『灰燼』


夜明けと共に、呂布たちは洞窟へ向かった。


森の中を歩きながら、呂布は自分の体の変化を確かめていた。成体に進化したことで、体格が大きく変わっていた。身長は以前の二倍近くになり、腕も脚も太くなっている。


歩幅が違う。


以前なら三歩かかった距離を、今は二歩で進める。足音も重くなった。地面を踏みしめる感覚が、以前とは全く異なる。


「リョフ、本当に大きくなったな」


グルドが、呂布を見上げながら言った。


「昨日まで、俺たちと同じくらいだったのに」


「進化というのは、こういうものらしい」


呂布は、自分の拳を見つめた。


「レベルが一定に達すると、体が変わる。幼体から成体へ。そして、成体からさらに上の存在へ」


「さらに上?」


「ああ。この世界には、ゴブリンの上位種がいるらしい。ホブゴブリン、オーガ、そしてさらにその上。レベルを上げ、条件を満たせば、そういった存在に進化できる」


頭の中の知識が、そう告げていた。この世界に生まれ落ちた時から持っていた、世界の常識。


「俺も、進化できるのか」


ピックが、期待を込めた目で問うた。


「できる。お前たちも、レベルを上げれば成体になれる。そのために、鍛錬を続けるんだ」


四匹の目が、輝いた。


希望だ。


強くなれるという希望が、四匹の心に火を灯していた。


---


洞窟が、見えてきた。


呂布は、足を止めた。


異臭がする。


血の匂い。死の匂い。そして、焦げた匂い。


「何だ、この匂い」


ゴリが、顔をしかめた。


呂布は、警戒しながら洞窟に近づいた。


入り口に、死体が転がっていた。


成体のゴブリンだった。腹を裂かれ、内臓が飛び出している。魔狼にやられたのだろう。顔は恐怖に歪み、目は見開かれたままだった。


「ひどい……」


メザが、顔を背けた。


呂布は、死体を跨いで洞窟の中に入った。


中は、さらに惨憺たる有様だった。


死体が、あちこちに転がっていた。成体も、幼体も、区別なく。壁には血飛沫がこびりつき、地面は血で黒く染まっていた。


焚き火の跡があった。だが、火は消えている。代わりに、煙が燻っていた。何かが燃えた後の、不快な煙だった。


「全滅、か」


グルドが、呻くように言った。


「魔狼に、やられたのか」


「いや、違う」


呂布は、首を横に振った。


「魔狼だけでは、こうはならない。魔狼は俺を追って洞窟を出た。その後に、何かが起きたはずだ」


呂布は、洞窟の奥へと進んだ。


死体の数が、増えていく。どの死体も、激しい戦闘の痕跡を残していた。殴られ、切られ、噛みつかれ、あらゆる方法で殺されていた。


やがて、洞窟の最奥に着いた。


そこに、長がいた。


---


長は、壁にもたれて座っていた。


生きていた。だが、瀕死だった。


右腕が、肘から先がなかった。魔狼に噛みちぎられたのだろう。傷口からは、まだ血が滲んでいた。顔は蒼白で、目は虚ろだった。


「来たか」


長は、呂布を見て言った。


掠れた、弱々しい声だった。昨夜の威圧的な態度は、どこにもなかった。


「何があった」


呂布は問うた。


「お前が、魔狼を連れて出て行った後か」


長は、乾いた笑いを漏らした。


「反乱だ」


「反乱?」


「ああ。お前が魔狼を引きつけて出て行った後、成体どもが俺に襲いかかってきた。俺が弱ったのを見て、寝首を掻こうとしやがった」


長は、壁の方を顎で示した。


そこに、成体の死体が転がっていた。呂布に因縁をつけてきた、あの成体だった。首が、半ば切り落とされていた。


「何匹かは殺した。だが、多勢に無勢だ。腕を失った俺では、全員は相手にできなかった」


「他の成体たちは」


「逃げた。俺を殺せないと分かると、散り散りに逃げていった。残ったのは、死体だけだ」


長は、目を閉じた。


「群れは、終わりだ。俺が作った群れは、一夜にして崩壊した」


呂布は、長を見下ろしていた。


恐怖で支配した者の末路。部下に裏切られ、全てを失う。


前世の自分と、同じだ。


「お前の言った通りだったな、小僧」


長は、目を開けて呂布を見た。


「恐怖で支配した者は、恐怖がなくなった瞬間に裏切られる。その通りだった」


「今さら、それを認めるのか」


「死にかけると、色々なことが見えてくるものだ」


長は、苦笑した。


「お前、名前は何と言った」


「呂布だ」


「リョフ、か。変わった名だ」


長は、呂布を見つめた。


「お前は、俺とは違うやり方をしているらしいな。あの幼体どもは、お前を信じてついてきている。俺の部下どもとは、目の色が違った」


「当然だ。俺は、仲間を駒だとは思っていない」


「仲間、か」


長は、その言葉を噛みしめるように繰り返した。


「俺には、仲間などいなかった。いたのは、俺を恐れて従う奴隷だけだった」


長の目が、遠くを見ていた。


「最初から、そうだったわけじゃないんだ。俺にも、昔は仲間がいた。だが、ある時、仲間に裏切られた。それから、俺は誰も信じなくなった。恐怖でしか、人を従わせられなくなった」


呂布は、黙って聞いていた。


「お前は、俺と同じ過ちを犯すなよ、リョフ」


長は言った。


「仲間を、大事にしろ。信じろ。裏切られることを恐れて、心を閉ざすな。それをしたら、俺と同じになる」


「分かっている」


呂布は答えた。


「俺は、前の人生で同じ過ちを犯した。だから、この人生では同じ過ちを繰り返さない」


長は、わずかに目を見開いた。


「前の人生、だと?」


「長い話だ。今は、話す時間がない」


呂布は、長を見下ろした。


「お前を、どうするべきか。迷っている」


「殺せ」


長は、迷いなく言った。


「俺は、もう終わりだ。片腕を失い、群れを失い、全てを失った。生きていても、仕方がない」


「本当に、それでいいのか」


「ああ。俺は、お前に負けたんだ。勝者が敗者を殺す。それが、この世界の掟だ」


長は、目を閉じた。


「やれ、リョフ。俺に残された、最後の意地だ。惨めに野垂れ死ぬより、お前に殺される方がましだ」


呂布は、長を見つめた。


殺すべきか。


長は、敵だった。呂布たちを殺そうとした。その罪は、消えない。


だが、今の長は、ただの敗者だった。全てを失い、死を待つだけの敗者。


呂布は、傍らに落ちていた剣を拾い上げた。


長の剣だった。鉄製の、この群れで最も上等な武器。


呂布は、剣を構えた。


「一つ、聞いておきたい」


呂布は言った。


「お前の名は、何という」


長は、わずかに笑った。


「ガルム。俺の名は、ガルムだ」


「ガルム。覚えておく」


呂布は、剣を振り下ろした。


---


洞窟を出ると、朝日が昇っていた。


呂布は、剣を手にしたまま空を見上げた。


ガルムの血が、剣に付着している。長を殺した証だ。


「終わったのか」


グルドが、呂布の傍に来て言った。


「ああ。終わった」


「長は」


「死んだ。俺が、殺した」


グルドは、呂布を見つめた。


その目に、複雑な感情が浮かんでいた。安堵と、僅かな畏怖と。


「これで、群れは俺たちのものだ」


ピックが言った。


「いや」


呂布は、首を横に振った。


「群れは、崩壊した。成体たちは、散り散りに逃げた。残っているのは、俺たちだけだ」


「じゃあ、どうする」


メザが、不安そうに問うた。


呂布は、仲間たちを見回した。


五匹。呂布を含めて、五匹。


小さな群れだ。だが、信で繋がった群れだ。


「一からやり直す」


呂布は言った。


「この洞窟を拠点にして、新しい群れを作る。仲間を増やし、力を蓄え、もっと大きな群れにする」


「できるのか、それ」


ゴリが問うた。


「やる。やるしかない」


呂布は、剣を掲げた。


朝日が、剣の刃を照らした。血に濡れた刃が、赤く輝いた。


「俺たちは、ここから始める。最弱から始まった俺たちが、この世界の頂点を目指す。その第一歩が、今日だ」


四匹が、呂布を見上げていた。


その目に、希望の光が宿っていた。


「ついてくるか」


呂布は問うた。


「当然だ」


グルドが、迷いなく答えた。


「俺たちは、お前についていく。どこまでも」


「俺も」


ピックが言った。


「俺も」


メザが言った。


「俺も」


ゴリが言った。


呂布は、仲間たちを見つめた。


四匹の幼体。まだ弱い。まだ小さい。だが、その目には確かな決意が宿っていた。


これが、俺の群れだ。


呂布は、そう思った。


前世で得られなかったもの。陳宮が望み、高順が示そうとしたもの。


信で繋がった、本当の仲間。


ようやく、手に入れた。


呂布は、朝日に向かって歩き出した。


仲間たちが、後に続いた。


五つの影が、朝日の中に溶けていった。

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