第29話 鉄の処刑台と紅蓮の坂

正午過ぎ。太陽が頭上に昇り、石畳をじりじりと焼く時刻。 街の入口にあたる長い大坂には、不気味な地響きが轟いていた。


ガシャーン、ガシャーン。


現れたのは、西の国の精鋭『鉄甲騎士団』だ。 全身を分厚いプレートメイルで覆い、巨大な盾を構えた重装歩兵の列。 先頭に立つ指揮官が、坂の上に築かれた急造のバリケードを見上げ、兜の奥で嘲笑った。


「見ろ。民家から集めた家具で道を防ぐつもりらしい。……可愛らしい抵抗だ」


指揮官が剣を振り下ろす。


「進め! 踏み潰せ!」


号令と共に、五百の鉄塊が動き出した。 彼らにとって、坂道など障害ではない。その重量と脚力で、あらゆる障害物を撥ね退けて進む戦車のような集団だ。


バリケードの裏側。 ガエルは板の隙間から、迫り来る鉄の波を見て、生唾を飲み込んだ。 怖い。 今まで喧嘩相手にしてきたゴロツキとは次元が違う。あんなものに殴られれば、肉体などトマトのように弾け飛ぶだろう。


「……ビビってんじゃないよ、ガエル」


隣で身を潜めるカミラが、ガエルの背中をバンと叩いた。


「お嬢の計算を信じな。この世の理は、誰にでも平等だ」


「……ああ、分かってる!」


ガエルは震える手を抑え、合図の紐を握りしめた。 騎士団が坂の中腹、最も傾斜がきつくなる地点に差し掛かる。 密集した隊列。避ける場所のない狭い石畳。 エリストールが『罠の蓋』と定めた場所だ。


「……今だ!!」


ガエルが紐を引く。 坂の両脇に隠されていた木枠が外れ、積み上げられていた数十個の樽が一斉に転がり落ちた。 樽は石畳にぶつかって砕け散り、中身をぶちまける。 ドロリとした褐色の液体――街中から集めた廃油と、石鹸工場から徴収した『滑り薬』を混ぜた特製の油だ。


「な、なんだ!?」


先頭の騎士が足を滑らせた。 普段なら踏ん張れるはずだ。だが、彼らが背負っているのは四十キロを超える超重量の鎧。 一度ついた勢いは、そう簡単には止まらない。滑りやすくなった地面は、彼らの重みを支えることを拒絶した。


ガシャン!!


一人が転倒する。 それが引き金だった。 密集隊形が裏目に出た。倒れた前衛に後続がつまずき、さらにその後ろが将棋倒しになる。 鉄と鉄がぶつかり合う凄まじい音が響き、無敵の進軍は一瞬にして『鉄屑の雪崩』へと変わった。


「立て! 早く立て!!」


指揮官が叫ぶが、起き上がれるわけがない。 油に塗れた鎧はぬるぬると滑り、手をつこうにも支えが効かない。亀のように仰向けになり、もがくことしかできない。


「仕上げだ! 脅かしてやりな!」


カミラがバリケードの上に立ち、火のついた松明を放り投げた。 同時に、トトたち子供組が火炎瓶の雨を降らせる。


ボッ!!!!


爆発的な音と共に、大坂が紅蓮の炎に包まれた。 油は瞬く間に燃え広がり、転がる騎士たちの周囲を取り囲む。


「う、うわああああ!!」


悲鳴が上がった。 だがそれは、焼かれる痛みではない。鉄が熱を帯びていく恐怖への叫びだ。 エリストールは言っていた。『鉄は熱を溜め込む性質がある』と。 外側から炙られた鎧は、じわじわと熱くなり、中の人間に耐え難い灼熱を与え始める。


「あ、熱い! 蒸し焼きになるぞ!」 「脱げ! 鎧を脱ぎ捨てろ!!」


誰かの叫び声を皮切りに、騎士たちはパニックに陥った。 誇り高き鉄甲騎士団のプライドなど、命の危険の前では無意味だった。 彼らは必死の形相で兜を投げ捨て、熱くなった胸当てのベルトを引きちぎり、籠手を放り出した。


ガラン、ゴロン。


重厚な金属音が次々と響く。 炎の壁を抜け、這うようにして坂の下へ逃げ出していく男たち。その姿は、分厚い鉄の殻を失った、ただの薄汚れた下着姿の人間だった。 武器も防具も、すべて炎の中に置き去りにされていた。


「……すげえ」


坂の上からその光景を見下ろしていたガエルは、呆然と呟いた。 敵は一人も死んでいないかもしれない。だが、軍隊としては完全に壊滅していた。 残されたのは、無数の空っぽの鎧だけ。 それは敗北よりも屈辱的な、完全な無力化だった。


「行くよ、ガエル。残った鎧は冷めたら全部いただく。いい金になるよ」


カミラは満足げに笑い、剣を収めた。 物理と知略の前に、西の国の最強部隊は一太刀も浴びせることなく、裸で逃げ帰ったのだ。



塔の最上階。 窓から立ち上る黒い煙を見つめながら、エリストールは深く安堵の息を吐いた。 死のにおいはしない。聞こえてくるのは、情けない悲鳴と、遠ざかる足音だけだ。


「……終わりましたか」


背後でマリウスが懐中時計を閉じる音がした。


「見事です。敵を殺さず、戦意と装備だけを奪うとは。……死体の処理費用もかからず、戦利品で潤う。最も合理的な勝利です」


「……彼らは二度と、この街を襲おうとは思わないでしょうね」


「ええ。裸で逃げ帰った噂は広まります。『バルガンの街には、鎧を溶かす魔女がいる』とね」


マリウスはエリストールの肩に、労うように手を置いた。


「合格です、賢者様。貴女の知恵は、今日多くの血が流れるのを防いだ」


エリストールは、窓枠をぎゅっと握りしめた。 震えは止まっていた。 人を殺さずに済んだ。その事実は、彼女にとって何よりの救いだった。


「……次の計算をするわ、マリウス」


彼女は振り返り、強い眼差しで執事を見上げた。


「西の国は面子を潰された。次はもっと陰湿な手を使ってくるかもしれない。……食料の備蓄計画を見直すわ」


「御意」


マリウスは満足げに深く一礼した。 その顔には、新しい主君への確かな敬意が微かに滲んでいた。


こうして、『大坂の戦い』はバルガン領の圧勝で幕を閉じた。 坂に残された数百の鎧の山は、後に『鉄の墓場』と呼ばれ、知恵なき武力が敗れ去った象徴として語り継がれることになる。

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