choice

六五

第1話 三国一

ここは都市の中を流れる一級河川。三面張りの川には手すりが設置され、川と防波堤の間は綺麗に整備された自転車道になっている。この自転車道にあるベンチに三國一(みくにはじめ)は腰を下ろした。

時間はちょうど6時。日没まで30分というところだろうか、空は徐々に青からオレンジ色に変わろうとしはじめている。


ベンチの近くのケヤキの木を見上げた。ゴールデンウィークが終わったこの時期のケヤキの瑞々しい新緑が三國は好きだった。


釣竿に仕掛けをセットし、餌のドバミミズを取り付けて川に投げ込む。竿は川に面した手すりに立てかけるのでロッドスタンドは要らない。


釣りのターゲットはウナギ。

人に「あの川でウナギ釣りをよくしているんです」というと、「都会の川でウナギなんて釣れるんですか⁉」と驚かれることが多いのだが街中の川でもウナギは釣れる。


ウナギ釣りはとてもシンプルな釣りだ。仕掛けはオモリと針だけ。この仕掛けを投込めば、後はひたすらウナギをかかるのを待つだけなのだから。

20~30分に一度、餌が取られていないか確認するために仕掛けを上げるが、その他はすることが無い。


三國は、来る途中のコンビニで買った缶ビールを取り出すと飲みはじめた。

近くの橋の上を住宅街の方に向け帰宅するのであろう人たちが渡っていくのが見える。

そんな人たちを見ながら、それぞれの人の人生に想いを馳せることもあれば、スマホで学生の頃によく聞いていた曲を聞いたり、仕事や人生のことを考えるでも無く考えてみたりする。


三國にとって週に一度のウナギ釣りは、釣りを楽しむというより、ゆっくりと流れていく時間を楽しむ時間なのかもしれない。


ちょうど1本目の缶ビールを飲み終わったタイミングで竿先に付けた鈴が鳴ったが、釣れたのはウナギではなく外道のキビレ。

丁寧に針を外してリリースすると、もう一度仕掛けを投げ込み、2本目の缶ビールを開けた。


三國は悩んでいた。

ゴールデンウィーク前に48歳になった。一般的には一番脂ののった仕事ができる時期のはずなのだが、仕事が上手く行かない。思うような業績を上げられていないのだ。

例の世界的に流行した感染症のお陰で、世の中の様々なことが変わったが、三國の働くイベント会社の業界は、その影響を強く受けた業種のひとつだ。

仕事を取り巻く環境ややり方が色々と変わってしまい、これまで積み上げてきたものが通用しなくなったと感じていた。


それに、新しく来た上司との折り合いもあまり上手く行ってないことが、仕事のモチベーションを下げていた。それに、最近、体力や集中力の低下も感じてしまう。


もちろん、どれも窮地というほどのレベルでは無いのは分かっている。

仕事は、以前に比べて業績は落ちてしまっているものの、それなりには忙しくしている。

上司との関係だって、他業種から来た年下の上司との折り合いなんて、簡単につくものでは無いだろう。体力や集中力の低下も個人差はあるとはいえ、この年齢になれば多くの人が感じていることに違いない…はずだ。


窮地に立つくらい困っていれば、「何とかしなければ!」と奮起もするのだろうが、どれもこれもぼやけた写真みたいにぼやけた悩みなので本腰を入れて取り組まなければと思えないのだ。


でも、それだけに真綿で首を締められているような嫌な感覚が続いている。

このまま放置しておけば、やり過ごせるような気もするけど、少しずつ状態が悪くなり、最後にはどうしようも無くなる気もするからだ。


2本目の缶ビールを飲み終わろうとした時、「やぁ、これは三國君じゃないか」という声が聞こえてきた。

その声の主は、見慣れた赤い自転車に乗って表れた。彼の名前は南部さん。この川で出会ったウナギ釣り仲間。三國の記憶だと確か今年72歳になるはずだ。


以前に生まれ年の干支の話をしたことがあるので年齢は知っているが、下の名前は知らない。その程度の知合いである。


南部は、近くで釣ってもいいかと尋ねると、三國から20メートルほど離れた場所に仕掛けを投げ込み、小さな折りたたみ椅子を取り出すと、そこに座って弁当を食べ始めた。


太陽はすっかり沈むと空は深い青色に染まり、その深さと住宅街の灯りのコントラストが美しい。


少し酔いが回ってきたみたいだ。

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