第46話 嘆きの鉱山と共鳴する崩壊

バルガン領の北外れにある古い鉱山は、領の心臓部といっても過言ではなかった。 ここでは鉄や銅だけでなく、火薬の原料となる硫黄や硝石の元となる土壌が採取できるからだ。 だが今、その坑道からは鉄を打つ音ではなく、作業員たちの悲鳴と、地底からの不気味な振動だけが響き渡っていた。


塔の最上階。 壁の穴から飛び出したスレートは、恐怖に怯えるように部屋の隅で震えていた。 彼が運んできたのは、鉱山の現場監督からの血の気が引くような報告書だった。


『出た。岩が歩いている』 『つるはしが通じない。剣も折れた。あれは山の怒りだ』


エリストールは眉をひそめ、報告書をランプの光にかざした。


「……岩が歩く、ですか」


「現場はパニック状態です。作業員たちはゴーレムが現れたと言って逃げ出し、火薬の材料はおろか、日々の燃料となる石炭の採掘すら止まっています」


壁の聴音管から、マリウスの冷静だが切迫した声が響いた。 彼は今、事態を収拾するために鉱山のふもとに指揮所を設けている。


「被害状況は?」


「死者は出ていませんが、怪我人は多数。カミラが迎撃しましたが、彼女の剛剣ですら刃が欠けたそうです。『あんな硬い岩塊は斬れねえ。まるで鉄の塊だ』とぼやいています」


あのカミラが音を上げるほどの硬度。 単なる岩ではない。 おそらくは、古代の文明が坑道掘削のために作った自律型の機械か、あるいは特殊な鉱物が密集して動いているのか。 いずれにせよ、物理的な打撃が通じない相手だ。


エリストールは部屋の中を歩き回り、そして一つのワイングラスを手に取った。 指先で縁を濡らし、ゆっくりとこする。 フォォォォン……という高く澄んだ音が部屋に響いた。


「……マリウス。聞こえますか?」


「ええ。不快な音ですが」


「すべての物体には、その身を震わせる『叫び声』があります。ワイングラスにはグラスの、鉄には鉄の、そして岩には岩の『叫び』があるのです」


エリストールはペンを取り、図面を引き始めた。 彼女が描いたのは、巨大な金属の筒と、それを叩くためのハンマーの図だった。 共鳴現象。 物体が持つ固有の振動数と同じ音を浴びせ続ければ、その物体は激しく振動し、やがて自壊する。 オペラ歌手の声がグラスを割るのと同じ理屈だ。


「敵が硬ければ硬いほど、この術は効きます。……カミラに伝えてください。『剣を捨てて、鐘を叩け』と」


エリストールはスレートの背中に図面と指示書を括り付けた。 震えるスレートを優しく撫で、再び暗い壁の穴へと送り出す。 これが、彼女にできる唯一の参戦方法だ。



深夜の鉱山。 坑道の奥深くから、ズシン、ズシンという重い地響きが近づいてきていた。 松明の明かりの中に浮かび上がったのは、身の丈三メートルはある巨体だった。 全身が黒光りする岩盤で覆われ、継ぎ目からは蒸気のような白い煙を吐き出している。 伝説の魔物、岩巨人だ。


「……へっ、あんな化け物と力比べしろってか?」


カミラは呆れたように吐き捨てたが、その手には愛用の大剣ではなく、巨大な木槌が握られていた。 彼女の目の前には、鉱山にあった鉄パイプを組み合わせて作られた、即席の巨大な鉄琴のような装置が鎮座している。


「準備はいいですか。賢者様の計算では、あの巨人の構成物質は高密度の黒曜石に近い。……叩くべき音階はこれです」


マリウスが指揮棒のように手を挙げた。 ガエルたちが、鉄パイプの長さを調整し、慎重に固定する。


「来るぞ! 構えろ!」


巨人が腕を振り上げた。 その一撃は岩盤を砕き、落盤を引き起こす威力だ。 だが、カミラは逃げなかった。


「……お嬢の知恵が勝つか、あたしの腕が痺れるか。勝負だ!」


カミラは全身のバネを使い、渾身の力で一番太いパイプを叩いた。


ゴォォォォォォォン……!!


洞窟内に、腹の底を揺さぶるような重低音が響き渡った。 それは単なる音ではない。 空気そのものが波打ち、肌をビリビリと刺激する衝撃だった。


巨人の動きがピタリと止まった。 その岩の表面が、微かに波打っているように見える。


「効いてるぞ! 続けろ!」


ガエルが叫ぶ。 カミラは呼吸を整え、二度、三度とハンマーを振り下ろした。 ゴォン! ゴォン! 特定の波長を持った音波が、巨人の身体を構成する岩の粒子一つ一つに干渉し、激しく揺さぶる。 外側からの打撃ではなく、内側からの崩壊。


『グ、グオォォ……』


巨人から、軋むような音が漏れた。 次の瞬間、ピキッという乾いた音が響く。 頑強そのものに見えた黒い岩の装甲に、蜘蛛の巣のような亀裂が走ったのだ。


「仕上げだ! 全員で叩け!!」


カミラの号令で、鉱夫たちも一斉に手近な鉄骨やパイプを叩き始めた。 坑道全体が『共鳴』のるつぼと化す。 音の牢獄に囚われた巨人は、苦しむように身をよじり――。


パリーンッ!!!!


まるで薄氷が割れるような音と共に、巨人の全身が粉々に砕け散った。 岩塊は砂利となって崩れ落ち、もう二度と動くことはなかった。 残されたのは、もうもうと立ち込める粉塵と、耳鳴りが止まらない男たちの歓声だけだった。



翌朝。 スレートが持ち帰った報告書には、粉々になった黒い砂のサンプルが添えられていた。 エリストールはそれを顕微鏡で覗き込み、満足げに頷いた。


「……やはり。特定の音だけを嫌う結晶構造でしたか」


壁の向こうから、マリウスの報告が届く。 鉱山は解放され、作業は再開された。 砕けた巨人の残骸からは、見たこともない希少金属が見つかり、新たな資源として活用できるかもしれないとのことだった。


「音で岩を砕くとは。……貴女の知恵には、時折戦慄を覚えますよ」


「力任せに殴るだけが戦いではありません。……相手の声を聞けば、自ずと弱点は見えてくるものです」


エリストールは窓を開け、遠くの山並みを見つめた。 今回の一件で、領民たちの間には賢者様は山の神さえも鎮めたという新たな伝説が加わったようだ。 だが、彼女は知っている。ただ、この世界にある物理の法則を、少しだけ上手く利用したに過ぎないのだと。


「……それにしても」


エリストールは、カミラから届いた追加の手紙を読んで苦笑した。


『耳がキーンとして治らない。 あと、腕がパンパンだ。 今度こんな真似させたら、治療費として高級ワイン樽一本請求するからな』


「……高くつきそうですね」


平和を取り戻した鉱山から、再び槌音が響き始める。 それはバルガン領の心臓が、力強く鼓動を再開した音でもあった。

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囚われの令嬢とねずみ 地べたぺんぎん @7023_100

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