『南への道』


春が来た。


雪が溶け、山肌が露わになり、木々の芽が膨らみ始めている。空気は澄んで暖かく、生命の息吹が満ちていた。


俺は洞窟の入口に立ち、南の方角を見据えていた。


「準備はできたか」


背後に、グルドとゴルドが並んでいる。


「ああ。いつでも出発できる」


グルドが答えた。


偵察隊の編成は、慎重に行った。俺、グルド、ゴルド、メザ、ピックの五匹。機動力と隠密性を重視した精鋭だ。残りの群れは、ゴリが率いて山を守る。


「呂布」


ゴリが近づいてきた。


「気をつけて行け。何かあったら、すぐに戻ってこい」


「ああ。留守を頼む」


「任せろ。この山は、俺が守る」


ゴリは冬の間にレベルを上げ、ホブゴブリンへの進化まであと一歩のところまで来ていた。群れを任せるには、十分な実力だ。


「では——行くぞ」


俺たちは、山を南へ向かって下り始めた。


---


山脈の南側は、北側とは景色が異なっていた。


斜面は緩やかで、木々が多い。雪解け水が小川となって流れ、あちこちで花が咲き始めている。生き物の気配も濃い。


「北側より、住みやすそうだな」


グルドが周囲を見回しながら言った。


「ああ。だからこそ、他の勢力もいるだろう」


俺は警戒を緩めなかった。


山を下り、森に入る。木々の密度が増し、視界が狭くなった。危機察知を最大限に働かせながら、慎重に進む。


「メザ、ここから先は案内を頼む」


「ああ。といっても、俺が知っているのは大まかな方向だけだ。集落の正確な位置は分からない」


「構わない。方向さえ分かれば、探せる」


俺たちは森の奥へと進んでいった。


---


三日目の夕方、異変があった。


「止まれ」


俺は片手を上げ、隊列を止めた。


「気配がある。前方、五十歩ほど先」


仲間たちが身構える。俺は木の陰に身を潜め、前方を窺った。


誰かがいる。


複数の影が、木々の間を動いている。小柄な体躯、緑色の肌——ゴブリンだ。


「見張りか」


ゴルドが囁いた。


「おそらく。集落が近いのかもしれない」


俺は考えた。


ここで戦闘になれば、集落全体を敵に回す可能性がある。かといって、見つからずに通り抜けるのは難しい。


「俺が出る」


「出る?」


「話をする。敵意がないことを示す」


グルドが眉をひそめた。


「危険じゃないか」


「危険は承知だ。だが、いずれ接触しなければならない。なら、こちらから動いた方がいい」


俺は木の陰から出て、堂々と前に進んだ。


「——止まれ!」


案の定、見張りのゴブリンたちが叫んだ。槍を構え、俺に向かってくる。


五匹。全員が成体だ。訓練されている。動きに無駄がない。


「待て。敵じゃない」


俺は両手を上げて見せた。


「話をしに来た」


見張りたちは困惑した様子で互いを見合わせた。


「お前……ホブゴブリンか?」


一匹が尋ねた。


「そうだ。北の山から来た。この先に集落があると聞いた」


「北の山……? あそこはオーガの領域だったはずだ」


「オーガは俺が倒した。今、あの山は俺たちの領域だ」


見張りたちの目が見開かれた。


「オーガを……倒した? 嘘だろう」


「嘘ではない。確かめたければ、北の山に行けばいい。骨が転がっている」


沈黙が流れた。


見張りたちは再び顔を見合わせ、何やら相談している。やがて、リーダー格らしき一匹が前に出た。


「……ついてこい。長老に会わせる」


「長老?」


「この集落を束ねる方だ。お前の話が本当なら、長老も会いたがるだろう」


俺は頷いた。


「分かった。だが、仲間も連れて行く。四匹いる」


「四匹?」


「隠れていても仕方がない。出てこい」


俺の言葉に、グルドたちが木の陰から姿を現した。見張りたちが一瞬身構えたが、俺が手で制した。


「敵意はない。全員、武器は抜かない」


「……分かった。だが、妙な真似をすれば、容赦しない」


「ああ。約束する」


---


集落は、想像以上に大きかった。


森の中に、無数の簡素な小屋が建ち並んでいる。ゴブリンたちが行き交い、子供が走り回り、あちこちで火が焚かれている。


「これは……」


メザが息を呑んだ。


「百匹どころじゃない……二百、いや三百はいるんじゃないか……?」


俺も驚いていた。


これほどの規模のゴブリン集落があるとは。人間の村に匹敵する——いや、それ以上かもしれない。


「来い。長老の小屋はあそこだ」


見張りに案内され、俺たちは集落の中心へ向かった。


周囲のゴブリンたちが、俺たちを見て囁き合っている。


「見ろ、ホブゴブリンだ」


「二匹もいる……」


「北から来たって……」


注目を集めている。だが、敵意は感じない。好奇の視線だ。


やがて、集落の中心に大きな小屋が現れた。他の小屋の三倍はある。入口には、二匹のホブゴブリンが護衛として立っていた。


「長老。北の山から来たという者たちです」


見張りが声をかけた。


しばらくの沈黙の後、しわがれた声が響いた。


「入れ」


---


小屋の中は、薄暗かった。


中央に焚き火があり、その向こうに——


「お前が、北から来た者か」


声の主が、俺を見据えていた。


老いたゴブリンだった。体は小さく、皮膚は深くしわが刻まれている。だが、その目には——鋭い光が宿っていた。


「俺は呂布。北の山を支配している」


「呂布……変わった名だな。ゴブリンの名ではない」


「ああ。俺は転生者だ。別の世界から来た」


長老の目が、わずかに見開かれた。


「転生者……」


長い沈黙が流れた。


やがて、長老は深く息を吐いた。


「珍しいものを見た。転生者は、百年に一人いるかいないかの存在だ」


「百年に一人?」


「そうだ。この世界には、稀に別の世界から魂が流れ着くことがある。その多くは人間として生まれるが……ゴブリンとして生まれた者は、極めて珍しい」


俺は黙って聞いていた。


「お前が北の山のオーガを倒したというのは、本当か」


「本当だ」


「どうやって」


「罠と連携だ。一匹ずつ孤立させて倒した」


長老はしばらく俺を見つめ、それから——笑った。


「面白い。力任せではなく、知恵で勝ったか。転生者らしい」


「……褒め言葉として受け取っておく」


「褒めている。この世界のゴブリンは、力に頼りがちだ。だが、知恵こそが最大の武器だと、お前は知っているようだな」


長老は焚き火の向こうから、俺をじっと見つめた。


「それで、何のために来た。まさか、挨拶だけではあるまい」


「情報を求めている」


俺は単刀直入に言った。


「この世界のことを知りたい。人間の国、魔物の勢力、世界の広さ——何も分からない状態では、動けない」


「なるほど。そして、情報を得た後は?」


俺は長老の目を真っ直ぐに見た。


「天下を取る」


---


沈黙が、小屋の中に落ちた。


長老は動かなかった。表情も変わらない。ただ、俺を見つめ続けている。


やがて、彼は口を開いた。


「天下、か」


「ああ」


「この世界の頂点に立つ、という意味か」


「そうだ」


「……それが、どれほど困難か、分かっているのか」


「分かっていない。だから、情報を求めている」


長老は再び沈黙した。


そして——また笑った。今度は、先ほどより大きく。


「いいだろう。気に入った」


「気に入った?」


「ああ。大言壮語を吐く者は多いが、『分かっていない』と正直に言える者は少ない。お前は——面白い」


長老は立ち上がった。思ったより背が高い。老いているが、芯には力がある。


「私の名はゼド。この集落を百二十年束ねている」


「百二十年……」


「驚くことはない。ゴブリンは弱いが、進化すれば寿命も延びる。私は三度の進化を経て、今の姿になった」


三度の進化。つまり、ホブゴブリンのさらに上があるということか。


「お前に、この世界のことを教えてやろう」


ゼドは焚き火の傍に座り直した。


「座れ。長い話になる」


---


俺たちは、ゼドの前に座った。


「まず、この大陸の名は『ヴェルガンド』という」


ゼドは地面に大まかな図を描き始めた。


「大陸の中央には、人間の『聖アルディス帝国』がある。千年の歴史を持つ大国だ。皇帝が支配し、貴族たちが各地を治めている」


「帝国……」


「北の山の近くにあった村は、帝国の辺境だ。『グラナド辺境伯領』と呼ばれている。帝国の端だが、それでも強大だ」


ゼドは図に線を引いた。


「帝国の周囲には、いくつかの人間の国がある。西に『自由都市連合』、東に『竜王国』、南に『砂漠の王国』。いずれも帝国より小さいが、侮れない」


「人間の国だけで、四つもあるのか」


「ああ。人間は、この大陸で最も繁栄している種族だ。数も多く、技術も進んでいる。正面から戦えば、魔物は勝てない」


俺は眉をひそめた。


「では、魔物はどうしている」


「大陸の周縁部に追いやられている。北の『凍土』、東の『深淵の森』、南の『灼熱の砂漠』、西の『暗黒沼地』——人間が住めない過酷な土地に、魔物は住んでいる」


ゼドは図の四隅を指した。


「そして、それぞれの地に——『魔王』がいる」


「魔王……」


その言葉に、俺の心臓が跳ねた。


「北の凍土には『氷の魔王』。東の深淵の森には『樹海の魔王』。南の灼熱の砂漠には『炎の魔王』。西の暗黒沼地には『瘴気の魔王』」


「四人の魔王がいるのか」


「いや。四人ではない」


ゼドは俺を見た。


「七人だ」


「七人?」


「大陸の四隅に四人。そして——大陸の中央、帝国の内部に、三人の魔王が潜んでいる」


俺は息を呑んだ。


「帝国の中に?」


「ああ。『影の魔王』、『血の魔王』、『虚無の魔王』。彼らは表立っては動かないが、帝国の裏側で暗躍している。人間たちは、その存在に気づいていない——あるいは、気づかないふりをしている」


七人の魔王。


それが、この世界の頂点に立つ存在か。


「魔王たちは、互いに争っているのか」


「争うこともあれば、協力することもある。だが、基本的には——それぞれの領域を守り、人間と均衡を保っている。千年以上、この均衡は崩れていない」


「千年……」


「そう。千年の均衡だ。魔王も人間も、互いに滅ぼすほどの力はない。だから、睨み合いが続いている」


ゼドは図を描く手を止めた。


「お前が天下を取るというなら——この均衡を崩さねばならない。七人の魔王と、人間の帝国。その全てを超えなければ、天下には届かない」


俺は黙って図を見つめた。


七人の魔王。人間の帝国。そして、いくつもの国。


想像以上に、世界は広かった。


「……面白い」


俺は呟いた。


「面白い、だと?」


「ああ。やりがいがある」


ゼドは目を細めた。


「……本気で言っているのか」


「本気だ。最弱のゴブリンから始めて、天下を取る。不可能に近いが——不可能ではない」


俺は立ち上がった。


「ゼド殿。感謝する。貴重な情報だった」


「待て」


ゼドが俺を止めた。


「もう一つ、教えておくことがある」


「何だ」


「この集落の南に、『樹海の魔王』の領域がある。そこには——ゴブリンの王国がある」


「ゴブリンの王国?」


「ああ。魔王に仕えるゴブリンたちが築いた国だ。数万のゴブリンが住み、王が治めている」


俺は目を見開いた。


「数万……」


「お前が天下を目指すなら、いずれその王国と関わることになる。敵になるか、味方になるか——それは、お前次第だ」


ゼドは立ち上がり、俺に向き直った。


「お前は面白い。だから、一つ提案がある」


「提案?」


「この集落と、同盟を結ばないか」


---


同盟。


予想外の提案だった。


「なぜ、俺たちと同盟を」


「お前には、可能性がある。転生者としての知恵、オーガを倒した実力、そして——天下を目指す野心。この集落には、そういう者がいない」


ゼドは俺を真っ直ぐに見た。


「私は老いた。あと何年生きられるか分からない。この集落を、次の世代に託さねばならない。だが、この集落には——上を目指す意志がない」


「上を目指す意志?」


「ああ。安全に、平穏に、生き延びることしか考えていない。それでは、いずれ滅ぼされる。人間か、他の魔物か、あるいは魔王に」


ゼドは深いため息をついた。


「お前の野心は、この集落を変えるかもしれない。だから——同盟を結びたい」


俺は考えた。


三百匹以上のゴブリンがいる集落。その長老との同盟。これは、大きな一歩になる。


だが、同盟には責任も伴う。


「条件を聞きたい」


「条件?」


「同盟を結ぶなら、互いに何を提供する。何を求める。それを明確にしたい」


ゼドは頷いた。


「いいだろう。私が提供できるのは、情報と、この集落の力だ。お前が困った時、兵を出す。お前が情報を求めれば、答える」


「俺に求めるものは」


「この集落が危機に陥った時、助けに来い。そして——いずれ、この集落を導いてほしい」


「導く?」


「私が死んだ後のことだ。この集落には、私の後を継げる者がいない。お前が成長すれば——この集落の長になってほしい」


俺は黙った。


それは、同盟というより——後継者の指名だ。


「……重い提案だな」


「ああ。だから、今すぐ答えろとは言わない。考える時間をやろう」


俺は頷いた。


「分かった。考えさせてくれ」


---


その夜、俺たちは集落の客人として小屋を与えられた。


「どうする、呂布」


グルドが尋ねた。


「同盟は受けるつもりだ」


「本当か?」


「ああ。情報と兵力は、今の俺たちに最も足りないものだ。それを得られるなら、安い取引だ」


「だが、集落の長になれ、というのは……」


「それは先の話だ。ゼド殿がいつ死ぬか分からないし、その時までに状況は変わっているだろう。今は、同盟の利点だけを考えればいい」


ゴルドが口を開いた。


「俺も賛成だ。この集落と繋がっておけば、南への足がかりになる。ゴブリンの王国に近づく時、役に立つ」


「メザ、ピック、どう思う」


二匹は顔を見合わせた。


「俺たちに異論はない」


メザが答えた。


「呂布が決めるなら、従う」


「……ありがとう」


俺は窓の外を見た。


集落の明かりが、森の中に点々と灯っている。三百匹以上のゴブリンが、ここで暮らしている。


「明日、ゼド殿に答えを伝える」


---


【ステータス更新】


**【名前】呂布**

**【種族】ホブゴブリン**

**【レベル】39**


**【HP】365/365**

**【MP】135/135**


**【筋力】145**

**【敏捷】155**

**【知力】100**

**【魔力】82**

**【耐久】135**

**【幸運】48**


**【スキル】**

暗視(固有)、威圧(覚醒)、天下無双(封印)、指揮(Lv.9)、投擲(Lv.7)、隠密(Lv.6)、危機察知(Lv.8)、窮地の逆転(Lv.3)、戦術眼(Lv.9)、教導(Lv.8)、統率(Lv.8)、読字(自動習得)、剣術(Lv.8)、野営(Lv.4)、追跡(Lv.4)、火計(Lv.3)、再生(Lv.4)、鼓舞(Lv.4)、交渉(Lv.3)【UP】、威厳(Lv.4)【UP】、耐寒(Lv.2)、講義(Lv.2)【UP】、情報収集(Lv.1)【NEW】


**【称号】**

転生者、主殺し、反逆者、魔狼討伐者、群れの長、人殺し、鬼狩り、育成者、山の王、越冬者、外交者【NEW】


---


**【新規スキル】情報収集 Lv.1**


**種別:**探索スキル


**効果:**他者から情報を引き出す能力が向上。会話の中から重要な情報を見抜き、記憶する効率が上昇する。


**成長条件:**様々な情報源から情報を集め、分析すること。


**備考:**戦いの前に情報を制する者が、戦場を制する。


---


**【新規称号】外交者**


**効果:**他勢力との交渉成功率+10%。初対面の相手からの警戒心が軽減される。


**取得条件:**他の勢力と平和的に接触し、交渉を行うこと。


**備考:**武力だけでなく、言葉でも道を切り開く者の証。


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