第2話 悩み
三國が川面を見つめでぼーっとしていると、「カミさんが焼いてくれたものなんだが、良かったら食べるかい?」と言いながら、南部はナッツの入ったクッキーを差し出した。
小柄だが、坊主頭で浅黒く、左の額から目尻にかけて大きな古傷のある南部は、一見、堅気には見えない。そんな南部にクッキーは似合わないと思いながら、三國は、お礼を言って受け取った。
「そう言えば、さっき食べてたお弁当も奥さんの手作りですか。仲が良いんですね」
「そうだなぁ。結婚して40年近くになるが一度も喧嘩をしたことが無いよ」
「ほんとですか?」
「カミさんには、私が辛抱しているだけ…って言われそうだけどな」と言って、肩をすぼめて、おどけた表情をして見せた。
南部は、こういう、どこか日本人っぽく無い仕草や喋り方をよくする。時にそれは人を食っているようにも見える。
「今日は来るのが遅かったですね」
去年から毎週ではないが、金曜日にこの辺りで会うのが習慣のようになっていた。いつもは三國より早い時間に来ていることが多いので、なんとなく訪ねてみた。
「あぁ。今日は出るタイミングで専務につかまってしまってね。色々アドバイスを求められたので、少し遅くなってしまったんだよ」
南部が飲食店を経営していることは知っていたが、専務ってどういうことだろう。尋ねてみると、実は飲食店を県内中心に20店舗ほど経営していると聞いて驚いた。
「凄い社長さんだったんですね」
「全然、凄くなんて無いよ。実際、普段は定食屋の厨房で料理を作っているだけだしね」
つまらなそうに言う南部を見て、三國は「いいですねぇ…」と思わずため息を漏らした。
「いったい、どうしたんだ?」
少し酔っていたからだろう。三國はさして親しくも無い釣り仲間に、自分が抱えている現状について話を始めた。
三國が働いているのは、社員数8人ほどの小零細のイベント会社。そこで、セミナーと小規模な音楽イベントを担当している。
平凡だけど、自分では、ある意味、順調な人生だったと思っていた。
若いころは仕事に行き詰まり悩むことも多かったが、年齢を重ねるとともに、仕事を回してくれる広告代理店も増え、ホームページからの直接の問合せと合わせれば、それなりに業績を上げられるようになった。
手伝ってくれる同業者や下請け業者も増え、受注した仕事も上手くこなすことができていた。
私生活は、若い頃に最初の結婚をして数年でバツがついたが、34歳の時、イベントで出会った女性と再婚し、子どもも2人生まれた。
このまま平凡に働いて歳をとっていくんだろうなぁ…と心のどこかで思っているところに訪れたのが、あの世界的な感染症だった。
非接触が叫ばれほとんどのイベントが中止になり、仕事を回してくれていたイベント系の広告代理店や協力してくれる同業者、下請けの会社がいくつも倒産した。
感染症が治まると市場は徐々に元に戻ってきたが、セミナーや音楽イベントを開催する顧客の多くがネットでの配信に移行し、リアルのイベントは減少している。つまり、ビジネスモデルが根本的に変わったのだ。
新規の顧客を獲得するために営業をしているが、新しくできた広告代理店や下請けをしてくれそうな会社は若い経営者が多く、三國とは仕事の展開の仕方や価値観が合わずになかなか契約に結び付かない。
自分がこれまで積み上げてきたセオリーが通じなくなっていることに焦りを感じていた。
会社は時代の流れに対応するために、30代の若い上司を他業種からヘッドハンティングしてきたが、ここでも世代間ギャップだろうか、仕事のやり方でそりが合わず、歯がゆい思いをしている。
そんなメンタリティが私生活にも影響しているのだろう。
あの感染症の流行以来、妻との関係がギクシャクしてる。
追い打ちをかけるように体調も思わしくなくなり、心身ともにヤル気が出なくなっている。
そんな、相談とも愚痴ともいえない話が一区切り終わるまで、南部は頷きながら真剣に聞いていた。
そして、少し残念そうな表情で「なんだ、そんなことか…」と言った。
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