『戦雲1』


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翌朝、呂布は夜明け前に目を覚ました。


洞窟の外に出ると、空はまだ薄暗い。東の空が、僅かに白み始めている。冷たい山の空気が肺を満たし、意識が鮮明になっていく。


紅龍馬は、岩陰で眠っていた。


その巨躯が規則正しく上下している。昨日の疲労が、まだ残っているのだろう。暴君との死闘は、進化をもたらしたが、同時に相当な消耗も強いた。


「もう少し眠っていろ」


呂布は小さく呟き、拠点の見張り台へ向かった。


見張り台には、既にピックがいた。


「呂布様。お早いですね」


「眠れなかった。状況は」


「異常ありません。西方、南方ともに、敵の気配は感知できておりません」


「そうか」


呂布は、西の方角を見た。


山々の向こうに、人間の領域がある。千の軍勢が、こちらに向かって進軍している。到着まで、五日から七日。


時間はある。だが、無駄にはできない。


「ピック。お前に任務がある」


「何なりと」


「西方への偵察だ。敵軍の正確な位置、規模、装備、進軍速度。全てを把握しろ」


「承知しました。いつ出発しますか」


「今すぐだ。ただし、一つ条件がある」


呂布は、ピックを見た。


「わざと見つかれ」


ピックの目が、僅かに見開かれた。


「わざと……ですか」


「ああ。敵に発見され、追われろ。そして、逃げながらこの拠点の方向へ誘導しろ。ただし、捕まるな。殺されるな。情報を持ち帰ることが最優先だ」


ピックは、しばらく考えていた。


やがて、頷いた。


「……分かりました。敵をこちらに誘い込むための囮、ということですね」


「その通りだ。危険な任務だ。断っても構わない」


「いえ」


ピックは、首を横に振った。


「呂布様に拾われなければ、俺はとうに死んでいました。この命、呂布様のために使います」


「……そうか」


呂布は、小さく頷いた。


「頼んだ。必ず生きて戻れ」


「はい」


ピックは見張り台を降り、西へ向かって走り出した。その姿が、朝靄の中に消えていく。


呂布は、しばらくその方向を見つめていた。


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朝議の時間になると、幹部たちが集まってきた。


グルド、ゴルド、ゴリ、メザ、カザン。そして、偵察に出たピックを除く全員だ。


「昨夜の作戦について、詳細を詰める」


呂布は、地図を広げた。


「まず、西の人間軍について。ピックを偵察に出した。敵の情報を集めつつ、わざと発見されて追われる。これで、敵をこちらに誘導する」


「囮、ですか」


グルドが言った。


「ああ。人間は、俺たちを『山に巣食う魔物』としか認識していない。偵察隊を見つければ、本隊の場所を突き止めようと追ってくるはずだ」


「それで、進軍速度を上げさせると」


「そうだ。焦らせる。獲物がすぐそこにいると思わせれば、慎重さを失う」


呂布は、地図の南を指差した。


「問題は、こちらだ。樹海の魔王軍。規模は千を超えるが、正確な数は分からない。進軍速度も不明だ」


「伝令の者は、まだ意識が戻りません」


メザが言った。


「傷の手当ては済ませましたが、消耗が激しく……」


「急かすな。自然に回復するのを待て。だが、情報が足りない」


呂布は、ゴリを見た。


「南方への偵察隊を出せ。魔王軍の位置と規模を確認しろ。ただし、西とは逆だ。絶対に見つかるな」


「了解しました」


「魔王軍には、別の方法で餌を撒く。こちらの位置を、わざと教える」


「どうやって?」


「ガッシュの集落だ」


呂布は言った。


「伝令が来たということは、集落はまだ健在のはずだ。あるいは、既に攻撃を受けているかもしれないが……いずれにせよ、魔王軍は北上しながら、周辺の集落を制圧していくだろう」


「その情報網を利用する、と」


「ああ。俺たちの存在を、わざと漏らす。『北の山に、強力な勢力がいる』と。魔王軍が獲物を求めているなら、その情報に食いつくはずだ」


グルドが、顎に手を当てた。


「しかし、それでは魔王軍の進軍が早まりませんか? 人間軍より先に到着してしまえば、両軍を鉢合わせる計画が——」


「そこだ」


呂布は頷いた。


「タイミングの調整が最も難しい。両軍の進軍速度を把握し、同時に到着するよう誘導せねばならない」


呂布は地図を指でなぞった。


「人間軍は西から。魔王軍は南から。この拠点は、両者の進路が交わる地点にある。だが、両軍の距離が異なる」


「人間軍は五日から七日。魔王軍は……」


「不明だ。だからこそ、偵察が必要なんだ」


呂布は立ち上がった。


「まず情報を集める。それから、具体的なタイミングを決める。今日中に、両軍の位置と速度を把握する。それまで、全軍は通常通りの訓練を続けろ」


「了解しました」


幹部たちが頷いた。


「あと一つ」


呂布は、カザンを見た。


「武器の生産状況は」


「剣は六十本まで増えました。弓は三十張、矢は五百本ほど」


「足りないな」


「申し訳ありません。鉄の備蓄が——」


「責めているわけではない。できる限りでいい。ただ、戦いまでに、できるだけ数を揃えろ」


「承知しました」


カザンが頭を下げた。


「では、解散だ。各自、任務に当たれ」


幹部たちが散っていく。


呂布は一人、地図を見つめていた。


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午後になって、南方への偵察隊が出発した。


ゴリが直接率いる精鋭五名。隠密行動に長けた者たちだ。


「敵を見つけても、絶対に戦うな」


呂布は、出発前にゴリに言った。


「情報を持ち帰ることだけを考えろ。お前たちが死ねば、作戦が成り立たない」


「分かっています」


ゴリは頷いた。


「呂布様。一つ、聞いてもいいですか」


「何だ」


「この作戦……本当に成功すると思いますか」


呂布は、ゴリを見た。


「不安か」


「……正直、はい」


ゴリは、珍しく弱気な表情を見せた。


「二千を超える敵です。俺たちは五百六十。たとえ敵同士を戦わせても、残った方に勝てるかどうか……」


「勝てる」


呂布は、即答した。


「なぜ、そう言い切れるのですか」


「俺がいるからだ」


ゴリが、呂布を見つめた。


「傲慢に聞こえるかもしれない。だが、事実だ。俺は天下無双。一騎当千の力を持っている。そして今、俺の傍らには紅龍馬がいる」


呂布は、遠くで休んでいる紅龍馬を見た。


「災厄級の暴君と戦い、追い払った。俺たちの力は、お前が思っているよりも遥かに大きい」


「……」


「それに、勝つだけが勝利ではない」


呂布は続けた。


「敵を消耗させ、撤退に追い込む。それも勝利だ。俺たちの目的は、敵を全滅させることではない。この山域を守り、勢力を拡大することだ」


ゴリは、しばらく黙っていた。


やがて、小さく笑った。


「……呂布様と話すと、不思議と勝てる気がしてきます」


「それでいい。その気持ちを、部下たちにも伝えろ」


「はい」


ゴリは頭を下げ、偵察隊を率いて南へ向かった。


呂布は、その背中を見送った。


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夕暮れ時、思わぬ報告がもたらされた。


「呂布様! 伝令の者が目を覚ましました!」


メザの声に、呂布は駆け出した。


伝令が寝かされている洞窟に入ると、若いゴブリンがぼんやりと天井を見上げていた。その目は虚ろで、まだ完全には意識が戻っていないようだった。


「話せるか」


呂布が問いかけると、伝令はゆっくりと首を動かした。


「呂布……様……」


「ああ。お前の報告は聞いた。樹海の魔王軍が、北上しているのだな」


「はい……ガッシュ様が……呂布様に……」


「分かっている。お前はよくやった。だが、もう少し詳しく聞きたい」


呂布は、伝令の傍らに膝をついた。


「魔王軍の規模は。正確に分かるか」


伝令は、目を閉じた。記憶を辿っているようだった。


「……千五百、いや……二千近く、いたかもしれません……」


「二千」


呂布の目が、僅かに細まった。


予想以上だ。人間軍と合わせれば、三千。呂布軍の五倍以上。


「種族は」


「ゴブリンが……大半でした……でも、オーガや……トロールも……」


「指揮官は」


「緑の……巨人が……いました……体中に、蔦が……巻き付いて……」


緑の巨人。体に蔦が巻き付いている。


「樹海の魔王の配下か」


「分かりません……でも、その巨人が……命令を出していました……他の魔物は……皆、従って……」


伝令の声が、徐々に弱くなっていく。


「進軍速度は。どれくらいの速さで北上していた」


「速かったです……休みなく……まるで、急いでいるように……」


急いでいる。


何かを追っているのか。あるいは、何かに向かっているのか。


「集落は。ガッシュの集落は、攻撃を受けたか」


「いえ……まだ……でも、時間の……問題だと……ガッシュ様が……」


伝令の意識が、再び遠のき始めた。


「分かった。もういい。休め」


呂布は立ち上がり、洞窟を出た。


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外に出ると、夕陽が山々を赤く染めていた。


紅龍馬が、呂布のもとへ歩み寄ってきた。その金色の瞳が、問いかけるように呂布を見つめる。


「魔王軍は、予想以上に大きい」


呂布は呟いた。


「二千近い。しかも、進軍速度が速い。休みなく北上しているらしい」


紅龍馬が、低く唸った。


「ああ。タイミングの調整が難しくなった」


呂布は、南の空を見た。


もし魔王軍が人間軍よりも先に到着すれば、計画は破綻する。両軍を鉢合わせることができなくなる。


だが、逆もまた真だ。


人間軍が先に到着すれば、俺たちは人間と戦わねばならない。その後で、魔王軍と対峙することになる。消耗した状態で、二千の敵を相手にするのは無謀だ。


「……計画を修正する必要があるな」


呂布は、顎に手を当てた。


両軍を同時に到着させるのが理想だ。だが、それが難しいなら、次善の策を考えねばならない。


「紅龍馬」


呂布は、相棒を見た。


「お前に、頼みたいことがある」


紅龍馬が、首を傾げた。


「魔王軍の偵察だ。空から、敵の位置を確認してほしい」


紅龍馬は、一瞬躊躇した。


呂布を一人にすることへの不安だろう。


「心配するな。俺はここにいる。お前の速さなら、往復しても半日かからない」


紅龍馬は、しばらく呂布を見つめていた。


やがて、頷いた。


「頼んだ。敵の規模、位置、進軍方向。できるだけ詳しく見てこい。ただし、見つかるな。お前の存在を知られれば、敵に警戒される」


紅龍馬が、翼を広げた。


炎の翼が夕陽を受けて輝く。その姿は、まさに神話の獣だった。


「行け」


呂布の言葉に、紅龍馬は空へ飛び立った。


その姿が、南の空へ消えていく。


呂布は、しばらくその方向を見つめていた。


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夜になっても、呂布は眠らなかった。


見張り台に立ち、四方を見渡している。星々が瞬き、二つの月が山々を照らしている。静かな夜だ。嵐の前の静けさ。


西からは人間軍。


南からは魔王軍。


そして、南の森には暴君が潜んでいる。


三方を敵に囲まれている。


だが、呂布の心は静かだった。


むしろ、昂揚している。


これこそが、戦だ。


圧倒的に不利な状況。知恵と勇気で、それを覆す。前世で幾度も経験してきた。虎牢関で三人の英雄を相手に戦った時も、同じ気持ちだった。


「呂布様」


背後から、グルドの声がした。


「眠らないのですか」


「眠れない。お前こそ、どうした」


「同じです。明日から、いよいよ本格的に動き出しますから」


グルドが、呂布の隣に立った。


「呂布様。一つ、お聞きしてもいいですか」


「何だ」


「なぜ、ここまで戦おうとするのですか」


呂布は、グルドを見た。


「逃げれば、生き延びられます。北へ向かえば、両軍の追撃を振り切れるかもしれない。なのに、なぜ戦うことを選ぶのですか」


呂布は、しばらく黙っていた。


やがて、口を開いた。


「俺は、前の世界で死んだ」


「……前の、世界」


「ああ。別の世界で、別の体で生きていた。そして、死んだ。縛り首にされて、惨めに」


グルドが、呂布を見つめた。


「その世界で、俺は最強だった。誰よりも強く、誰にも負けなかった。だが、最後は負けた。味方に裏切られ、敵に捕らえられ、殺された」


呂布は、空を見上げた。


「なぜ負けたか、分かるか」


「……分かりません」


「逃げたからだ」


グルドが、目を見開いた。


「最後の戦いで、俺は逃げた。籠城して、敵の攻撃を凌ごうとした。守りに入った。それが、敗因だった」


呂布は、拳を握った。


「攻めるべき時に攻めなかった。戦うべき時に戦わなかった。その結果、味方の心が離れ、裏切りを招いた」


「……」


「だから、今度は逃げない」


呂布は、グルドを真っ直ぐに見た。


「どんなに不利でも、戦う。攻める。それが、俺の生き方だ。そして、それが勝利への道だ」


グルドは、しばらく黙っていた。


やがて、小さく頭を下げた。


「……分かりました。呂布様についていきます。どこまでも」


「ああ。頼んだ」


二人は、しばらく無言で空を見上げていた。


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深夜、紅龍馬が戻ってきた。


その帰還は静かだった。炎の翼を最小限に抑え、音もなく着地する。偵察任務を完璧にこなした証だ。


「戻ったか」


呂布が近づくと、紅龍馬は小さく嘶いた。


騎獣連携のスキルを通じて、紅龍馬が見たものが呂布の脳裏に流れ込んでくる。


映像。


南の森を越えた先、広大な平原を進む軍勢。その規模は、伝令の報告通りだった。二千に近い。ゴブリン、オーク、トロール。様々な種族が混在している。


そして、その中央に一際大きな影があった。


緑の巨人。


体長は呂布の五倍。全身に蔦が巻き付き、その目は深い緑色に輝いている。樹海の魔王の配下だろう。七将の一人かもしれない。


「……なるほど」


呂布は呟いた。


魔王軍の位置は、拠点から南へ三日の距離。進軍速度を考えると、四日から五日で到着する計算だ。


人間軍は、五日から七日。


つまり、魔王軍の方が先に到着する可能性が高い。


「計画を修正せねばならないな」


呂布は、紅龍馬の首を撫でた。


「よくやった。休め」


紅龍馬が頷き、岩陰へ向かった。


呂布は、一人で考え始めた。


魔王軍が先に来る。それを前提に、作戦を練り直す必要がある。


両軍を鉢合わせるためには、魔王軍を遅らせるか、人間軍を急がせるか。あるいは、その両方。


「……遅滞戦術、か」


呂布は呟いた。


魔王軍の進軍を遅らせる。罠を仕掛け、小規模な襲撃を繰り返し、足止めする。同時に、人間軍を挑発し、追撃を急がせる。


難しい。だが、不可能ではない。


呂布は、夜明けまで考え続けた。


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**第二章 邂逅『戦雲』【第一頁】 了**


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【現在の状況整理】


■ 敵軍の状況

・西方:グラナド辺境伯軍(約1,000名)【到着まで5〜7日】

 →ピックが囮として偵察中、敵を誘引予定

・南方:樹海の魔王軍(約2,000名)【到着まで4〜5日】

 →指揮官は緑の巨人(樹海の七将の一人?)

 →進軍速度が速く、先に到着する可能性大


■ 呂布軍の動き

・ゴリ率いる偵察隊が南方へ出発

・紅龍馬が空からの偵察を完了

・全軍は通常訓練を継続中


■ 作戦の課題

・魔王軍が人間軍より先に到着する見込み

・両軍を鉢合わせるためには、タイミング調整が必要

・魔王軍を遅らせるか、人間軍を急がせる必要あり

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