『戦雲3』



夜が訪れた。


呂布は紅龍馬と共に、敵軍から十分に離れた丘の上で休息を取っていた。火は焚かない。煙が敵に位置を知らせることになる。


月明かりの下、呂布は携帯食料を齧りながら考えていた。


第一撃は成功した。火計と落石で、敵の進軍を半日は遅らせただろう。だが、それだけでは足りない。人間軍との到着を合わせるためには、あと一日から二日の遅延が必要だ。


「敵は迂回する」


呂布は呟いた。


「問題は、どのルートを選ぶか」


地形を思い出す。谷の東側には険しい山が連なっている。大軍が通過するのは困難だ。となれば、西側を迂回する可能性が高い。


西側には、広い平原が広がっている。大軍の移動には適しているが、その先に川がある。渡河には時間がかかる。


「川だ」


呂布は目を開いた。


「川で足止めすれば、更に時間を稼げる」


紅龍馬が、呂布を見た。その金色の瞳が、月光を反射して輝いている。


「明日、川へ向かう。敵より先に到着し、渡河を妨害する」


紅龍馬が頷いた。


「だが、今夜は休む。お前も眠れ」


紅龍馬は小さく嘶き、呂布の傍らに身を横たえた。その炎の毛皮が、夜の寒さを和らげてくれる。


呂布は目を閉じた。


明日に備えて、体力を回復させねばならない。


────────────────────────


夜明け前に、呂布は目を覚ました。


空はまだ暗いが、東の端が僅かに白み始めている。紅龍馬も既に起きていた。


「行くぞ」


短く告げ、呂布は紅龍馬の背に跨がった。


二人は空へ飛び立ち、西へ向かった。敵軍が迂回するであろうルートを先回りするためだ。


空から見下ろすと、南の方角に煙が残っているのが見えた。昨日の火計の名残だ。その周辺を、黒い点の群れが蠢いている。敵軍だ。


「やはり、西へ向かっているな」


呂布の予想通り、敵軍は西側への迂回を始めていた。隊列が崩れ、混乱した様子が見て取れる。指揮官が怒号を飛ばしているのだろう。


「急ぐぞ」


紅龍馬が速度を上げた。風が髪をなぶり、眼下の景色が流れていく。


────────────────────────


一刻ほどで、川に到達した。


幅は五十歩ほど。流れは穏やかだが、深さはある。大軍が渡るには、橋を架けるか、浅瀬を探すかしなければならない。


呂布は川沿いを飛び、地形を確認した。


「浅瀬は……あそこか」


上流に、川幅が広がり、水深が浅くなっている場所があった。大軍が渡河するなら、ここを使うだろう。


「ここを塞ぐ」


呂布は紅龍馬と共に降下し、浅瀬の近くに着地した。


周囲を見渡す。川の両岸には、木々が生い茂っている。上流には、大きな岩がいくつか転がっている。


「作戦を考える」


呂布は川岸を歩きながら、思考を巡らせた。


単純に橋を壊す、という手は使えない。そもそも橋がない。浅瀬を塞ぐにしても、岩を動かすだけでは敵の通過を完全には防げない。


「水を使う」


呂布は上流を見た。


「上流を堰き止め、水量を増やす。敵が渡河を始めた時に堰を切れば、鉄砲水で流せる」


紅龍馬が、感心したように呂布を見た。


「問題は、堰を作る時間だ。敵が来るまでに間に合うか……」


呂布は計算した。


敵軍が西へ迂回し、この川に到達するまで、おそらく半日から一日。その間に、堰を作らねばならない。


「やるしかない」


呂布は腕まくりをした。


「紅龍馬、手伝え。岩を運ぶぞ」


────────────────────────


作業は困難を極めた。


上流の岩を運び、川の流れを堰き止める。呂布の筋力を以てしても、大岩を動かすのは容易ではない。紅龍馬が口で岩を咥え、引きずる。二人がかりで、少しずつ堰を築いていく。


「くそ……重い」


汗が額を流れる。しかし、手を止めるわけにはいかない。


三刻が過ぎた頃、ようやく堰の形ができ始めた。


完全に川を塞いだわけではない。水は隙間から流れ続けている。だが、上流側には水が溜まり始めていた。このまま放置すれば、水位は更に上がるだろう。


「あとは、この岩を抜けばいい」


呂布は、堰の要となっている大岩を指差した。


「これを動かせば、溜まった水が一気に流れ出す。敵が渡河中にこれをやれば……」


紅龍馬が頷いた。


「だが、タイミングが重要だ。早すぎれば、敵はまだ川に入っていない。遅すぎれば、敵の大半が渡り終えてしまう」


呂布は川岸を見回した。


「俺は上流で待機する。お前は下流側で見張れ。敵の先頭が川の中央に達したら、合図を送れ」


紅龍馬が首を縦に振った。


「よし。準備は整った。あとは、敵を待つだけだ」


────────────────────────


待機の時間は、長く感じられた。


呂布は上流の岸辺に身を潜め、堰を見張っていた。水位は徐々に上がっている。堰の向こう側は、既に小さな湖のようになっていた。


日が高くなり、やがて傾き始めた。


敵は来ない。


「遅いな……」


呂布は呟いた。


予想より進軍が遅れているのか。あるいは、別のルートを選んだのか。


焦りが募る。もし敵がこのルートを通らなければ、この作業は全て無駄になる。


その時だった。


南から、微かな地響きが伝わってきた。


「来た」


呂布は姿勢を低くし、南を見た。


土煙が上がっている。大軍が近づいている証拠だ。


間もなく、敵の先頭が姿を現した。


斥候の集団だ。十体ほど。周囲を警戒しながら、川に近づいてくる。


呂布は息を殺して見守った。


斥候たちは川岸に到達し、水の状態を確認し始めた。浅瀬を探しているのだろう。


一体が、呂布たちが目星をつけていた浅瀬を発見した。水に足を入れ、深さを確かめている。


「よし……そこだ」


斥候が後方に向かって合図を送った。主力に、渡河可能だと伝えているのだろう。


しばらくして、主力が到着し始めた。


先頭はゴブリンの集団。続いてオーク、トロール。次々と川岸に集まってくる。その数は、瞬く間に百を超え、二百、三百と膨れ上がっていった。


「まだだ……」


呂布は堰に手を掛けながら、下流を見た。


紅龍馬の姿は見えない。うまく身を隠しているのだろう。合図を待つ。


敵の先頭が、川に足を踏み入れた。


水飛沫を上げながら、ゴブリンたちが渡河を始める。続いてオーク、トロール。大きな体で水を掻き分け、対岸を目指す。


隊列が伸びていく。先頭は既に川の中央に達している。後方では、まだ続々と兵が川に入ろうとしている。


「今だ……!」


下流から、紅龍馬の嘶きが響いた。合図だ。


呂布は全身の力を込め、堰の要石を押した。


「動け……!」


岩がゆっくりと傾く。水が隙間から噴き出し始める。


「おおおおおッ!」


最後の一押し。岩が堰から外れ、溜まっていた水が一気に解放された。


────────────────────────


轟音が響いた。


大量の水が、上流から押し寄せてくる。鉄砲水だ。その勢いは、呂布の予想を超えていた。


川を渡っていた敵兵たちは、突如として襲いかかる水流に対処できなかった。


「■■■!?」


「何だ!? 水が——」


悲鳴が上がる。


鉄砲水は容赦なく敵兵を呑み込んだ。ゴブリンは木の葉のように流され、オークは足を取られて転倒し、トロールでさえ踏ん張ることができずに押し流された。


川の中にいた数百の敵兵が、一瞬にして混乱に陥った。


「今だ!」


呂布は崖を駆け下り、紅龍馬のもとへ向かった。


紅龍馬が飛び出してくる。その背に跨がり、空へ飛び立つ。


眼下では、阿鼻叫喚の光景が広がっていた。


水に流される者、岸に這い上がろうとする者、仲間を助けようとして共に流される者。混乱は敵軍全体に広がり、渡河は完全に停止していた。


「追い打ちだ」


呂布は紅龍馬に指示した。


紅龍馬が降下し、川岸に密集している敵兵に向かって獄炎を放った。


白い炎が敵の中に落ち、爆発的に燃え広がる。新たな悲鳴が上がり、敵兵たちが散り散りに逃げ惑う。


「深追いはするな。離脱だ」


呂布の判断は素早かった。


敵の指揮官が態勢を立て直す前に、この場を離れる。長居すれば、反撃される危険がある。


紅龍馬が翼を翻し、北へ向かって飛び去った。


背後から、怒りに満ちた咆哮が聞こえた。


緑の巨人の声だ。指揮官が激昂している。


呂布は振り返らなかった。


今は逃げる時だ。敵を挑発し、怒らせることには成功した。だが、正面から戦う力はない。


「第二撃も成功だ」


呂布は呟いた。


「これで、更に半日から一日は稼げる」


紅龍馬が力強く嘶いた。


────────────────────────


日が沈む頃、呂布は再び敵軍から離れた場所で休息を取っていた。


二度の奇襲で、敵に相当なダメージを与えた。死者は百を超えるだろう。そして何より、敵の士気が低下しているはずだ。


見えない敵に翻弄される恐怖。それは、数の優位を帳消しにする力を持っている。


「だが、敵も学習する」


呂布は考えた。


「次からは、警戒を強めるだろう。同じ手は通用しない」


紅龍馬が、呂布の顔を覗き込んだ。心配しているのだろう。


「大丈夫だ。まだ手はある」


呂布は紅龍馬の首を撫でた。


「それより、人間軍の方が気になる。ピックは無事だろうか」


西の方角を見る。人間軍は、今どこにいるのか。ピックの囮作戦は、うまくいっているのか。


情報がない。拠点との連絡手段がないのが、もどかしい。


「明日、一度戻るか……」


呂布は考えた。


遅滞戦術を続けるべきか、それとも拠点に戻って状況を確認すべきか。


判断が難しい。


「……いや、まだだ」


呂布は首を振った。


「もう一撃だけ。敵を決定的に遅らせる一撃を放ってから、戻る」


紅龍馬が頷いた。


「明日、敵の指揮系統を狙う。緑の巨人……あいつを直接叩く」


それは、危険な賭けだった。


指揮官を狙えば、敵は総力を挙げて呂布を追ってくるだろう。しかし、成功すれば敵軍は大混乱に陥る。指揮官を失った軍は、烏合の衆に等しい。


「やるぞ」


呂布は決意を固めた。


明日が、勝負の日だ。


────────────────────────


その夜、呂布は夢を見た。


前世の夢だ。


虎牢関の戦い。呂布は一人で、三人の英雄を相手に戦っていた。劉備、関羽、張飛。いずれも、後に天下を揺るがす者たちだ。


圧倒的な不利。だが、呂布は退かなかった。


方天画戟を振るい、三人の攻撃を捌き、反撃を加える。一対三。それでも、呂布は互角以上に戦っていた。


やがて、戦いは引き分けに終わった。


だが、その戦いが呂布の名を天下に轟かせた。


一人で三人の英雄を相手に戦った男。天下無双。飛将軍呂布。


目が覚めた。


空は、まだ暗い。だが、東の空が白み始めている。


「……行くか」


呂布は立ち上がった。


今日、敵の指揮官を狙う。成功すれば、勝利への道が開ける。失敗すれば、死ぬかもしれない。


だが、退くつもりはない。


それが、呂布奉先の生き方だ。


紅龍馬が、呂布の傍らに立った。その金色の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


「行くぞ」


呂布は紅龍馬の背に跨がった。


炎の翼が広がり、二人は夜明けの空へ飛び立った。


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