第8話 『未設定』

 南北を繋ぐ大河──ダックリバー。その東にある町もダックリバーと呼ばれている。

 町は大河と東海岸に挟まれ、大河に沿って栄えている。

 西の山から下りてきた川が、大河を横切り東の海へと続いている。この川を境に、町は北と南に分かれている。

 潜りたちの殆どが北ノ町を活動拠点としてきた。パブ〈高級な人々ユーベルメンシュ〉もそこにある。ここに遺跡への入口が多く点在しているからだ。

 〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉も四カ月前まではこの町を拠点にしていた。

 ハルタは北ノ町では飲まなくなっていた。モーテルから南へ向かい、橋を渡って南ノ町へ出かけることが増えていた。

 潜りの頃一度も来なかった夜の繁華街を散策し、人気の少ない飯屋へ入れば、あまり潜りを見なくて済んだ。


 賑わう路地の左右に店が開かれている。夜は歩行者天国だ。店が遠くの方まで続いている。

 店で一杯やったハルタは、今夜はいい酒だったと帰路に就こうとしていた。

 立ち並ぶ店の一角に、探索者ギルドの認証マークが見えた。換金所だ。

 地下墓地から出た物品、魔物の素材等は、換金対象物と認定され、認証マークのついた店でのみ換金することができる。

 その際、買取り額から手数料が引かれ、これが運営費としてギルドへ送られている、という話を以前にどこかで聞いたことを思い出した。

 おそらくフォソーラだろう。

 ハルタはフォソーラの顔を思い出していた。ゆくゆくはその金が蓋ノ騎士団などへ流れているかもしれない、と生前彼女がそんなことを愚痴っていたのだ。


 ある店の扉が開け放たれて、中から賑わいのある声が聞こえてきた。


「もうちょっと飲もうぜ」


「ごめんなさい。私、明日は朝から用事があるから」


 飲み屋街だから会話は至るところから聞こえている。だが聞き覚えのある声であるような気がして、ハルタの視線はそこへ向いた。


「イカルガ?……」


 三カ月ぶりに、ハルタの瞳が力を取り戻したかのようだった。目をぐっと見開いて、店から出てきたばかりの女を凝視した。

 後ろ姿がイカルガにそっくりだった。腰まである長い黒髪は、街のネオンを跳ね返すほどに艶があり、縮毛矯正したように真っすぐだ。


「まっ、待ってくれ……イカルガ!」


 ハルタは慌てて、情けない声で叫んだ。

 女が振り向いた。

 微笑みの現れかけたハルタの顔から、みるみる表情が消えていく。愕然とした。

 イカルガとは似ても似つかない、白がくすんだような肌。こけた頬。目の下の深いシミのような隈。イカルガは細身だが、健康的な肉づきのいい体をしていた。だが女は、ハルタから見れば病的に写るほどに細かった。

 彼女と目を合わせたものは、心当たりがなくとも何かしただろうかと首を傾げるに違いない。人を恨めしく睨みつけるような腐った目つきは、見る者を不快にさせる。

 髪形はイカルガの真似。服装は、真似していると思われないように自分で選んだブランドものを身に着けていた。

 本人は周囲にバレていないと思っているようだが、ハーレーもビョークもハルタも、イカルガ以外は、彼女がイカルガの真似をしていると知っていた。確認したことはない。深く知ろうとせずとも、彼女がどういう人間なのか直感的にハルタも分かっていたからだ。彼女が言わないことは、こちらも聞かなかった。


「フォソーラ……」


 死人を見るような目で、ハルタは女を見た。

 目の前に立っているのは、紛れもなくフォソーラであった。

 道の真ん中で、二人は似たような表情をして見合った。

 フォソーラの顔に表情はなかった。だがハルタには、彼女が驚きを隠そうとしているように見えた。

 しまった。彼女が、心の声でそう言っているように見えた。

 フォソーラは気づいていないかのように目を逸らし、ぱっと身を翻した。背中を向け、何も言わずにそそくさと離れていく。逃げるように。


「ふぉ、フォソーラ!」


 街中にハルタの声が響く。通行人が振り返っている。


「なあ、フォソーラなんだろ?」


 ハルタは車椅子を漕ぎ、後を追った。

 死んだはずだ。何で生きてる……。

 フォソーラは、イカルガのフルバーストに当たり焼け死んだはずだ。上半身が溶けて消滅したはずだ。切断面が綺麗に焼け切れていたから、灰すら残っていなかった。

 遺体を含め、ハルタは一部始終をその目で確認したはずだ。だが視線の先にある、この見慣れた、痩せた背中はフォソーラのもので間違いない。

 何故逃げる。逃げてどうする?……。

 しばらくして、誘導されているのでは、という予感が過った。痩せた女の足であれ、車椅子から逃げられないなどありえない。仮にも潜りだ。体力は嫌でもつく。

 東へ向かっているようだった。海外の方角だ。

 街から離れるとネオンの灯りが消え、建物の数が少なくなっていく。街灯や、住宅なども姿が減り始め、辺りは暗く静かになっていった。

 二人は自然に、間隔を維持しながら街道を進んだ。

 浜へ辿り着くと、ハルタはフォソーラを見失った。目の前には真っ暗な海が広がっている。波の音だけが聞こえていた。人気ひとけはない。

 殺気に気づいたハルタは急いで車椅子を動かした。潜りをやめて三カ月経つが、感覚はまだ死んでいなかった。

 背後を何か大きなものがかすめた。バランスを崩し、ハルタはアスファルトへ転倒する。


「おしぃ!」


 フォソーラの気張った声が聞こえた。

 何かの散らばる大きな物音がして顔を上げると、電話ボックスが道路に散乱していた。

 声のした方向へ視線を向けると、オレンジ色の街灯の真下にフォソーラの姿があった。自分の身の丈ほどある杖を構えている。獣のような目でこちらを睨んでいた。


「まだイカルガの真似してんのか」


 上体を起こしながらハルタは言った。

 フォソーラは「ああ?」とチンピラのように唸った。

 少ない灯りの下でも、フォソーラの小鼻がぴくぴく動いているのが分かる。苛立つとすぐ小鼻が痙攣する。


「なんで生きてる?」


「髭が伸びたわね。それから髪も。誰だか分からなかったわ……その足どうしたの?」


 神経質な笑顔でフォソーラは言った。


「ヘルデと一戦交えた時にな」


「ヘルデ?」


「やっと喋る気になったか」


「相手にできたの?」


「そんなことはどうでもいい」


 やましいことがあるから逃げた。

 何故逃げる必要があるのかなど、一々順序だてて考える必要もなかった。事実は目の前にあり、フォソーラは生きている。喋っている。これは幻覚ではない。

 生きていたことを知られたくなかったからだ。だから逃げた。死んだということにしておきたかったからだ。

 何か事情があるのか。

 いずれにせよ、穏やかでないことだけは分かった。


「イカルガの真似をしても、ハーレーは相手になんかしてくれないぞ」


 フォソーラについては、ハルタもよく分かっている点が一つだけあった。彼女はハーレーに首ったけである。

 口が閉じてフォソーラの顔から表情が消えた。目頭と目尻が裂けそうなほど、ぐっと見開いた目だけがハルタを睨みつけた。

 ハルタは煽って言葉を引き出そうと考えた。


「気づいてないと思ったか? みんな知ってるぞ、お前以外はな」


 その言葉が引き金となった。

 フォソーラが杖を向けた。杖の先端にボーリング玉くらいの青白い光の玉が現れると、風を切り、ハルタに向かって勢いよく飛んでいく。

 車椅子を素早く動かし、一つ目は避けることができた。

 ハルタは車椅子の後部に備えていた松葉杖を手に持ち、彼女へ目掛けて槍のように投げた。松葉杖は回転しながら飛んでいった。

 フォソーラが杖を体の前で構えると、杖を中心に楕円形の膜が形成された。飛んできた松葉杖は、その膜によって簡単に弾かれてしまった。

 さらに杖先を地面へ突き刺すように叩きつけた。瞬間、杖先を中心に衝撃波が発生する。立て直したばかりの車椅子へ波がもろに直撃し、ハルタは車椅子ごと宙へ舞った。

 車椅子が先に落ちた。

 地面へ叩きつけられたハルタへ、フォソーラが追い打ちかける。光の玉を連射しながら近づいた。

 ハルタは縮こまりながら頭を守った。激痛で動けず、気が遠のきかける。

 フォソーラはハルタの腹を蹴り上げた。


「荷物持ちがぁ、調子乗ってんじゃねぇ! 誰に向かって口利いてんだ!」


 ハルタは息ができなかった。

 フォソーラのように〈魔術書ブルー・プリント〉の作成方法や魔法陣のデザインを学んでいれば、自分も今頃一人前の潜りになっていたのだろうか。独学で初めてみたものの、ハルタにはその素養がなかった。

 遅すぎた。ヘルデは打ち取ったが足を失った。そして今、フォソーラに止めを刺されようとしている。

 殺すために誘導されているのかもしれない。その予感が過った時点で引き返すべきだった。相手がフォソーラだから油断したのだ。


「知りたい? どうして私が生きているのか」


 色っぽい女を気取るような声。


「いいわ。死ぬ前に教えてあがる。でも聞いたらあなた、驚くわよ」


 フォソーラは喋りたくてうずうずしているようだった。


「なんて言えばいいのかしら……結論から言うと、イカルガは誤射していない」


 気を抜くと、また気絶しそうだった。

 ハルタの反応を確認することなく、フォソーラは話を続ける。


「私はただ指示されただけ。岩陰に隠れていろ。イカルガが熱線を吐く瞬間を待て。彼女が熱線を吐いたら石を放り投げろ。それだけ。石には護符が貼ってあったわ。護符には収納の魔法陣が描かれていて、中にはあの日の私と同じ服を着た死体が入っていた。事前に安置所から盗み出したものよ。イカルガに一番よく似た、歳の近い死体を盗んできた。あとは私が熱線にやられて死んだとあなたたちが誤解してくれればいいだけ。イカルガの熱線は強力だから、私は上手くいきっこないって言ったんだけど……だってそうでしょ? 死体が消えちゃったら、私が死んだことが確認できないじゃない? でもあの人ったら、言い出したら聞かないから……まさか下半身丸々残ってくれるとは思わなかったわ。腕の一本くらいを期待していたのだけれど。死体が残ったのを確認して、私はポータルで地下墓地の外へ脱出した」


 ポータルは魔法陣の一種だ。魔法陣が生み出された歴史上唯一の成功作と言われる代物である。大型クランに所属する精鋭部隊やマスター、サブマスターなどがよく所持している。他の魔法陣と違い、ただの特殊な紙や物に描けばそれで機能するというわけではなく、フォソーラのようなクラフトマンにも易々とは扱えず、市販されてはいるが、高価な物であるため一介の潜りは持たない。


「あの人?……」


 ハルタは声を振り絞った。喉の潰れたような声で。


「誰だか知りたい?」


 フォソーラが歯茎を剥きだしに笑みを浮かべる。


「あなたもよく知る人よ」


 何故か、それだけで顔が浮かんだ。


「ハーレーよ──」


 パーティー解散後、フォソーラは潜りたちが多く出入りする北から離れ、ハーレーが事前に用意した南ノ町にあるアパートに隠れ、しばらくその近辺で生活していた。

 だがそのうちハーレーからの連絡が途絶えた。食事の配達が止まり、いつまで隠れていればいいのか分からなくなり、外出するようになった。

 次第に行動は大体になっていき、飲み屋で日雇いのウェイトレスをやったり、そこで知り合った潜りたちとパーティーを組んだりし、ハーレーを待っていたのだという。

 話し相手を求めていたかのように、フォソーラは饒舌に語った。


「だけど彼も思い切ったことをしたわね。最深部への大扉を封鎖するなんて。よほどイカルガが邪魔だったのかしら。悔しかったのね、きっと……でも丁度良かった。イカルガが嫌いだったから」


 フォソーラは顔をぐっと近づけ、にたーっと笑みを浮かべた。


「そう。私はイカルガが大嫌いだった。あいつは何でも持っていた。私にないものを何でも……我慢ならなかった。毎朝顔を合わせるたび、心の中で──死ねぇ! 死ね死ね死ね、死ねぇって、何度も叫んだわ。誰だって欲しいものはある。そうでしょ? ハルタ、あなたなら分かってくれるわよね。寡欲かよくなあなたにも欲しいものはあった。それがイカルガだったんでしょ? だから私に苛立ってるのよねぇ」


 フォソーラは自分の容姿に酷いコンプレックスを抱えているのかもしれない。イカルガは誰の目にも美しく見えただろう。フォソーラの目にも。

 自分がハーレーに相手にされないのはイカルガがいるからだとそう思ったのだろうか。

 ハルタの脳裏にそんな考えが過った。


「まさかハーレーの方からイカルガを追い出したいだなんて……あの人の口からそんなセリフを聞ける日がくるだなんて思いもしなかったわ。私は喜んで従った。だってハーレーのためだもの。彼の望むことは何でもしてあげたい。初めて彼と心が通じた気がした。分かるわよね? あなたが私で、相手がイカルガなら、あなたも私と同じことをしたはず」


 一緒にするな。

 ハルタはフォソーラを蔑むように睨んだ。


「まるで違うって言いたそうな顔ね?……嘘よ。あなたは人間の残虐性を分かっていない。人間が他人を思いやるのは教養人と思われたいからよ。誰だって欲しいものは欲しい。潜りならなおさらよ。だから人は潜りになる。誰かを踏み台にしてでも、陥れてでも手に入れる。殺してでも手に入れてやる」

 

 右足さえあれば……。

 足があれば近づける、力いっぱい殴ってやれる。

 嚙み締めた奥歯の隙間から、雑巾を絞るように唾液が溢れ出た。唾液じゃなかった。血だった。殺してやりたいという思いが湧き出るように、ハルタの口から血が流れていた。味覚がなく、血の味さえ分からない。

 無い右足を恨めしく思った。


「会わなきゃ生きてられたのに。仕方ないわよね。見られちゃったし」


 フォソーラがハルタへ杖の先端を向けた。

 視界が青白く光る。


「さようなら、お荷物さん」


 衝撃波が襲った。宙を舞い、ハルタは地面へ叩きつけられるように落ちた。

 視界がぼやける。意識が遠ざかる。瞼がゆっくりと落ちる。

 イカルガを救いたかった。ただ、それだけ……。


「──本当に?」


 声が聞こえた。

 道路に横たわるハルタ。

 半開きの瞼の間から、薄っすらと光が見えた。

 思い切って目を開けたハルタの目の前に、ヘクター・ヴァッケンの姿があった。フォソーラの姿はない。

 波の音が聞こえている。真っ暗な浜。オレンジ色の街灯。道路に面した人気のない路地。場所は同じだった。


「ヘクターさん……?」


「〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉のかなめだものな、彼女は」


 調子のいい口調でヘクターは言った。

 奇妙な光景だ。ここにヘクターがいるはずはない。そんなことは分かっていた。

 つまり幻覚……。

 驚きが消えると、すぐに怒りが湧いてきた。きっかけは何だったか分からないが、ヘクターに対し、殺意ほどの怒りが湧いた。

 八つ当たりだ。右足の失ったのは自分のせいである。


「ヘクター・ヴァッケン……」


「他の誰でもない。もちろん君でもない。彼女こそが〈|蒼炎の薔薇ブルー・ローズ《ブルー・ローズ》〉だ。それを失ったんだ、君は。右足なんかどうでもいい。」


 こんな会話、以前にしただろうか?……。

 していない。ハルタは思った。何かがヘクター・ヴァッケンの声を借りて喋っている。


「無理もない。無能が頼りを失ったのだからなぁ。それを助けたいと考えるのは至極当然のことだ」


「……俺が、イカルガを利用してるって言いたいんですか」


「違うのか? 私にはそう見えるがな。利用し足りないんだ、君は」


「違う!」


 ハルタは声を張り上げた。地面に這いつくばりながら。アスファルトに顎を擦り付けながら、ヘクターへ近づこうとする。


「そうかなぁ?」


「俺は……彼女が好きだった。ただそれだけです」


「だから救いたいと? おいおい、冗談はよしてくれ。学生恋愛のようなくそ寒いことを言わないでくれ。君は潜り、小汚い潜りさ。そうだろ?」


「俺は……」


「救われたいのは君の方だ」


 ヘクターがかさを脱いだ。マスクを取り、ヘルメットを取り……。

 しゃがんで、ハルタに顔をぐっと近づけてきた。


「違うか? 魔力を持たぬ、哀れで孤独なよ」


 そこにあったのは自分の顔だった。

 途端に睡魔が襲った。瞼が重くなる。ハルタは目を閉じた。

 意識が戻ったら、目の前にフォソーラの姿があった。気絶して夢を見ていたらしい。


「何よ、まだ死んでなかったの?」


 ハルタの右膝下から、パァーンという水風船をアスファルトに打ち付けたような破裂音が聞こえた。と同時に右膝から大量の赤い液体が飛び出し、瞬間的に右足が生えた。

 フォソーラは、ハルタが死んだかどうか確認していたところだった。

 彼女の杖の先端を素早く右手で掴んだハルタは、一瞬にして握りつぶした。


「へ?」


 杖が使い物にならなくなったことに、フォソーラが気付くまでには数秒かかった。

 潰れた杖の先端に目をやった彼女の表情は戸惑っている。目の前でぬっと立ち上がるハルタの姿が見え、フォソーラは杖を落とした。


「なんで……」


 なんで立てるの──そう言いたかったのだろう。その前に、ハルタは彼女を殴り飛ばしていた。

 その細腕からは考えられない飛距離に、ハルタ自身も驚きを隠せないほどだった。

 フォソーラは街灯に激突し、ゴールポストに当たって跳ね返るサッカーボールのように道路へ飛んだ。アスファルトへ叩きつけられた。

 ハルタは横たわるフォソーラと自分の右腕を見比べた。気分が良かった。何故動かなかった体が今になって動くのか。

 口内が切れている。血の味がする。味が分かる。全身の痛みが分かる。痛みが引いていくのが分かる。先ほどまで死んでいたはずの感覚が戻っている。

 理由は分からないが、気分がいいのでそのうちどうでも良くなった。松葉杖なしに立つことができている。今はそれだけで十分だった。

 失ったはずの右足がある。

 膝から血が滴り落ちている。足元に小さな血溜まりができていた。その溜まりを見て、イカルガがフラッシュバックして怒りが湧いた。

 道路の真ん中で、うつ伏せに倒れているフォソーラのところまで、ハルタは早歩きで向かった。

 一発殴っただけだというのに、フォソーラの顔は何発も殴られたかのように凸凹だった。そして今日食べた物をすべて絞り出すかのように、ゲロを吐き散らかしていた。

 何か言いたそうにしているが、嘔吐が止まらず喋れない様子。

 潰れた顔がハルタを見上げた。怯えた瞳とハルタは目が合った。


「イカルガは自殺した」


 フォソーラの瞼がぴくっと動いたのが見えた。それが何を思っての反応なのか分からず、ハルタはしゃがんで顔を近づける。


「……知らなかったのか?」


 フォソーラは目を逸らした。

 遺体発見当日には、雑誌の記者が来るほどの激震だったはずだ。だが蓋を開けてみれば、〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉など所詮一介のパーティーに過ぎない。クランなどと比べれば、その他大勢に過ぎなかった。

 ハルタは痛感した。話題にすらなっていなかったのだ。


「解散の原因を作ってしまったことでも、免許を剥奪され潜りを続けられなくなったからでもない。イカルガが死んだのは、フォソーラ……お前を死なせてしまった罪悪感に耐えられなかったからだ」


 フォソーラの瞳が小刻みに揺れている。 


「遺書にそう書いてあった。彼女の、イカルガの字でな……申し訳ないって」


 視線を逸らそうとする彼女の瞳を、ハルタは凝視した。


「ハーレーはどこにいる──」

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