『最初の仲間』


グルドが目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。


呂布は、その傍らでうとうとしていた。夜通し狩りをし、そのままグルドの看病をしていたため、ほとんど眠れていなかった。


「……う」


小さな呻き声が聞こえた。


呂布は、目を開けた。


グルドが、薄く目を開けていた。焦点の合わない目が、ぼんやりと宙を彷徨っている。


「気がついたか」


呂布は言った。


グルドの目が、呂布を捉えた。


一瞬、何が起きているのか分からないようだった。だが、すぐに記憶が戻ったのだろう。目に恐怖の色が浮かんだ。


「ひっ……」


グルドは、後ずさろうとした。だが、体が言うことを聞かない。傷だらけの体は、動くことすらままならなかった。


「殺さないでくれ……頼む……」


グルドは、震える声で言った。


呂布は、その様子を黙って見ていた。


前世の自分を思い出していた。


白門楼で、縄を首にかけられた時。呂布もまた、こうやって命乞いをした。曹操に、劉備に、誰でもいいから助けてくれと。


惨めだった。


天下無双と謳われた男が、地に這いつくばって命を乞う。あれほどの屈辱はなかった。


だが、今は分かる。


命乞いをするのは、惨めなことではない。


生きたいと思うのは、当然のことだ。


「殺さない」


呂布は言った。


グルドの目が、わずかに見開かれた。


「助けたのは俺だ。殺すつもりなら、最初から見捨てている」


グルドは、呂布の言葉を信じられないようだった。


「なぜ……なぜ助けた……俺はお前に……」


「お前が俺に何をしたかは覚えている」


呂布は言った。


「だが、それは終わったことだ。今のお前は、俺に危害を加えられる状態ではない。傷ついた相手を殺す趣味は、俺にはない」


グルドは、しばらく呂布を見つめていた。


その目に、困惑と警戒が入り混じっている。だが、恐怖は少しずつ薄れていくようだった。


「……水を、くれ」


グルドが、掠れた声で言った。


呂布は頷き、傍らに置いていた葉を差し出した。中には、朝汲んできた水が入っている。


グルドは、震える手で葉を受け取り、水を飲んだ。


喉を鳴らして飲む姿は、獣のようだった。だが、呂布は何も言わなかった。自分も、この世界に来たばかりの頃は同じだった。飢えと渇きに苦しみ、ネズミの生肉を貪り食った。


水を飲み終えると、グルドは少し落ち着いたようだった。


「……なぜだ」


グルドは、もう一度問うた。


「なぜ、俺を助けた。お前に得はないだろう」


呂布は、その問いに答えなかった。


答えられなかった。


自分でも、なぜ助けたのか分からなかったからだ。


ただ、見捨てられなかった。それだけだ。


呂布は、話題を変えた。


「お前、長に何をした」


グルドの顔が、強張った。


「……何も。何もしていない」


「何もしていないのに、あそこまで殴られるか」


グルドは、しばらく黙っていた。


やがて、ぽつりと言った。


「……長の前を、横切った」


「それだけか」


「それだけだ。長が機嫌が悪い時に、たまたま前を通っただけだ。それで、殴られた」


呂布は、眉をひそめた。


それだけのことで、死ぬほど殴られる。


これが、ゴブリンの群れか。これが、恐怖による支配の末路か。


前世の自分を見ているようだった。


呂布もまた、些細なことで部下を罰した。侯成が軍馬を失った時、呂布は激昂して鞭打ちの刑に処した。それが、裏切りの引き金になった。


恐怖で支配すれば、いずれ破綻する。


それを、呂布は身をもって知っていた。


「長を、恨んでいるか」


呂布は問うた。


グルドは、呂布を見た。


その目に、複雑な感情が渦巻いていた。恐怖。憎悪。そして、諦め。


「恨んでいる」


グルドは、小さな声で言った。


「恨んでいるさ。殺してやりたいと思う。だが、無理だ。俺にはあの長に勝てる力がない。誰にも、あの長には勝てない」


「本当にそう思うか」


呂布は言った。


グルドは、怪訝な顔をした。


「どういう意味だ」


「長は確かに強い。この群れで最も強い。だが、永遠に最強でいられるわけではない。いつか、長を超える者が現れる。その時、長は引きずり下ろされる」


グルドは、呂布を見つめた。


「お前……まさか、お前が長を倒すと言うのか」


呂布は、答えなかった。


代わりに、立ち上がった。


「傷が癒えるまで、ここにいろ。水と食い物は、俺が持ってくる」


「待て」


グルドが、呂布を呼び止めた。


「なぜだ。なぜ、そこまでする。お前に何の得がある」


呂布は、振り返った。


グルドを見下ろし、しばらく黙っていた。


やがて、口を開いた。


「前に、ある男から言われたことがある」


呂布は言った。


「人は、武だけでは従わない。信がなければ、人の心は繋ぎ止められない、と」


グルドは、黙って聞いていた。


「俺は、その言葉の意味を理解していなかった。武があれば十分だと思っていた。強ければ、誰もが従うと思っていた。だが、違った。武だけでは、最後には裏切られる」


呂布は、自分の手を見た。


緑色の、小さな手。


「今の俺には、武がない。前世のような力はない。だからこそ、別のやり方を試してみようと思う」


「別のやり方?」


「ああ。力で従わせるのではなく、信で繋がるやり方だ。上手くいくかは分からない。だが、試す価値はあると思っている」


呂布は、グルドに背を向けた。


「お前を助けたのは、その第一歩だ。見返りを求めているわけではない。お前が俺を信じるかどうかは、お前が決めればいい」


そう言い残して、呂布は歩き出した。


---


その日の夜、呂布は狩りに出かけた。


隠しておいたウサギの肉を取り出し、半分をグルドのために残した。残りの半分を持って、森へ向かった。


狩りは順調だった。


ネズミを二匹、トカゲを一匹。それに加えて、木の実をいくつか。以前より、明らかに効率が上がっていた。


体が、さらに変わっていた。


呂布は、狩りの合間にステータスを確認した。


---


【名前】名無し


【種族】ゴブリン(幼体)


【レベル】4


【HP】31/31


【MP】7/7


【筋力】9


【敏捷】14


【知力】14


【魔力】4


【耐久】8


【幸運】4


---


レベル4。


一週間で、レベルが1から4まで上がった。ステータスも、全体的に底上げされている。特に敏捷の伸びが著しい。夜ごとの狩りが、効いているのだろう。


だが、まだ足りない。


レベル50まで、遠い道のりだ。


呂布は、空を見上げた。


二つの月が、変わらず浮かんでいる。


焦るな。


呂布は、自分に言い聞かせた。


前世の俺は、常に焦っていた。早く天下を獲りたい。早く頂点に立ちたい。その焦りが、判断を誤らせた。


この世界では、同じ過ちを繰り返さない。


一歩一歩、着実に進む。急がば回れ。陳宮が好んで使っていた言葉だ。当時は鼻で笑っていたが、今は身に沁みて分かる。


呂布は、狩りを再開した。


---


洞窟に戻ると、グルドが起き上がっていた。


傷はまだ痛むようだが、顔色は昨日より良くなっている。呂布が持ってきた薬草が効いたのだろう。


「持ってきた」


呂布は、獲物を差し出した。


ネズミの肉と、木の実。グルドの目が、見開かれた。


「これを……俺に?」


「食え。体を治すには、食わなければならない」


グルドは、しばらく呂布を見つめていた。


その目に、何か複雑な感情が渦巻いている。


やがて、グルドは獲物を受け取った。


「……礼を言う」


小さな声だった。だが、確かに聞こえた。


呂布は、何も言わなかった。


グルドは、肉を貪り始めた。飢えていたのだろう。あっという間に平らげてしまった。


食べ終えると、グルドは呂布を見た。


「お前、名前は何という」


呂布は、一瞬考えた。


名前。


この体には、名前がなかった。ステータスにも「名無し」と表示されている。ゴブリンの幼体は、名前を持たないことが多いらしい。成体になり、何かの功績を立てて初めて、名前を与えられる。


だが、呂布には前世の名前がある。


「呂布」


呂布は言った。


「俺の名は、呂布だ」


グルドは、首を傾げた。


「リョフ? 変な名前だな」


「そうか」


「ゴブリンの名前じゃないだろ。どこで覚えた」


呂布は、答えなかった。


説明しても、信じてもらえないだろう。前世の記憶があること。別の世界から来たこと。そんな話をしても、狂人扱いされるだけだ。


「昔、聞いた名前だ。気に入っているから、使っている」


呂布は、そう誤魔化した。


グルドは、納得したようなしないような顔をしていたが、それ以上は追及しなかった。


「俺はグルドだ。知ってるだろうけど」


「ああ」


「……リョフ。一つ聞いていいか」


「何だ」


グルドは、しばらく躊躇っていた。


やがて、意を決したように口を開いた。


「お前、本気で長を倒す気なのか」


呂布は、グルドを見た。


その目を、真っ直ぐに見つめた。


「ああ」


呂布は言った。


「いつか、必ず倒す。そして、この群れを変える」


グルドは、呂布の目を見つめ返した。


しばらくの沈黙があった。


やがて、グルドが口を開いた。


「俺も、連れて行ってくれ」


呂布は、目を細めた。


「どういう意味だ」


「お前が長を倒すなら、俺も手を貸したい。俺一人じゃ何もできない。だが、お前と一緒なら、何かできるかもしれない」


グルドの目には、真剣な光が宿っていた。


恐怖も、諦めも、そこにはなかった。あるのは、小さいが確かな決意だった。


呂布は、グルドを見つめた。


こいつは、俺を信じようとしている。


つい数日前まで敵だった相手が、俺についていこうとしている。


高順。陳宮。


お前たちも、最初はこんな気持ちだったのか。


俺のような男についていこうと、こんなふうに決意してくれたのか。


呂布は、手を差し出した。


「いいだろう。俺と来い、グルド」


グルドは、その手を取った。


小さな、緑色の手と手が、握り合わされた。


「よろしく頼む、リョフ」


「ああ」


呂布は、グルドの手を握り返した。


最初の仲間ができた。


たった一匹。弱り切った、傷だらけの幼体。


だが、呂布は確かな手応えを感じていた。


これが、信で繋がるということか。


力ではなく、心で繋がる。


前世の俺には、なかったものだ。


呂布は、二つの月を見上げた。


長い道のりは、まだ始まったばかりだ。


だが、今日、確かに一歩を踏み出した。

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