第2話 『ヘクター・ヴァッケン』

 パーティーもイカルガも失った。

 賑やかな表通りの空気が鬱陶しい。ハルタは逃げるように、路地裏へ入っていった。

 とりあえず探索者ギルドへ向かおう。ギルドへ行って、イカルガの処分を考え直してもらおう。免許剥奪はやり過ぎだ。減刑できるはずだ。あれは、事故なのだから。

 憤りを募らせていたところ、頭にごつんと重みを感じた。何か当たった。くらっときて、瞼が落ちる。

 意識が戻ったら潮の香りがした。

 港の近くだろうか。そこは、どこかの薄暗い倉庫のようだった。


「気が付いたか」


 幼い女の声がした。


「……湯葉丸?」


 目つきの悪い、背丈の小さな女が樽の上に座っていた。黒いレインコートのような服を着ている。フードで頭をすっぽりと覆っており、口元は見えづらく、黄色い目だけがはっきりと見えた。

 不釣り合いな、大きな丸い円形の、茜色の楯を背負っている。


「〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉の話を聞いて、嫌な予感がしたんだ」

「何があった?」


 立ち上がろうとすると頭に激痛が走った。力が抜けて、尻餅をつく。


「座ってろ」

「こいつらは?」


 目の前に黒装束の者が三人倒れていた。


「気絶してるだけだ。あとで処理しとく」

「……助けられたってわけか」


 イカルガのところにも一〇人ほどいた、と湯葉丸は話した。大河沿いの路地で偶然あったらしい。


「イカルガは?」


「心配する必要があるのか? 湯葉が見つけた時には全員返り討ちに遭ってた」


 思わず笑みがこぼれた。やはりイカルガは強い。

 ハーレーとビョークのところにも五人きたらしい。

 自分だけ三人であったことを悔しく思うべきか、ハルタは少しそれが気になった。


「手口が雑い。おそらく同業者だ」

「同業者って?」

「潜りだ。ハルタ、〈高級な人々ユーベルメンシュ〉の前でイカルガと何か話したろ?」

「何かって?……ああ、うん。イカルガが田舎へ帰るとか言い出してさ。それで俺」

「それ、全部聞かれてたぞ」

「……それは、気味が悪いな」

「分かってないな」


 やれやれ、といった風に湯葉丸はため息をつく。


「こいつら多分、どこかのクランに雇われたんだ。殺しを頼むにも金がいるからな」

「殺し?」

「分からないか? 早い話が、イカルガを引退させたい奴らがいるんだよ」

「なんで?」

「事を荒立てて欲しくないからさ。潜りたちは規制を恐れてる」

「規制って?」

「これまで通り自由に潜れなくなったらどうする?」

「ああ、そういうことか」

「いずれにしても、ギルドへ行ったところで状況は変わらない。湯葉たちみたいな一介の潜りは相手にされない」

「ハーレーはギルドに出入りしてたぞ」

「議論しに行ってたわけじゃない。イカルガは呼ばれなかったろ? 話なんか聞いてもらえなかったはずだ。一方的に処分を聞かされただけだろ」

「じゃあ他にどうすればいいんだよ」

「明日の正午、湯葉んとこのサブマスが地下墓地へ潜るらしい」

「〈幼猫の嘶きキティ・ミュウ〉のサブマスター?」


 湯葉丸は頷いた。

 彼女は〈幼猫の嘶きキティ・ミュウ〉という大手クランに所属している。

 パーティーとの違いは、ほとんどの場合、クランが複数パーティーによって構成されている点だろう。


「探索者ギルドは複数のクランマスターによって運営されてる。そのうちの一つが、うちだ」

「遠征に参加しろって言ってるのか?」

「……無理にとは言わない。ただ結構な人数引き連れて行くらしいから、普通に参加するより安心だ。当日参加者も募るらしい。クラン外からも参加できる」

「潜るってどこまでだ、どこまでかによるぞ」

「最深部前まで行くらしい」

「あの大扉か」


 最深部前とは、イカルガが瓦礫によって封鎖した大扉があるエリアのことだ。


「瓦礫を撤去するつもりなのか?」

「かもしれない。これはチャンスだ。道中、どこかのタイミングでサブマスと話ができるかもしれない」


 ゆくゆくはクランマスターと話がしたい。湯葉丸の狙いはそこだった。直接ギルドへ向かうのがダメなら、その運営に関わっている者を当たればいい。


「ただ話をするだけのために、そこまでするのもなぁ……話ができるとは限らないし、できても、あしらわれるのがおちだろうし……」

「湯葉も同行する」

「そういう問題じゃない。イカルガなしに潜ったことはないし、あそこへ行くには片道三日はかかる」

「そんなに?」


 湯葉丸が分かりやすく驚いた。


「知らなかったのか?」


 一定以上潜ってしまうと、途中二人だけで引き返してくることはできない。万が一の場合、ハルタと湯葉丸だけでは魔物の数に対応できないからだ。そこが難点だった。


「イカルガがかなり狩ったから、ヘルデの数は


 中はヘルデがうようよと、それも群れで徘徊しており、それらは深く潜るほど数と強さが増す。

 ハルタはヘルデの恐ろしさを十分に理解していた。

 

「でも湯葉だってほぼ毎日潜ってるぞ」


「でもその反応からして、深くはないってことだろ?」


「最深部前に行ったことはない」


 湯葉丸の実力は、ハルタよりも圧倒的に上である。それはハルタもよく理解している。だからこそ一度も行ったことがないというのは意外だった。

 片道三日、帰りは疲労の関係で三日半から四日かかる。


「湯葉丸のレベルでも、あそこまで行ってないのか」


「湯葉の場合、固定パーティーじゃないってことも関係してるかもしれない。深く潜るにはメンバー同士の関係が良くないとな」


「なるほど……まあ、俺の場合はイカルガたちがいたからだろうな。今にして思えば、俺のレベルであの深さはそもそも不釣り合いだった。パーティーが解散したばっかだからか、色々考えさせられるよ。俺はただの荷物持ちだ」


 ハルタは少しナイーブになっていた。

蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉のありがたみに気付かされる。あのメンバーだからこそ潜れていたのだ。失ったものの大きさを理解するほど、頭と背中が重くなっていくようだった。


「ハルタ?」


 心配そうに湯葉丸は覗き見た。気づいたハルタは苦笑いをして、「なんでもない」と誤魔化した。


「あの時は戻ってくるのに往復で一週間くらいかかった」


「遠いな」


 決断の難しさを噛み締めるように、ハルタは頷きながら「遠い」と同意する。


「受付は?」


「早朝からだ。昼前には発つらしい」


 準備する時間は十分にある、とハルタは思った。


「別の方法を考えてもいい」


 ハルタの深刻そうな表情に、湯葉丸は言った。


「急いでもいいことはない。イカルガは湯葉にとっても友人だ。協力するよ。もう少し時間をかけて他の方法を考えよう」


「いや、時間がない」


 もたもたしている間にイカルガが田舎に帰ってしまう。しばらくはこの街にいるだろうが、潜りとしてやっていけなくなった今、イカルガには以前のような生活費を稼ぐ手立てがない。

 田舎へ帰ると言った際の、イカルガの表情を思い返した。何度思い返しても引き留める口実が浮かばない。

 ハルタは焦っていた。


「今までイカルガに頼り過ぎた」


 ハーレーでもビョークでもなく、誰よりも頼ってきたのは自分だと、ハルタは分かっていた。


「今度は俺が助ける番だろう」


「じゃあ」


「ああ、行くよ。他に方法も思い浮かばないし」


 頭の後ろ側が痛む。

 いつもより重く感じる腰を上げ、ハルタは立ち上がった。


 倉庫の外へ出ると、海の地平線に夕暮れが見えた。一体どれだけの間、気を失っていたのだろうか。

 その場を湯葉丸に任せ、ハルタは港を後にした。

 イカルガを訪ね、彼女の泊っているモーテルへ着く頃、外はすっかり夜になっていた。

 街灯に虫が集まっている。前の路地に一つしかない。壊れているのか、ちかちかと点滅している。灯が弱い。

 辺りは閑静な住宅街だ。靴の擦れる音が気になるほどに静かである。路地を挟んだモーテルの向かい一帯に、分譲住宅ばかりが広がっている。

 何度もイカルガを迎えに来たことがあるから、ハルタにとっては通いなれた場所だった。 

 モーテルはL字型の二階建てで、すべての部屋の扉がLの内側に見える。多くは逗留する卸業者や羽振りの悪い商人たちが住処としている。寝るための部屋だ。

 Lの天辺が路地側だ。階段が二カ所に設置されていて、その一つが丁度Lの天辺にある。上がってすぐの所に、イカルガの借りている部屋がある。

 ドアをノックして彼女が出てきたら、第一声はなんと言おうか。何故かそわそわしながら、ハルタは二階の角部屋を見上げた。部屋の明かりが消えている。

 いないのか。今日は色々とあったから、少し早いが寝たのかもしれない。

 その日はイカルガに会わずに帰った。



 ※



 音楽フェスのような人だかりが広がっていた。

 ハルタは圧倒されて。


「これ全員参加するのか?」


「ほとんど落ちると思っていい。外部参加者には審査がある」


 道の両側に〈受付〉と書かれた仮説テントがあり、それが遠くまで続いている。


「受かる気がしないんだけど」


「その時は、その時だ」


「湯葉丸はどうするんだ? クラン会員だし、審査はないんだろ?」


「昨日のうちに済ませてある」


「じゃ俺だけか」


「こっちだ」


 雑踏を横切り、ハルタは湯葉丸の後へ続いた。

 正面に倒壊した遺跡の一部が見える。傍までやってくると地下墓地の入口──階段が見えた。その付近から活気に満ちた野次と、むさ苦しい息づかいが聞こえた。

 遺跡の隅に人が集まっている。群衆が大きな輪を作っており、その中心で模擬戦が行われていた。

 一人は二〇代前半の若い男だ。汗が迸る。荒い呼吸を繰り返しながら棍棒を振り回している。

 もう一人は女で、若い。十代後半ではないかとハルタは思った。輪郭が若干隠れる程度のショートボブ──明るい黄色の髪。湯葉丸が背に担いでいるものと同じ、曲面が茜色の、大きな丸い円形の楯を構えている。

 女は屹立していた。その場から一歩も動いていない。振り下ろされり、突かれたりする棍棒を楯で受けきっている。男の猛攻を関心がないような細い目つきが観察していた。

 無理やり体をねじ込むように、湯葉丸が群衆の間をすり抜けていく。ついていくべきだろうか、と迷った挙句、苦笑いを浮かべながらハルタは群衆の中へ体をねじ込んだ。

 最前列までやってくると、「誰だ? クランの人間じゃないな」と湯葉丸が怪しむように言った。模擬戦中の若い女を凝視している。

 やがて男の棍棒が弾かれ、地面に落ちた。


「不合格──」


 女がはっきりと言った。温度の感じない口調。まるで表情だけ時間が止まっているかのようだ。


「ハルタ、行くぞ」


「え?」


 湯葉丸が片手を挙げて、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。


「はいはい。次こっち、こっちこっち、はいはい!」


 子供みたいに飛び跳ねる姿に、ハルタが赤面したのも束の間だった。その声に被さるように、周囲から男たちの唸り声が被さる。

 次は俺にやらせろ、と潜りたちはアピールした。場が熱気に包まれる。

 負けじと湯葉丸は飛び跳ねた。

 中心にいる女がこちらを見ていることにハルタは気づく。そして、そっと湯葉丸を指差した。


「よし!」


 と湯葉丸が嬉しそうに拳を握った。


「ハルタ、行け」


 慌てて頷き、ハルタは前へ出る。


「あなたがやるのでは?」


 女が無表情で、湯葉丸へ確認した。


「あー、違う違う。やるのはこっち。湯葉はクラン会員だから」


 インチキだろ!――。

 群衆から野次が飛んだ。今にも背後の潜りたちが湯葉丸へ襲い掛かりそうだ。ハルタは表情を強張らせた。


「おい、湯葉丸。どうすんだよ、これ」


「問題ない。指名したのはその女だ」


 と女を指差して言った。

 湯葉丸は潜りたちの方へ体を向け、


「文句があるなら、その女に言いやがれ! 代理で挙手しちゃダメってルールでもあんのか! あるなら看板でも立てとけ、馬鹿野郎!」


 野次の熱気が上がり、怒号で空気が震えた。

 湯葉丸は腰に拳をそえ、やるならかかってこいとばかりに周囲を挑発する。


「湯葉丸、やめろって。やばいって」


 ハルタが小声で呼びかける。

 湯葉丸は背を向けたまま、拳に立てた親指で後ろを、くいくい、と示す。気にせず早くいけ、とでも言うかのように。

 そこへ突風が吹いた。潜りたちが煽られ、バランスを崩すほどの風圧だ。怒号が一瞬にして、群衆の外側へ向かってかき消された。

 ハルタは尻餅をつく。女へ振り返った。風は、中心から発生していた。

 この女がやったのか?──。


「挑戦を認めます」


 女が言った。

 立ち上がったハルタは「お願いします」と一礼する。右手で左腰の剣を抜き、左手で腰の後ろの短い剣を抜いた。


「待ちなさい、ラキィ」


 ──声が聞こえた。

 ハルタが機械音かと思うほどの、バリついた声だ。

 中性的で男か女か区別しがたい声が、古いラジカセから聞こえたかのようだった。

 壁のような二足歩行の何かが、こちらへ近づいてくる。

 巨体は、二メートルを優に超えていた。ブーツの底からは人間並みの足音がきこえるが、肩幅が異様に大きく、ハルタは機械人形かと思った。深緑色のコートを着込んでいて首が見えない。金属質な黒い笠の隙間からガスマスクのような物が見えている。目は見えない。


「マリアスとお呼びください」


「いいじゃない。それより彼、刃物を使うようだ。潜る前に楯が傷ついてしまってはいけない」


「楯ならいくらでも」


「私が相手をしよう」


 間があった。ラキィは会釈し、後ろへ下がる。


「さあ、いつでも斬りかかってくるといい。私の方も肩慣らしをしておきたい」


 目が見えないから、目の前の巨体がいつこちらへ振り返ったのか、ハルタには分からなかった。

 皮手袋をはめた大きな手が、とてつもなく長い鞘から、とてつもなく長い刀を抜いた。


「長いだろ?」


 愛想の良い声が訊ねた。


「大太刀と言ってね。実際のそれよりも、さらに長く作ってあるんだ。ヘルデを一太刀で仕留めたいからねぇ」


 刀自体が珍しい。見たことはあった。だがその刀には、鍔が見当たらなかった。マグロ包丁のようである。

 会話の間合いからして分からなかった。何を目の前にしているのかも分からない。人が機械の服でも着こんでいるかのようだ。

 ハルタは右手に半曲刀のサーベルを持った。シミターのようである。先端に向かうほど刃が細い。左手で、鎧通しのような直刀の短剣を逆手に持った。

 間合いを詰める。斬りかかった。


「珍しいねぇ。二刀流かぁ」


 刀身の長いサーベルで刺突。素早さには自信があった。

 だが相手はまるで固い野菜でも切るみたいに、刃の背に左手を添え、突き出したハルタの刃を瞬時に、押さえつけるようにして体の外側へ去なす。動作がすぐに攻撃へ転じて、左利きの打者がバットを振り抜くような構えを取り、柄頭を使い、刺しかかろうとしていたハルタの左手の鎧通しをも弾いた。勢いよく。

 こちらの動きに合わせる目の良さ。図体の割に身軽な体。ハルタはそれでも怯まず攻めた。

 手数で押し切るしかない。いずれにしろ勝負はつかない。勝ち負けの問題ではないのだ。何を基準にして審査されているのかも分からない。

 巨体がその場から動いていないことに気付いた。さっきの「ラキィ」と呼ばれた女もそうだった。

 動かせばいいのか? それで合格か?──。

 できなくはない、とハルタは足元を狙った。

 大太刀を逆手にし両手で握ると、巨体は掃き掃除でもするみたいにして、また去なした。

 これ以上は刃こぼれしてしまう。そう思い、ハルタが一度距離を取ったそのとき。


「うん。いいと思うよぉ」


 ハルタは不意打ちを食らったような間抜けな顔になり、直前まで考えていたことが頭から吹き飛んだ。


「遠征に加えてあげよう」


 巨体が大太刀を鞘に戻しながら言った。ハルタが戸惑っていると、「誰に教わったの?」と巨体は続けて言う。


「その剣のことだよ」


「……あ、えっと、パーティーのリーダーです」


「ふーん」


「あの、もういいんですか? 俺はまだ、何もできていない気がするんですが」


「そうかい? 十分だと思うけどねぇ。うん、十分通用するよ」


 巨体が集まる潜りたちの方へ体を向けた。


「紹介しよう! 彼はハルタくん。元〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉──そう言えば分かるかなぁ?」


 周囲がざわついた。

 あの熱線魔ねっせんまがいたとこか?──。

 ある一人の潜りの問いに、「いかにも」と答える巨体。


「自己紹介が遅れた」


 巨体がこちらへ近づいてくる。圧を感じていると、コートの内側から青白い、細い腕がすうっと伸びて出てきた。

 ハルタは《それ》と握手をした。


「初めまして。〈幼猫の嘶きキティ・ミュウ〉のサブマスター。ヘクター・ヴァッケンだ」


「え、あなたが?」


 色々と衝撃が重なっていた。まだ審査を通った事実に戸惑っていて、ハルタは処理できていなかった。目の前の巨体はサブマスターで、しかもサブマスターは自分の顔も名前も知っていたということになる。

 周囲の潜りの中にも、〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉と聞いて心当たりがあるような顔をする者がちらほら見えていた。

 ある程度有名である、とはハルタも思っていた。イカルガのおかげだ。

 だがまさか、大手ギルドの、それもサブマスターに認知されているとは思っていなかった。


「気安く、ヘクターと呼んでくれ」


 言葉に詰まり、誤魔化すように会釈した。

 この人が、湯葉丸の言っていたサブマスか。

 ハルタは気が引ける思いだった。同時に興奮がこみ上げてもいた。スタイリッシュな風貌をイメージしていたが、実物は予想もしていない姿だった。その奇抜さに興味が湧いた。

 ハルタはクランというものに馴染がなかった。サブマスターという存在についても、今にして思えばどこかで聞いたことのある語感ではあるが、昨日湯葉丸から話を聞いて、初めて意識したくらいだった。


「みんなも知っている通り、ハルタくんのパーティーは悲しい事故により現在は解散している。熱線魔ねっせんまの名で知られる、イカルガさんのミスによるものだと聞いている。しかしこれは責めるに値しない。彼女が我々にもたらした功績は計り知れない。今日これから向かう場所だって、彼女の存在なくして攻略はあり得なかった。分かるとも。彼女がいなくとも、いずれ誰かが辿り着いていただろう。だが最初に辿り着いたのは彼女なんだ。彼女がいた〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉なんだ」


 ヘクターは、右拳を掲げて言った。ハルタと握手した青白い手ではない。皮手袋に包まれた大きな手だ。青白い手は、素手に巨体の内部へ消えていた。


「その事実を受け止め、私は彼の参加を快く受け入れることにする。彼は熱線魔ねっせんまに代わり、ケジメをつけにやってきたのだろう。そうだろう、ハルタくん?」


 浅い頷きが先にあり、遅れて「え……あ、はい。そうです」と歯切れの悪い返事があとからついて出た。

 ケジメ? 違う。イカルガの処分を取り消す手立てを探しにきたんだ。

 潜りたちがサブマスターの言葉に聞き入っている。気づくと場は静かになっていた。人の咳払いが聞こえるほどに。

 ハルタは否定するタイミングを逃した。

 

「彼女の意志を引き継ごうじゃないか! 我々は三日後、最深部の大扉から瓦礫を取り除く!」


 歓声で空気が震えた。ハルタへ、潜りたちが賞賛の声を送っている。

 称えられている意味が分からない。違和感と気まずさ。ハルタは呆然とし、瞬きを忘れて辺りに目を向けた。嬉しさはない。

 

「ラキィ、あとは頼む。気が済んだから戻るよ」


「マリアスと……」


 そう言って、ヘクターがその場から離れていく。潜りたちが道を開けると、彼の後ろ姿もやがて見えなくなった。


「ハルタ、行くぞ」


 湯葉丸に腕を掴まれた。やや強引に引かれ、ハルタは群衆から抜け出す。場から離れると、湯葉丸は手を離した。


「まさかサブマスに認知されてたとは……」


「びびったよ。合格するなんて……てか、あの巨体がサブマスだって知ってたか?」


 まだ後ろの遠くがやかましい。

 湯葉丸が黙ったので、ハルタは不思議に思い「どうかしたか?」とその背中に訊ねる。


「早くに接点を持てたことは好都合だ。けど……」


「ん?」


 湯葉丸が足を止めて、振り返る。


「潜りをあまり信用するな。連中は気まぐれだ。あれを本心だと思わない方がいい」


「それって、ヘクターさんのことを言ってるのか?」


「ヘクターさん、か……そうだ。サブマスも、だ。それからあそこにいた奴らも。あれはただの、その場のノリだ」


「真に受けてはないけど……」


 あの潜りたちの中にも、過去イカルガに助けられた者がいるのかもしれない。〈高級な人々ユーベルメンシュ〉の一階にいた連中の嫌な視線や、殺し屋を差し向けられたことが重なり、潜り全体に対して懐疑的になっていたが、それは自身の、心の不安のあらわれだったのかもしれない。

 ハルタは少し気分が良かった。昨日よりもずっと楽だ。


「でも、そうなのかなぁ? 俺には何ていうか、やっぱりイカルガや〈蒼炎の薔薇ブルー・ローズ〉って凄かったんじゃないかって思うんだ。クランでもないのに知名度があって」


「それを真に受けてるって言うんだ。なんかハルタ、自分がいたパーティーなのに、他人事みたいに言うんだな?」


「どこが?」


「別に……」


「なあ、この調子でアピールしていかないか?」


「アピール?」


「遠征中に実績を作るんだ。そしたらまた話ができるかもしれない」


 間があった。湯葉丸は頷いて、「分かった」と答えた。

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