第15話 廃城の亡霊と西の風

「おいガエル、聞いたか? 街外れの『旧領主の館』に、首なし騎士が出るって噂だ」


赤竜の爪痕亭で、カミラがエールの泡を拭いながら身を乗り出した。 彼女の隻眼が、獲物を見つけた猛獣のように輝いている。 旧領主の館。 それは今のバルガン男爵家がこの地を治める前、百年以上前に廃城となった山城の跡地だ。 最近、夜な夜なそこから不気味な光が見え、近づいた木こりが「首のない騎士に追いかけられた」と青ざめて逃げ帰ってきたという。


「幽霊退治なんて、俺たちのガラじゃねえよ」 「ただの幽霊ならね。だが、木こりの話じゃ『重い荷車が通る音がした』そうだ。幽霊が荷運びをするか? こいつはきな臭いぞ」


カミラの勘は鋭い。 もし幽霊騒ぎが、何者かが人を遠ざけるためのカムフラージュだとしたら。 そこには、人に見られては困る「何か」があるはずだ。


ガエルは動くことにした。だが、無策で飛び込むほど若くはない。 あの廃城は、戦乱の時代に作られた要塞だ。構造を知らずに入れば、迷うか、あるいは未知の危険に遭遇する。 彼はすぐにブリックを呼び、エリスに手紙を送った。


『街外れの旧領主の廃城について、何でもいい。図面や仕掛けの記録はないか?』


塔の最上階。 エリストールは父の書斎の奥深く、埃を被った『領地防衛建築史』という古い巻物を広げていた。 そこには、今は崩れ落ちて見る影もない廃城の、在りし日の完全な設計図が記されていた。 彼女の指が、大広間の構造図をなぞる。


「……なるほど。これは『常時発動型』の罠ではなく、城主が意図して起動する『迎撃機構』ね」


かつての城主は、敵兵を城内に誘い込み、自らの手でスイッチを入れることで一網打尽にする設計を施していたのだ。 だからこそ、構造を知らない者がただ歩くだけなら安全だが、知識ある者がそれを使えば凶悪な武器になる。 エリストールは震える手で、ガエルのために「攻略地図」を作成した。


『ガエル、正面の大広間には巨大な落とし穴の仕掛けがあります』 『現在はロックされており、普通に歩く分には床として機能します。しかし、東側の柱の裏にあるレバーを引けば、留め金が外れ、床が抜け落ちる仕組みです』 『敵をそこへ誘い込み、貴方が「城主」となって罠を起動してください』


その日の深夜。 ガエルとカミラは、闇に紛れて廃城へと潜入した。 エリスの地図は完璧だった。 崩れかけた回廊を抜け、大広間を見下ろす回廊に出る。 そこには「首なし騎士」はいなかった。 代わりにいたのは、黒いマントを纏った男たちと、山積みにされた木箱だった。 彼らは何食わぬ顔で、大広間の中央——エリスが「落とし穴」だと示した場所——に荷物を積み上げている。 仕掛けがロックされているため、彼らにとってはただの頑丈な床なのだ。


木箱の中身が見えた。 大量の剣と槍。そして、西の国の紋章が刻まれた銀貨の袋。


「……武器の密輸に、偽造貨幣か。幽霊の正体は、西の国の工作員様ってわけだ」


ガエルが小声で呟く。 規模がでかい。これはただの盗賊団ではない、国レベルの軍事工作だ。 その時、足元の石が崩れ、カシャリと音を立てた。 敵の一人が振り返る。


「誰だ!」


十数人の男たちが一斉に武器を抜いた。 多勢に無勢。 カミラが好戦的な笑みを浮かべて剣を抜こうとするが、ガエルは彼女の腕を引いた。


「馬鹿、まともにやり合うな! エリスの策を使うぞ!」


ガエルたちは脱兎のごとく走り出した。 逃げた先は、エリスが指定した大広間の床の上だ。 工作員たちが怒号を上げて追いかけてくる。 彼らは自分たちが荷物を置いて作業していた場所だから、安全だと信じ込んでいる。


「逃がすな! 殺せ!」


敵の集団が大広間の中央に殺到した、その瞬間。 ガエルは柱の陰に滑り込み、錆びついたレバーを力一杯蹴り下げた。


「悪いな、ここからは『俺の城』だ!」


ガゴッ、という重い音が響き、ロックが外れた。


ズガアアアン!!


轟音と共に、広間の中央部分の床が真っ二つに割れ、巨大な奈落へと抜け落ちた。 「うわあああ!?」 足元が安全だと信じて疑わなかった工作員たちは、反応する間もなく、悲鳴と共に地下の空洞へと飲み込まれていく。 残った数人が縁にしがみつこうとしたが、カミラが待ち構えていた。


「一丁上がり! ……いやはや、恐ろしい屋敷だねぇ」


カミラは峰打ちで残党を沈め、床の大穴を覗き込んで身震いした。 ガエルは懐からエリスの地図を取り出し、ポンと叩いた。 知識は武器だ。 剣よりも鋭く、魔法よりも確実に敵を葬る。


翌日。 衛兵隊が廃城に突入し、穴の中で気絶していた工作員たちと、大量の証拠品を押収した。 西の国による「侵略準備」の動かぬ証拠が見つかったことで、街は蜂の巣をつついたような騒ぎになったが、その立役者が誰なのかは、闇に消えていた。


その夕方。 塔の最上階を訪れた男爵と執事マリウス。 男爵は「西の野蛮人どもめ、私の庭に土足で入りおって」と不機嫌に罵っていたが、マリウスは静かにエリストールの机の上を片付けていた。 彼の手が、一冊の本の上で止まる。 『領地防衛建築史』。 しおりが挟まれたページは、あの廃城の章だった。


マリウスは無言で栞を抜き取り、本棚に戻した。 男爵は窓の外の騒ぎに気を取られて見ていない。 老執事はエリストールに向き直り、誰にも聞こえない声で囁いた。


「……古きを知ることは、身を守る盾となります。しかし、あまり古い埃を吸い込むと、肺を悪くしますぞ」


エリストールは膝の上で拳を握りしめ、小さく頷いた。 やはり、バレている。 だが、彼は今回も男爵には告げなかった。 それどころか、その言葉は西の国の動きに深入りしすぎるなという、彼なりの忠告にも聞こえた。


男爵たちが去った後、エリストールは窓辺で外の風を感じた。 遠くから微かに聞こえる軍靴の音。 ガエルとカミラは無事だった。 けれど、今回見つかった「西の風」は、これからこの街に吹き荒れるであろう嵐の予感を感じさせた。


「気をつけて、ガエル……」


夜風が冷たさを増している。 季節だけでなく、時代の空気が変わり始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る