『波紋』
呂布たちが洞窟に戻ると、異変が起きていた。
洞窟の入り口に、成体のゴブリンが三匹立っていた。腕を組み、険しい顔で呂布たちを睨んでいる。
「どこに行っていた」
真ん中の成体が、低い声で問うた。
呂布は、足を止めた。
グルドとピックが、呂布の後ろに隠れるように立つ。二匹とも、緊張した面持ちだった。
「散歩だ」
呂布は、平然と答えた。
「夜中に三匹で散歩だと?」
成体の目が、細くなった。
「しかも、お前、血だらけじゃねえか。何があった」
呂布は、脇腹の傷を見た。
血は止まっているが、傷口は生々しく開いている。隠しようがなかった。
「転んだ」
「転んでそんな傷ができるか。馬鹿にしてんのか」
成体が、一歩近づいた。
その目に、獰猛な光が宿っている。先日、呂布に恥をかかされた成体だった。あの時の屈辱を、まだ根に持っているらしい。
「お前ら、夜中に勝手に狩りをしてたんだろう」
成体が言った。
「幼体が狩りをするのは、掟破りだ。長に報告すれば、お前らは殺される」
グルドとピックが、息を呑んだ。
呂布は、成体を見上げた。
「報告するのか」
「さあな。お前らの態度次第だ」
成体は、にやりと笑った。
「今から俺たちの言うことを聞けば、見逃してやってもいい。どうする、痩せガキ」
脅しだ。
呂布を屈服させ、支配下に置こうとしている。先日の借りを返すために。
呂布は、成体たちを見回した。
三匹。どれも、呂布より二回りは大きい。腕は丸太のように太く、牙は黄色く光っている。まともにやり合えば、今の呂布では勝ち目がない。
まして、呂布は今、傷を負っている。脇腹の傷が、じくじくと痛んでいた。全力で戦えば、傷が開いて出血する。そうなれば、動けなくなる。
不利だ。
圧倒的に、不利だ。
だが。
呂布は、逃げる気はなかった。
ここで屈服すれば、全てが終わる。これまで積み上げてきたものが、全て崩れる。グルドやピックの信頼も、失われる。
何より。
呂布奉先は、脅しに屈する男ではない。
呂布は、成体を真っ直ぐに見つめた。
そして、意識を集中した。
威圧。
覚醒したばかりのスキル。まだ、使い方は完全には分からない。だが、やるしかない。
呂布は、目に力を込めた。
戦場で幾万の敵を睨んできた、武人の目。三国最強と謳われた男の、殺気を宿した眼光。
それを、目の前の成体に向けた。
---
成体の顔色が、変わった。
一瞬、目に恐怖の色が浮かんだ。体が、わずかに後ずさった。
「な、何だ……」
成体が、呟いた。
「この、圧……」
呂布は、威圧を維持したまま、一歩前に出た。
「報告したければ、すればいい」
呂布は言った。
「だが、その前に一つ教えてやる」
「な、何だ……」
「俺たちは今夜、魔狼と戦った」
成体たちの目が、見開かれた。
「魔狼だと……嘘をつくな」
「嘘じゃない。この傷が、その証拠だ」
呂布は、脇腹の傷を見せた。
「魔狼の爪でやられた。だが、俺たちは逃げなかった。三匹で戦い、魔狼の両目を潰した。奴は、逃げていった」
成体たちは、呂布を見つめていた。
信じられないという顔だった。当然だ。幼体三匹が、魔狼を退けるなど、普通なら考えられない。
だが、呂布の傷は本物だった。
そして、呂布の目も、本物だった。
嘘をついている目ではなかった。修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、重みのある眼光だった。
「お前らに、同じことができるか」
呂布は問うた。
「魔狼と戦い、両目を潰し、追い払うことが。お前らに、できるか」
成体たちは、答えなかった。
答えられなかった。
魔狼は、成体でも単独では勝てない相手だ。三匹がかりでも、返り討ちに遭う可能性が高い。それを、幼体三匹が退けた。
その事実が、成体たちの心を揺さぶっていた。
「長に報告するなら、この話も一緒に報告しろ」
呂布は言った。
「幼体三匹が、魔狼を退けた。その報告を聞いて、長がどう思うか。楽しみだな」
成体たちの顔が、強張った。
長は、強さを重んじる。群れで最も強い者が、長になる。それがゴブリンの掟だ。
幼体三匹が魔狼を退けたという事実は、群れの中で波紋を呼ぶ。長は、呂布たちを脅威と見なすかもしれない。あるいは、有用な戦力と見なすかもしれない。
いずれにせよ、報告した成体たちも、ただでは済まない。長の機嫌を損ねれば、何が起きるか分からない。先日、狩りに失敗した成体が首を刎ねられたばかりだ。
成体たちは、互いに顔を見合わせた。
「ちっ……」
真ん中の成体が、舌打ちした。
「今日のところは、見逃してやる。だが、次はないと思え」
成体たちは、呂布を睨みながら道を開けた。
呂布は、グルドとピックを連れて、洞窟の中に入った。
成体たちの視線が、背中に突き刺さっていた。だが、呂布は振り返らなかった。
---
洞窟の隅に着くと、呂布はその場に座り込んだ。
体の力が、抜けていく。緊張が解けた途端、傷の痛みが一気に押し寄せてきた。
「リョフ、大丈夫か」
グルドが、心配そうに覗き込んだ。
「ああ……少し、疲れただけだ」
呂布は、荒い息を吐きながら言った。
「威圧、使ったな」
ピックが言った。
「お前がやったんだろ。あいつら、急に怯えだした」
「ああ。上手くいくか、分からなかったが」
「上手くいった。あいつら、完全にビビってた」
ピックは、感心したように言った。
呂布は、自分の手を見た。
まだ、少し震えている。威圧スキルを使うのは、かなりの精神力を消耗するようだった。
だが、効果は絶大だった。
成体三匹を、戦わずして退けた。傷を負った状態で、正面からぶつかっていたら、どうなっていたか分からない。
威圧は、強力な武器だ。
上手く使えば、戦わずして勝てる。
「さて」
呂布は、息を整えながら言った。
「これで、俺たちの存在は群れ中に知れ渡る」
「そうだな。あいつら、黙ってはいないだろう」
グルドが言った。
「魔狼を退けた幼体がいる。その噂は、すぐに広まる」
「それは、良いことなのか」
ピックが、不安そうに問うた。
「長に目をつけられるんじゃないか」
「目をつけられるだろうな」
呂布は、頷いた。
「だが、それは避けられない。いつまでも隠れているわけにはいかない。力を示し、仲間を増やし、長を倒す。そのためには、目立つ必要がある」
「目立てば、敵も増える」
グルドが言った。
「ああ。だが、味方も増える」
呂布は、グルドを見た。
「お前も、そうだっただろう。俺が成体に逆らった時、お前は俺に興味を持った。強い者には、人が集まる。それは、この世界でも同じだ」
グルドは、頷いた。
「確かに、そうだ。俺は、お前の強さに惹かれた」
「これからは、もっと多くの者が俺たちに興味を持つ。その中から、仲間を選ぶ。信頼できる者だけを、傍に置く」
呂布は、立ち上がろうとした。
だが、傷が痛んで、うまく立てなかった。
「無理するな。今日は休め」
グルドが、呂布の肩を支えた。
「俺とピックで、見張りをしておく。お前は寝ろ」
「すまない」
呂布は、素直に礼を言った。
グルドとピックが、呂布の傍を離れた。洞窟の入り口近くに移動し、見張りを始めた。
呂布は、横になった。
体が、重い。傷の痛みと、疲労と、威圧の消耗が、一気に押し寄せてきた。
目を閉じると、すぐに意識が沈んでいった。
---
夢を見た。
白門楼の夢だった。
処刑台の上で、縄を首にかけられている。曹操が見上げている。劉備が傍らに立っている。兵士たちが、呂布を取り囲んでいる。
だが、何かが違った。
呂布の傍らに、二つの影があった。
グルドと、ピック。
二匹が、呂布の隣に立っていた。
「お前ら、なぜここにいる」
呂布は問うた。
「お前と一緒に死ぬためだ」
グルドが答えた。
「お前を置いて逃げられるか」
ピックも答えた。
呂布は、二匹を見た。
前世の呂布には、こんな者たちはいなかった。最後まで傍にいてくれる者は、誰もいなかった。陳宮も、高順も、呂布のために死んだが、呂布は一人で処刑台に立った。
だが、今は違う。
今の呂布には、仲間がいる。
共に死ぬと言ってくれる仲間が、いる。
呂布は、笑った。
「馬鹿な奴らだ」
「お前に言われたくない」
グルドが、笑い返した。
処刑台が、崩れ始めた。
景色が、歪んでいく。
白門楼が、遠ざかっていく。
その向こうに、新しい世界が見えた。
二つの月が浮かぶ、異世界の空。
呂布は、その空に向かって歩き出した。
グルドとピックが、後に続いた。
三つの影が、新しい世界へと消えていった。
---
目を覚ました時、日はすでに高く昇っていた。
呂布は、ゆっくりと体を起こした。
傷は、まだ痛む。だが、昨夜よりはましだった。少し眠っただけで、体力が回復している。ゴブリンの回復力は、人間より高いようだった。
「起きたか」
グルドの声がした。
見ると、グルドが傍らに座っていた。
「ああ。どれくらい寝ていた」
「半日くらいだ。ピックは今、水を汲みに行っている」
「そうか」
呂布は、周囲を見回した。
洞窟の中は、いつもと変わらない様子だった。幼体たちが塊になって眠り、成体たちが焚き火を囲んでいる。
だが、何かが違った。
視線だ。
幼体たちの視線が、呂布に向けられていた。遠巻きに、こちらを窺っている。昨日までとは、明らかに違う目だった。
恐怖。敬意。好奇心。
様々な感情が、その視線に混じっていた。
「噂が広まったか」
呂布は言った。
「ああ。魔狼を退けた幼体がいるって、みんな騒いでる」
グルドが、苦笑しながら言った。
「お前、一躍有名人だぞ」
「有名人か」
呂布は、口元に笑みを浮かべた。
前世でも、呂布は有名人だった。天下無双の武人として、中原に名を轟かせていた。
だが、その名声は、恐怖に基づいていた。呂布を恐れ、呂布に逆らわないために、人々は呂布の名を口にした。
今は、違う。
今の呂布の名声は、仲間と共に勝ち取ったものだ。三匹で魔狼を退けた。その事実が、呂布の名を群れに広めている。
これが、正しいやり方だ。
恐怖ではなく、実力で名を上げる。仲間と共に戦い、共に勝ち、共に名を馳せる。
陳宮が望んでいたのは、こういうことだったのかもしれない。
高順が見せたかったのは、こういう姿だったのかもしれない。
「グルド」
呂布は言った。
「何だ」
「これから、仲間を増やす。俺たちに共感する者、俺たちについてきたいと思う者を、集める」
「分かった。どうやって集める」
「まずは、待つ。噂を聞いて、向こうから来る者がいるはずだ。その中から、信頼できる者を選ぶ」
グルドは、頷いた。
「任せろ。俺が、目を光らせておく」
「頼む」
呂布は、洞窟の天井を見上げた。
波紋は、広がり始めている。
この波紋が、やがて大きなうねりになる。群れを変え、長を倒し、この世界を変える。
その始まりが、今日だ。
呂布は、静かに決意を新たにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます