『森の果て』



情報が欲しい。


その思いが、俺を森の奥へと駆り立てた。


群れが安定してから五日。俺は単独で、これまで足を踏み入れたことのない領域へと向かっていた。グルドたちには「偵察だ」とだけ告げた。嘘ではない。だが、本当の目的は別にあった。


この世界を知りたい。


ゴブリンとして生まれ変わり、ひと月以上が過ぎた。だが俺が知っているのは、この洞窟と、その周囲の森だけだ。世界がどれほど広いのか。どんな種族がいるのか。誰が強者で、誰が支配者なのか。何一つ分かっていない。


前世の俺は、天下の情勢を知っていた。曹操の勢力、袁紹の大軍、劉備の野心。敵を知り、己を知れば百戦危うからず——孫子の言葉だ。陳宮が何度も俺に説いた。


だが俺は聞かなかった。


己の武だけを信じ、情報を軽んじた。だから負けた。


同じ過ちは繰り返さない。


---


森は深かった。


木々の密度が増し、地面には苔が厚く積もっている。空気が湿り、獣の気配が濃くなる。危機察知のスキルが、微かな警告を発し続けていた。


俺は足音を殺し、木々の影を縫うように進んだ。成体になったとはいえ、ゴブリンの体は小さい。隠密行動には向いている。


どれほど歩いただろうか。


やがて、木々が途切れた。


「——これは」


俺は思わず足を止めた。


森が終わっていた。


眼前に広がるのは、見渡す限りの草原だった。緩やかな丘陵が連なり、遠くには山脈が霞んで見える。そして——


煙が上がっていた。


草原の向こう、丘の麓に、小さな集落があった。木造の建物が十数軒。畑らしきものが周囲に広がり、柵で囲まれている。


人間の村だ。


俺の心臓が、大きく跳ねた。


人間。この世界にも、人間がいる。


当然といえば当然だ。だが、実際に目にすると、奇妙な感慨が込み上げてきた。前世の俺は人間だった。今の俺は、その人間たちから見れば「魔物」だ。討伐されるべき害獣。


複雑な気分だった。


俺は木陰に身を潜め、集落を観察した。距離は相当ある。だが、成体になって視力も向上している。細部までは見えないが、おおよその様子は把握できた。


村人たちが動いている。畑を耕す者、水を運ぶ者、子供を連れた女。平和な光景だった。


そして——


武装した男たちがいた。


村の入り口に、槍を持った男が二人。見張りだろう。その奥には、剣を腰に佩いた者の姿も見える。


兵士か、あるいは冒険者か。


いずれにせよ、戦える者がいる。あの村を襲うのは、今の俺たちには無謀だ。


いや、そもそも襲う必要があるのか。


俺は首を振った。今の目的は情報収集だ。戦いではない。


---


村を迂回するように、森の縁を進んだ。


草原と森の境界線に沿って歩くと、やがて別のものが見えてきた。


道だ。


土を踏み固めた、人工の道。村から伸び、草原を横切って遠くへと続いている。荷車の轍が残っており、それなりの往来があることが窺えた。


道があるということは、他にも集落がある。あるいは、もっと大きな町や都市が。


俺は道の方向を記憶に刻んだ。いずれ、この道を辿ることになるかもしれない。


さらに進むと、森の中に奇妙なものを見つけた。


石碑だった。


苔に覆われ、半ば土に埋もれている。だが、表面には文字のようなものが刻まれていた。


俺は近づき、碑文を見つめた。


読める。


なぜか、この世界の文字が読めた。転生の恩恵か、あるいはこの体に備わった知識か。理由は分からないが、ありがたい。


碑文にはこう刻まれていた。


『此処より東、グラナド辺境伯領。無断侵入者は処罰さる』


辺境伯。貴族の称号だ。


つまり、この世界には人間の国家がある。貴族制度があり、領地があり、法がある。


そして「辺境」という言葉。ここは国の端だということだ。中心には、より大きな権力があるのだろう。王か、皇帝か。


俺は碑文の情報を頭に叩き込んだ。


グラナド辺境伯領。覚えておこう。


---


日が傾き始めていた。


これ以上の深入りは危険だ。俺は踵を返し、洞窟への帰路についた。


だが、その途中で——


異変を感じた。


危機察知が、鋭い警告を発している。


俺は咄嗟に木の陰に身を隠し、気配を殺した。


足音が聞こえる。複数。そして、声。


「——この辺りだと報告があった」


「ゴブリンの巣か。面倒だな」


「辺境伯様の命令だ。村の近くに魔物の巣があっては困る。さっさと片付けるぞ」


人間だ。


武装した男たちが、五人。森の中を歩いている。手には剣、背には弓。軽装だが、動きに隙がない。訓練された兵士、あるいは傭兵だろう。


彼らは、俺たちの洞窟を探している。


血の気が引いた。


村の人間が、ゴブリンの存在に気づいたのだ。おそらく、狩りの痕跡を見つけたか、あるいは流浪者たちが目撃されたか。いずれにせよ、俺たちの居場所が露見しかけている。


「まだ巣の場所は特定できていない。今日は周辺の調査だけだ」


「了解。明日以降、本格的に捜索する」


男たちは、俺の潜む木から十歩ほどの距離を通り過ぎていった。


俺は息を殺し、彼らが去るのを待った。


心臓が激しく脈打っている。だが、頭は冷静だった。


状況を整理しろ。


敵は五人。装備は整っている。今の俺が一対一で戦っても、勝てるかどうか分からない。五人同時など論外だ。


そして、彼らは「明日以降」と言った。今日ではない。まだ猶予がある。


だが、長くはない。


俺は決断した。


戻る。今すぐ洞窟に戻り、群れに伝える。


そして——


逃げるか、戦うか、選ばねばならない。


---


洞窟に戻ったのは、夜になってからだった。


グルドたちが心配そうに俺を出迎えた。


「遅かったな。何かあったのか」


「ああ」


俺は全員を集め、見てきたことを伝えた。人間の村のこと。道のこと。石碑のこと。そして——討伐隊のこと。


話を聞き終えた仲間たちの顔は、一様に青ざめていた。


「人間が……俺たちを狩りに来る?」


ピックの声が震えている。


「まだ巣の場所は特定されていない。だが、時間の問題だ」


「逃げよう」


帰還者の一匹が言った。


「こんな場所、捨てればいい。もっと奥に、人間が来ない場所に——」


「どこへ逃げる」


俺は静かに問うた。


「この森のどこかに、人間が絶対に来ない場所があると思うか。逃げても逃げても、いずれ追いつかれる。そして、逃げ続ける群れは弱い。いつか必ず、狩られる」


沈黙が落ちた。


グルドが口を開いた。


「なら、どうする」


「二つの選択肢がある」


俺は指を二本立てた。


「一つ、この洞窟を捨てて、より深い森へ移動する。人間の追跡を振り切り、新たな拠点を築く。成功すれば、しばらくは安全だ。だが、いずれまた同じことが起きる可能性がある」


「もう一つは」


「戦う」


その言葉に、全員が息を呑んだ。


「討伐隊は五人。訓練された兵士だが、数は少ない。地の利は俺たちにある。罠を張り、奇襲をかければ、勝機はある」


「本気か」


ゴリが唸るように言った。


「人間と戦うなんて、正気じゃない」


「正気だ。だが、強制はしない」


俺は全員の顔を見回した。


「これは俺たちの群れだ。俺一人で決めることじゃない。逃げたい者は逃げていい。戦いたくない者を、無理に戦わせるつもりはない」


長い沈黙が流れた。


やがて、グルドが立ち上がった。


「俺は戦う」


「グルド」


「お前についていくと決めた。逃げるつもりはない」


続いて、ピックが立った。


「俺も。逃げてばかりの人生は、もう嫌だ」


メザが頷いた。


「罠なら任せろ。人間相手でも、やれることはある」


ゴリが拳を握り締めた。


「……弟の仇は取れなかった。だが、この群れは守る」


帰還者たちは顔を見合わせていた。恐怖が見て取れる。だが——


「俺たちも、戦う」


最も背の高い一匹が、震える声で言った。


「また逃げたら、また同じだ。どこへ行っても、追われて、狩られて、死ぬだけだ。なら——ここで戦う方がましだ」


俺は頷いた。


「決まりだな」


胸の奥で、熱いものが込み上げてきた。


これが、仲間というものか。


前世では、得られなかったもの。恐怖ではなく、信で繋がる者たち。


「作戦を立てる」


俺は地面に膝をつき、枝で図を描き始めた。


「時間は少ない。だが、やれることはある。全員、よく聞け——」


二つの月が、洞窟の入口から差し込んでいた。


戦いの夜が、近づいていた。


---


【ステータス更新】


**【名前】呂布**

**【種族】ゴブリン(成体)**

**【レベル】17**


**【HP】118/118**

**【MP】35/35**


**【筋力】40**

**【敏捷】48**

**【知力】32**

**【魔力】22**

**【耐久】38**

**【幸運】17**


**【スキル】**

暗視(固有)、威圧(覚醒)、天下無双(封印)、指揮(Lv.4)、投擲(Lv.4)、隠密(Lv.3)【UP】、危機察知(Lv.3)【UP】、窮地の逆転(Lv.1)、戦術眼(Lv.3)【UP】、教導(Lv.2)、統率(Lv.1)、読字(自動習得)【NEW】


**【称号】**

転生者、主殺し、反逆者、魔狼討伐者、群れの長


---


**【新規スキル】読字(自動習得)**


**種別:**知識スキル


**効果:**この世界の一般的な文字を読み書きできる。転生時に自動的に付与された能力。


**備考:**言語理解の一環として与えられた恩恵。高度な古代文字や魔法文字には対応していない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る