている。巨人は肩を押さえ、周囲の兵に何か叫んでいる。獄炎で燃え上がった天幕が、黒煙を上げている。
「指揮官に傷を負わせた。これで、敵の士気は更に下がる」
紅龍馬が、安堵したように嘶いた。
「お前のおかげだ。ありがとう」
呂布は紅龍馬の首を撫でた。
しかし、同時に冷静な分析も忘れなかった。
「だが、これで敵は本気になる。俺の顔を覚えた。名前も知られた。次からは、より厳重な警戒をするだろう」
これ以上の奇襲は、難しいかもしれない。
「……潮時か」
呂布は呟いた。
三度の襲撃で、敵の進軍を一日半から二日遅らせた。指揮官にも傷を負わせた。遅滞戦術としては、十分な成果だ。
「拠点に戻る。人間軍の状況を確認せねばならない」
紅龍馬が頷き、北へ向かって飛び始めた。
────────────────────────
拠点への帰路、呂布は考え続けていた。
遅滞戦術は成功した。魔王軍の到着は、当初の予想より二日近く遅れるだろう。これで、人間軍との到着タイミングを合わせられる可能性が出てきた。
だが、問題もある。
敵の指揮官、緑の巨人。あれは、予想以上に強かった。呂布の全力の一撃でも、致命傷を与えられなかった。
「樹海の七将……」
ゼドから聞いた話を思い出す。樹海の魔王の直属の部下。七人の将軍が、魔王の軍勢を率いている。
あの緑の巨人が、七将の一人だとすれば、魔王本人はどれほどの力を持っているのか。
「……考えても仕方ない」
呂布は首を振った。
今は、目の前の戦いに集中すべきだ。魔王と戦うのは、まだ先の話だ。
拠点が見えてきた。
山の稜線に、見慣れた洞窟の入口が見える。見張り台には、配下の姿がある。
「戻ったぞ」
呂布は紅龍馬と共に、拠点に降下した。
────────────────────────
着地と同時に、配下たちが駆け寄ってきた。
「呂布様! お戻りなさいませ!」
「ご無事でしたか!」
「ああ。作戦は成功した」
呂布は紅龍馬から降り、周囲を見回した。
「グルドはどこだ」
「こちらに」
人垣を掻き分けて、グルドが現れた。その顔には、安堵と緊張が入り混じっている。
「呂布様、お帰りなさい。報告があります」
「俺もある。だが、まずお前の報告を聞こう。何があった」
「ピックが戻りました」
呂布の目が、鋭くなった。
「西方の偵察から?」
「はい。そして……」
グルドの表情が、曇った。
「人間軍が、予想より早く動いています」
────────────────────────
広間に幹部たちが集まった。
ピックは、見るからに疲弊していた。全身に擦り傷があり、息も荒い。だが、その目には達成感が宿っていた。
「報告します」
ピックが口を開いた。
「西方の人間軍は、当初の予想より進軍速度を上げています。現在の位置は、拠点から西へ二日半の距離。到着予想は、四日後です」
「四日後……」
呂布は眉を顰めた。
当初の予想は五日から七日だった。それが、四日に縮まっている。
「原因は」
「俺です」
ピックが、頭を下げた。
「呂布様の命令通り、わざと発見されました。敵は俺を追いかけ、その過程で進軍速度を上げたようです。囮作戦は成功しましたが、予想以上に敵が食いつきました」
「なるほど」
呂布は顎に手を当てた。
人間軍は四日後。魔王軍は、呂布の遅滞戦術で二日遅れたとして、六日後か七日後。
まだ、二日から三日のズレがある。
「……合わせられるか?」
呂布は呟いた。
人間軍を更に遅らせるか、魔王軍を急がせるか。どちらかが必要だ。
「呂布様」
グルドが口を開いた。
「人間軍を遅らせる案があります」
「聞こう」
「西の廃坑です」
グルドが、地図を指差した。
「人間軍の進路上に、十年前に放棄された鉄鉱山があります。そこには、魔物が巣食っていると聞きました」
「それが、どうした」
「人間軍がその近くを通過する際に、魔物を刺激して外に追い出せば……」
「人間と魔物が戦う、か」
呂布は、その案を検討した。
悪くない。だが、問題もある。
「廃坑の魔物の種類と数が分からない。刺激したところで、人間軍を足止めできるほどの戦力があるか不明だ」
「それは……確かに」
「だが、試す価値はある」
呂布は立ち上がった。
「ゴリはどこだ。南方の偵察から戻ったか」
「はい。昨日戻りました」
「報告を聞く。そして、作戦を練り直す」
────────────────────────
ゴリの報告は、呂布の遅滞戦術の成果を裏付けるものだった。
「魔王軍は、大きく混乱しています。渡河地点で鉄砲水に遭い、百名以上の死傷者が出た模様です。現在は川の上流を迂回中で、進軍速度は大幅に落ちています」
「指揮官は」
「緑の巨人ですね。負傷したらしく、動きが鈍くなっているようです。部下たちに怒鳴り散らしているのが、遠くからでも聞こえました」
呂布は、満足げに頷いた。
「よし。魔王軍は、これ以上急がせる必要はない。問題は人間軍だ」
呂布は地図を見つめた。
「廃坑の魔物を利用する案、試してみる。俺が直接行く」
「また、呂布様自らが……」
「時間がない。廃坑の状況を確認し、使えるなら利用する。使えないなら、別の手を考える」
呂布は幹部たちを見回した。
「留守の間、拠点の防備を固めろ。人間軍が予想より早く来る可能性もある。いつでも迎え撃てる準備をしておけ」
「承知しました」
幹部たちが頷いた。
「紅龍馬は休ませる。今回は、俺一人で行く」
紅龍馬が、抗議の声を上げた。
「お前は疲れている。連日の戦闘で、消耗しているはずだ。休め」
紅龍馬は不満そうだったが、呂布の言葉には逆らわなかった。
「明日の朝、出発する。今日は準備と休息に充てる」
呂布は広間を出た。
────────────────────────
夜、呂布は見張り台に立っていた。
二つの月が、山々を照らしている。静かな夜だ。しかし、その静けさの下で、二つの嵐が迫っている。
西からは人間軍。
南からは魔王軍。
あと数日で、この拠点は戦場になる。
「……うまくいくか」
呂布は呟いた。
両軍を鉢合わせる計画。成功すれば、敵同士が戦い、消耗する。失敗すれば、呂布軍が挟撃される。
賭けだ。
だが、他に道はない。
「呂布様」
背後から、グルドの声がした。
「眠らないのですか」
「眠れない。考えることが多すぎる」
「……そうですか」
グルドが、呂布の隣に立った。
「呂布様。一つ、聞いてもいいですか」
「何だ」
「もし……この戦いに負けたら、どうしますか」
呂布は、グルドを見た。
「負けることを考えているのか」
「いえ、そういうわけでは……ただ、最悪の場合を想定しておくべきかと」
「最悪の場合か」
呂布は、空を見上げた。
「負けたら、逃げる」
「逃げる……ですか」
「ああ。全滅するくらいなら、逃げて生き延びる。そして、力を蓄えて、また戦う」
呂布は、グルドを見た。
「俺は、前の世界で死んだ。縛り首にされて、惨めに死んだ。だから、今度は死なない。何があっても、生き延びる」
「……」
「だが、勝つつもりで戦う。負けることを前提にはしない。全力を尽くして、勝ちに行く。それが、俺のやり方だ」
グルドは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「……分かりました。俺も、全力を尽くします」
「頼んだ」
二人は、しばらく無言で空を見上げていた。
戦いの日が、近づいていた。
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**第二章 邂逅『戦雲4』 了**
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【現在の状況】
■ 遅滞戦術の成果
・魔王軍の進軍を約2日遅延
・敵指揮官(緑の巨人)に負傷を与える
・敵の死傷者:推定150名以上
■ 敵軍の到着予想
・西方:グラナド辺境伯軍(約1,000名)【4日後】
・南方:樹海の魔王軍(約1,850名)【6〜7日後】
・両軍の到着に2〜3日のズレあり
■ 次の行動
・西の廃坑を調査
・廃坑の魔物を利用して人間軍を足止めする案を検討
・両軍の到着タイミングを合わせることが目標
■ 拠点の状況
・防備強化中
・紅龍馬は休息
・全軍が戦闘準備態勢
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